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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
22/58

22.ドルエルベニ 「なんと間が悪いことだ」

 

 

「ドゥムス(骸竜の女性に対する敬称)マムナリューカ? 彼女がどうかしたか?」  


 ドルエルベニはニヴィリューオウにそう訊ねながら、マムナリューカの姿を思い浮かべる。冷たい水の流れを思わせる青鈍の鱗と、輝く夏の光を思わせる鋭い目が美しい、今が花盛りの娘。女達の頂点に君臨する凄腕の狩人でもある(成年した女達はララモ厶〔狩りの技を競う〕の勝敗によって序列をつける)。


 その上、ニヴィリューオウの訪問に伴ってはみ出し者のドルエルベニが顔を出しても、嫌な顔ひとつせず持て成し屈託なく笑う、気立てが良い娘だ。


 そんな、才色兼備で非の打ち所のない娘だから、当然、数多の戦士達がマムナリューカに求愛している。ところが、マムナリューカはどの求愛者にも靡かないらしい。


 マムナリューカを溺愛するニヴィリューオウは、マムナリューカの好きなようにすれば良いのだと言う。嫁いでしまうのは寂しいから、マムナリューカが望まぬのなら、未婚のままでも良いのだと。冗談なのか本気なのか、ドルエルベニにはわからない。


 ニヴィリューオウが、マムナリューカのことでドルエルベニとふたりきりで話しがしたいと言っても、何の事か、皆目見当がつかなかった。


 ドルエルベニはニヴィリューオウを見つめて、返答を待つ。ニヴィリューオウもドルエルベニの目を見返した。目を凝らし、耳を澄ませて、じっと待っている。藪の中に身を潜め、狙い定めた獲物の隙を窺う蛇のように。


 ーーいったい、何を?


 ドルエルベニが適切な言動を選びかねて、まごまごしていると、ニヴィリューオウが口を開く。蛇が鎌首を擡げるように。朗らかな笑みが消えて、張り詰めた緊張があらわれていた。


「短刀直入に言う。ドルエルベニよ、マムナリューカに求愛するつもりはないか? マムナリューカは、お主を好ましい男だと思っている」


 それはまったく出し抜けの、予想もしなかった提案だった。「急にそんなことを言われても困る」と変な風に甲高く裏返った声で喚きそうになるのを、辛うじて堪えていた。ニヴィリューオウは怪訝な面持ちでドルエルベニを凝視している。


 ニヴィリューオウの目は、マムナリューカに見初められる幸運を喜ぶべきなのに、その煮えきらない態度はなんだと、ドルエルベニを詰る。


 マムナリューカは夢の女だ。多くの戦士がマムナリューカに憧れて、番になることを夢に見る。しかし、マムナリューカは難攻不落の名砦が如く、ニヴィリューオウの眼鏡にかないマムナリューカに求愛することを許された猛者達を、惜しげもなく袖にしてきた。マムナリューカは番を得ることを望まないのかもしれないと、ドルエルベニは考えていた。


 そんなマムナリューカが、はみ出し者のドルエルベニを「好ましい男だと思う」なんて、信じ難いことだ。しかし、ニヴィリューオウが大切な妹の気持ちを偽るとは考え難い。


 マムナリューカは「当代きっての放蕩者」と後ろ指を指されるドルエルベニを白眼視することなく、敬意と優しさをもって接してくれる。それは、兄の友に対する心遣いではなくて、ドルエルベニという男に対する好意だったのか。


 ーーマムナリューカが、ドルエルベニを選ぶ? 何故、ドルエルベニを? マムナリューカならば、番の相手はよりどりみどりだろうに。何故、よりによって、ドルエルベニなのだ? 何故、ドルエルベニのような、厄介な瘤付きを……?


 ドルエルベニはニヴィリューオウの提案について、ひとしきり考えた。それから、長いこと水中に潜って、水面に顔を出したかのように、大きくゆっくりと呼吸をした。


「それは……光栄だ。しかし」 

「まぁ、待て。ニヴィリューオウの話を聞け」


 ニヴィリューオウは、暗闇を手探りで進むように訥々と話すドルエルベニの言葉を遮った。ドルエルベニの話に、明るい続きがないことを察したのかもしれない。


「ルルヴルグのことならば案ずるな。マムナリューカは優しい娘だ。奴隷遊びは戦士の嗜みと心得ているし、お主がこの先、ルルヴルグを手許に置いて可愛がりたいと言っても、大目に見るだろう。当然、奴隷よりも妻を優先するべきだが」

「口を慎まれよ、連隊長ニヴィリューオウ。小隊長ルルヴルグは奴隷ではない。骸竜の戦士だ」


 ドルエルベニが鋭く諫めると、ニヴィリューオウは口を噤んだ。険しい目でドルエルベニを見据える。その目の色を喩えるなら、荒れ狂う雷火がぴったりだ。ドルエルベニが話の腰を折って、ルルヴルグを擁護したことが癪に障ったようだった。それでも自制心の手綱は手放さず、罵詈雑言を吐き散らかしたり、ドルエルベニの胸倉に掴みかかったりしないのは、流石、思慮深き連隊長といったところか。


 ニヴィリューオウはドルエルベニから目を逸らし、享楽に耽るルルヴルグ小隊の戦士達を眺めていた。腹に据えかねる怒りを宥めるために、そうする必要があったのだろう。  


 その間に、ドルエルベニはニヴィリューオウの提案を反芻した。


 ニヴィリューオウは、マムナリューカに見初められたドルエルベニが、喜ぶどころか困惑したのを、妹に対する侮辱と受け取ったのだろうか。


 ーーならば、不本意ながら、天塩にかけて育てたルルヴルグを、取るに足らない奴隷だと断言されることで、ドルエルベニが被る屈辱についても、理解して欲しいものだ


 マムナリューカは完全無欠の女だ。ニヴィリューオウによれば、マムナリューカはドルエルベニに好意を寄せているらしい。しかし、そもそもドルエルベニは、番を求めていない。ドルエルベニは師と交わした約束を果たすべく、ルルヴルグにかかりきりになっている。これ以上は手に負えそうになかった。


 やがてニヴィリューオウは言った。


「今すぐにとは言わぬ。マムナリューカのこと、考えてみてくれ。前向きに、な」


 ドルエルベニの返事を待たずに、ニヴィリューオウは踵を返す。ドルエルベニはニヴィリューオウの後を追った。


 そして彼を呼び止めようとした。問題を先送りにするのは、賢明ではないと考えたからだ。悪戯に気を持たせるのは、マムナリューカの為にも、ドルエルベニ自身の為にもならない。


 しかし、呼び止めることはかなわなかった。絹を裂くような女の声が聞こえた。


「あなた、ねぇ、そこのあなた! そこの、長い黒髪のあなた!」


 ドルエルベニは声のした方へ目を向けた。そこには木製の檻があった。四方を柵で囲い、天井部分に木板を接合した四面の枠をはめ込んだ構造の檻だ。真白い鼠が一心不乱に格子の根本を齧っている。


 持たざる者の女が、菫色の髪を振り乱し、檻の中から手を伸ばしている。その先には、骨付き肉に齧りついたまま目を丸くする、ルルヴルグがいた。


 この場で、持たざる者の言葉がわかるのは、ドルエルベニとルルヴルグくらいのものだろう。ドルエルベニの心臓は臆病な兎のように跳ねた。


 檻の中に閉じ込められた持たざる者と、檻の外にいるルルヴルグが見つめ合う。持たざる者は弱々しく痩せ細った声を弾ませる。


「良かった、言葉が通じるのね! ねぇ、お願い、この子を助けて! この子は、私の妹は、特別な娘なの。助けたくれたなら、きっとあなたのお役に立つわ! お願い、この子を助けてっ……!」


 檻の中には持たざる者がもうひとりいるようだ。ドルエルベニは鋭く舌打ちをする。


 持たざる者がルルヴルグの容姿だけを見て、仲間だと誤認して助けを求めてくることは、これまでに何度もあった。しかし。


 ーーなんと間が悪いことだ……!


 ドルエルベニはルルヴルグの周囲に視線を走らせる。案の定、ずらりと並んだ奴隷の品定めをしていたニヴィリューオウの取り巻き達の視線が、ルルヴルグに集中している。きっかけは何でも良いのだ。端から、彼等はルルヴルグを嫌悪している。貶めたくてうずうずしているのだ。


 奴隷の顎をとって値踏みしていたニヴィリューオウ連隊所属小隊長バジッゾヨが、虎人の商人に目配せして、嘲りもあらわに言い放つ。


「檻の外にいる仲間に助けを求めている」


 持たざる者の言葉はわからなくても、身振り手振りを見ていれば、持たざる者がルルヴルグに助けを求めていることは一目瞭然だった。


「『この子』はどうした?」

「檻の中に興味があるのだろう」


 バジッゾヨに続いてニヴィリューオウの取り巻き達が五人、ルルヴルグを取り囲み、笑いさざめく。ルルヴルグは目を眇め、肉を投げ捨てた。すっくと立ち上がり、剣の柄を握り直す。眉間にぎゅっと力を込めて、剣を背の剣帯におさめた。


 バジッゾヨはルルヴルグに近寄って、真上から見下ろした。怖ず臆せず、バジッゾヨを真っ直ぐに見上げるルルヴルグを、獲物をいたぶる鼬のような残忍な目で舐め回すように見て、舌舐めずりをする。


「檻の中に入ってみるか? 戦士の真似より、奴隷として跪く方が性に合うだろうよ。帰するところ、あのヴルグテッダを堕落させた淫婦の子なのだから」

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