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蝋の賢者、崩落する知恵

大書庫の中は、時間の流れが澱んでいるようだった。

 天井は見えない。遥か高くまで螺旋状に伸びる回廊と、壁一面を埋め尽くす巨大な本棚。

 舞い上がる埃が、空中に漂う青白い燐光を反射してきらめいている。

 静かだが、無音ではない。

 パラララ……という乾いた音が、あちこちから聞こえてくる。

 本がひとりでにページを捲る音だ。

 俺は足を踏み出す。

 静寂の指輪がブーツの音を消しているが、ここではあまり意味がないかもしれない。

 この空間自体が、異物の侵入を拒んでいる気配がする。

 頭上から風切り音がした。

 俺は咄嗟に首を傾ける。

 シュッ!

 頬の装甲を何かが掠めた。鋭い痛み。鉄の皮膚が紙のように切れている。

 襲ってきたのは「本」だった。

 分厚い魔導書が、鳥のように表紙を羽ばたかせ、紙の刃となって襲いかかってくる。

 『魔書の群れ』。

 一冊一冊は非力だが、数が多い。

 

 バサバサバサッ!

 数十冊の群れが、黒い雲のように襲来する。

 俺は墓標剣を振り回す。

 ドスッ、バシッ。

 剣の腹で叩き落とすが、キリがない。

 紙の縁が腕を切り、首元を狙う。

 鬱陶しい。

 俺はマントで顔を覆い、群れを強引に突破して回廊の陰に滑り込んだ。

 回廊の先、手すりに寄りかかって本を読んでいる人影があった。

 人ではない。

 頭部が溶けたろうで完全に覆われ、蝋燭のように火が灯っているローブ姿の男。

 『蝋封ろうふうの賢者』。

 禁忌の知識に触れ、狂気から精神を守るために自ら頭を蝋で固めた魔術師たち。

 賢者が俺に気づくことなく、指先を振るった。

 ヒュン。

 青い光の矢——ソウルの矢——が生成され、俺の隠れている柱を直撃した。

 ジュワッ!

 石柱が抉れる。熱ではない、物質を強制的に風化させる魔力。

 あんなものを生身で食らえば、装甲のない左肩など消し飛ぶ。

 賢者は三人。

 それぞれが回廊の要所に陣取り、侵入者を狙撃する配置についている。

 盾はない。遠距離攻撃手段もない。

 近づくしかない。

 俺は柱の影から飛び出した。

 ヒュン、ヒュン!

 青い矢が殺到する。

 俺はジグザグに走る。

 右肩の装甲で一発を受ける。衝撃が骨まで響くが、鉄化のおかげで貫通は免れる。

 距離、十メートル。

 手前の賢者が、杖を掲げて詠唱を始める。大きな一撃が来る。

 俺は走るのをやめ、横にあった移動用の梯子はしごを蹴り倒した。

 

 ガシャン!!

 

 重い木製の梯子が倒れ、賢者の頭上を直撃する。

 「グェッ!」

 賢者が潰れる。蝋の頭が砕け、ドロリとした中身が床に広がる。

 一人。

 だが、残りの二人が一斉射撃をしてくる。

 逃げ場がない。

 

 俺は近くの巨大な本棚に目をつけた。高さ五メートルはある重厚なオーク材の棚。

 俺は棚の側面に回り込み、全体重をかけてタックルした。

 「動けッ!!」

 ミシミシと木が悲鳴を上げる。

 倒れない。重すぎる。本だけで数トンはある。

 魔法の矢が背中の装甲を削る。時間がない。

 

 俺は墓標剣の切っ先を、本棚の足元——床との隙間にねじ込んだ。

 そして、テコの原理で無理やり持ち上げる。

 全身の筋肉が断裂しそうな負荷。

 血管が浮き出る。

 「オォォォォッ!!」

 

 ガタン。

 バランスが崩れた。

 本棚がゆっくりと傾き、そして重力に引かれて倒れ込む。

 

 ズゴォォォォォォン!!!

 

 凄まじい轟音。

 本棚が倒れ、向かい側の回廊に激突する。

 その衝撃で、回廊にいた賢者の一人が吹き飛ばされ、奈落へと落ちていく。

 さらに、倒れた本棚が橋となり、対岸への道ができた。

 

 俺は倒れた本棚の上を走る。

 足元で貴重な魔導書が踏み荒らされ、紙屑になっていく。

 残る最後の一人。

 賢者が驚愕に杖を取り落とす。

 俺は跳躍し、賢者の蝋の頭を、上から両手で握りつぶした。

 

 グシャリ。

 熱い蝋が手にまとわりつく。

 賢者がぐらりと崩れ落ちる。

 静寂が戻る。舞い上がった大量の埃だけが、雪のように降り注いでいる。

 俺は手を振って蝋を払い、賢者のデスクにあった「開かれた本」に目を落とした。

 殴り書きのメモがある。

 

 『……鉄の呪いは病ではない。魂の停滞だ。燃えることをやめた魂は、重く冷たい物質——鉄へと変わる』

 『王はそれを恐れた。だからこそ、原初の炉に自らをくべようとしたのだ。だが、王の魂は弱すぎた。まきにはなれず、ただ燻るだけの黒い灰となった』

 

 俺は本を閉じた。

 難しいことは分からない。だが、この身体が重くなっている理由は分かった。

 俺の魂もまた、冷えて固まりかけているのだ。

 熱が必要だ。もっと、もっと熱い血が。

 

 回廊の奥。

 本棚の裏に隠されていたレバーを見つけた。

 引くと、ゴゴゴ……と音を立てて、中央の螺旋階段が回転し、上層への道が繋がった。

 

 俺は階段を登る。

 最上階。そこには、外へと続くバルコニーがあった。

 冷たい夜風が吹き込んでくる。

 外に出ると、目の前には、城の最高地点へと続く長い長い屋根の道が伸びていた。

 

 そして、その屋根の上に、銀色の月光を浴びて輝く、一匹の巨大な竜が鎮座していた。

 いや、竜ではない。

 全身がクリスタルのように透明な鉱石で覆われた、美しくも冷酷な捕食者。

 『結晶の古竜シースレス・ドラゴン』の眷属。

 

 奴がこちらに気づき、首をもたげる。

 口元から、キラキラと光る結晶の吐息ブレスが漏れている。

 あれに触れれば、鉄化どころか、瞬時に結晶となって砕け散るだろう。

 

 俺は墓標剣を握り直した。

 松脂はない。盾もない。

 あるのは、ここまでの死闘で研ぎ澄まされた殺意だけ。

 

 「……道を開けろ」

 

 俺は低く呟き、輝く絶望に向かって足を踏み出した。

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