断罪の鐘、砕けた鉄槌
篝火を離れると、すぐに寒気が戻ってきた。
太腿の傷は焼いて塞いだが、歩くたびに引き攣れるような鈍痛がある。
俺は螺旋階段を見上げた。
ゴォォォォォン……。
頭上から、重く長い鐘の音が降り注いでくる。
音というよりは衝撃波だ。
鐘が鳴るたびに、石壁の塵が舞い落ち、俺の甲冑が共振して微かに唸る。
先の司教の魔法ほどではないが、終わりのない頭痛が続く。
俺は兜の中で歯を食いしばり、階段を登り始めた。
階段は狭い。すれ違うのがやっとの幅だ。
その途中、上から何かが転がり落ちてきた。
樽だ。
俺は壁に身体を押し付け、それをやり過ごす。
ガゴン、ガゴンと音を立てて樽が落ちていく。中身は油か。階段が黒く濡れる。
上を見る。
小柄な影が数体、手すりの隙間からこちらを覗き込んでいる。
『鐘守の従僕』。
背が低く、顔を布で隠した小人たち。彼らは直接戦う力はないが、こうして侵入者を邪魔し、鐘の音を維持するために働いている。
「ヒヒッ……オチロ、オチロ!」
従僕たちが、次は松明を投げ落としてきた。
油に火がつく。
ボウッ!!
階段が一瞬で炎の壁に変わる。
熱気が這い上がってくる。
俺は躊躇しなかった。炎の中へ突っ込む。
熱い。だが、今の俺の装備は油と煤でコーティングされている。長く留まれば燃え移るが、一瞬なら耐えられる。
煙を突き破り、驚く従僕たちの目の前に躍り出る。
「ギッ!?」
俺は手前の従僕の頭を、左手のバックラーで殴りつけた。
ゴツッ。
鈍い音がして、小人が階段から転落していく。
残りの二体は悲鳴を上げて逃げ出す。
追う必要はない。雑魚に構っている時間はない。
俺は煤けたマントを払い、さらに上へ、音の源へと足を速めた。
***
階段の頂上。
そこは、四方が吹き抜けになった巨大な鐘楼だった。
冷たい暴風が吹き抜け、中央には城の鐘——人が数人は入れるほどの巨大な青銅の塊——が吊るされている。
そして、その鐘の前に、一人の男が立っていた。
いや、男と呼ぶにはあまりに異形だ。
身長は三メートル近い。上半身は裸で、異常に発達した筋肉が瘤のように隆起している。
特徴的なのは頭部だ。
耳が削ぎ落とされ、その穴が太い鉄釘で塞がれている。
『聾の鐘撞き』。
自らの聴覚を捨て、ただ永遠に鐘を打ち鳴らすことだけを義務付けられた処刑人。
彼は、身の丈ほどもある巨大な「撞木」——鉄の箍が嵌められた丸太のようなハンマー——を肩に担いでいた。
俺の姿を見ても、彼は表情を変えない。
ただ、侵入者=鐘を止める者として、排除行動に移る。
ブンッ!!
鐘撞きが丸太を横薙ぎに振るう。
速くはない。だが、範囲が広い。
俺はバックステップで避ける。
丸太の先端が、俺の鼻先数センチを通過する。風圧だけで顔の皮が切れそうだ。
ゴォォォォォン!!
振り抜かれた丸太が、勢い余って背後の鐘を叩いた。
至近距離での轟音。
空気が爆ぜる。
「ぐぅッ……!」
俺は思わず膝をついた。視界が白く明滅する。
平衡感覚が狂う。
鐘撞きは平然としている。奴に音は聞こえない。
好機と見た鐘撞きが、丸太を高く振り上げた。
叩きつけだ。
俺は転がるように横へ逃げる。
ドゴォォォン!!
床の石材が粉砕され、塔全体が揺れる。
まともに食らえば肉餅だ。
俺は立ち上がり、墓標剣を構える。
真正面からの打ち合いは不利だ。リーチもパワーも負けている。
だが、奴の攻撃は大振りだ。隙はある。
鐘撞きが再び横薙ぎを放つ。
今度は避けない。
俺は前に出た。
丸太の先端——破壊力が最も高い部分——ではなく、奴が握っている手元、柄の部分へと飛び込む。
左手のバックラーを構える。
受け止めるのではない。「逸らす」のだ。
ガツッ!
丸太の根本に盾をぶつけ、軌道を上へずらす。
腕が痺れる。バックラーが凹む。
だが、丸太は俺の頭上を通り過ぎた。
懐に入った。
俺は右手の墓標剣を、鐘撞きの無防備な脇腹に突き刺した。
ズブリッ!!
分厚い筋肉を貫く。
鐘撞きが音のない叫びを上げる。
奴は丸太を手放し、素手で俺を掴もうとする。
巨大な手が俺の頭を鷲掴みにする。
万力のような握力。
兜が歪む音が聞こえる。頭蓋骨が締め上げられる激痛。
俺は剣を刺したまま、左手のバックラーの縁で、奴の手首を何度も殴打した。
ガン! ガン! ガン!
骨を砕くつもりで叩き続ける。
奴の力が緩む。
俺は脱出し、剣を引き抜く。
ドクドクと血が溢れる。
鐘撞きがよろめき、後退する。
その背後には、巨大な鐘があった。
まだ微かに振動している青銅の塊。
トドメだ。
俺は落ちていた丸太——撞木を拾い上げることはできない。重すぎる。
だが、蹴ることはできる。
俺は足元の丸太を、テコの原理で跳ね上げ、奴の足元へ転がした。
鐘撞きが足を取られる。
バランスを崩し、背中から鐘に向かって倒れ込む。
ガァァァンッ!!!
鐘撞きの後頭部が、鐘に激突した。
人間が鳴らす音ではない。鈍く、湿った、だが凄まじい音量。
奴の頭が鐘と一体化したかのように潰れ、鐘の表面に赤い花が咲いた。
巨体が崩れ落ちる。
鐘の余韻だけが、いつまでも響いている。
俺は荒い息を吐きながら、鐘撞きの死体に近づく。
奴の腰帯から、重厚な鉄の鍵をむしり取った。
『王城中庭の鍵』。
ふと、鐘楼の外を見る。
雲が切れていた。
眼下に見えるのは、かつて栄華を誇ったであろう王都の全景。
だが、今はどこもかしこも灰色で、動くものは何もない。
ただ一箇所、城の最奥にそびえ立つ本丸だけが、異様な赤黒いオーラに包まれている。
あそこが、旅の終着点。
俺はバックラーの歪みを直そうと叩いたが、戻らなかった。
盾も身体もボロボロだ。
だが、鐘は止まった。
俺は鍵を握りしめ、反対側の階段——城の内側へと降りる道——へと向かった。




