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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
20/58

20.ドルエルベニ 「愚者こそ、愚行をおかすのだろう」

グロテスクな描写があります。ご注意願います。

 大陸で一二を争う美観を誇る大広場は、骸竜の侵攻によって蹂躙された。


 聳え立つ市庁舎には火が放たれ、松明のように明々と燃え盛る。尖塔の頂から、宝石の瞳で人々の営みを見下ろしていた天使の像は、地に堕ちて砕けた。瞳はくりぬかれ持ち去られ、ほの暗い眼窩を晒している。


 建ち並ぶギルドハウスは、手を繋ぎ輪になるこども達の姿に喩えられ、街の繁栄の象徴とされた。それが今や、数多の屍を詰め込まれた棺と化した。

 包丁や樽、一輪手押し車など、それぞれの職業をあらわし、誇らしげに輝いていた紋章は血塗られて、ぬらぬらしている。


 骸竜軍は変わり果てた大広場に軍営を敷いている。勝利の宴は大いに盛り上がっていた。石畳には持たざる者やその家畜の死骸を串刺しにした杭が突き立てられ、戦士達はそれらの血肉を貪りながら、己の武勇を誇り、戦友の健闘を称えている。


 軍営にはゴルドランの商人達が詰め掛け、そこかしこで露店を開く。その殆どが持たざる者を商品とする奴隷商である。枷に繋いだ奴隷を整列させる者、奴隷を詰め込んだ檻を陳列する者。中には、奴隷に悲鳴を上げさせて、戦士達の目を引こうとする者もいる。戦士達は露店を物色し、気に入った奴隷を買い求め、思い思いに楽しむ。


 向かって左手、広場の入口すぐの所で、ドルエルベニとルルヴルグが所属する小隊の戦士達が、持たざる者奴隷を嬲り物にしていた。


 穴という穴を犯される奴隷は、どうやら女であるようだ。切り裂かれ垂れ下がる肉垂れは、乳房の残骸なのだろう。抉られた眼窩から血と涙と精液を垂れ流す相貌から年齢を推察することは困難だが、僅かに残る皮膚には瑞々しいはりがある。若い女なのかもしれない。


 ルルヴルグの顔を瞥見すると、案の定、しかめ面をして、戦士達の乱痴気騒を睨んでいた。


 骸竜社会は戦士の序列を重んじる。下位の戦士は上位の戦士に服従するものだ。直属であれば尚更のこと。


 しかし、相手は直属の部下である前に、同じ掟に従う骸竜の戦士なのだ。戦士の嗜みとして享楽に耽る戦士を「徒に惨いやり方が気に入らない」などと叱るのは野暮と言うものである。


 ドルエルベニは馬首を右にめぐらせてルルヴルグの目を遮ると、戦士達から距離をとった。ドルエルベニの意図を汲んだのだろう。ルルヴルグは黙って付いて来る。


 広場の中央には、麦酒醸造業ギルドの象徴である黄金の木が生えている。その手前でドルエルベニは下馬した。馬上のルルヴルグはあたりを見回すと、大仰に肩を落とした。


「これは酷い。花絨毯が滅茶苦茶だ。大広場を埋め尽くす一面の花絨毯は、ドラゴンを打ち倒す守護天使の勇姿を描いたもので、一見の価値があると、ブブナとナララが教えてくれた。見物するのを楽しみにしていたのだが……残念だ。蹴散らされる前に見物しておくべきだったな」

「戦闘を放棄して物見遊山にうつつを抜かすような腰抜けは、首を引っこ抜いて頭を踏み潰す」


 適当にまぜっかえしつつ、ドルエルベニは苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。


 ブブナとナララと言うのは、ルルヴルグと懇意にしている番の行旅栗鼠(ポージーモーム)のことだ。

 ルルヴルグが骸竜の戦士となった頃から、骸竜軍の戦利品目当てで軍営にちょくちょく顔を出すようになった。


 行旅栗鼠とは獣人の一種族であり、外見は二足歩行する栗鼠そのものである。雄の成体でも、赤ん坊の頃のルルヴルグより一回り大きいくらいだ。


 骸竜の戦士は弱々しい小動物を嫌い、相手にしない。捻り潰されて、串に刺されて、小腹を満たす軽食に成り果てた行旅栗鼠は数知れず。懸命な行旅栗鼠ならば骸竜の軍営に寄り付かない。命知らずのごうつくばりでもない限りは。


 しかし、命知らずのごうつくばりだとしても、商いにならなければ、危険を冒して骸竜の軍営でうろちょろしようとは思うまい。番の行旅栗鼠が性懲りもなく骸竜の軍営に足を運ぶのは、ルルヴルグが彼らの相手をするからだ。


 行旅栗鼠は持たざる者相手に商いをする為、獣吼だけではなく持たざる者の言葉も操る。つまり、ルルヴルグと円滑に意志疎通をはかることが出来る。


 そもそも、ルルヴルグにとって、行旅栗鼠の商人は馴染み深い存在なのだ。ヴルグテッダは一時期、ルルヴルグの母親が所望する品物を調達する為に、行旅栗鼠の商人を贔屓にしていた。幼いルルヴルグは、小動物にするように、小さな行旅栗鼠を抱きしめ、可愛いと言って頬擦りしていた。


 ルルヴルグは一般的な骸竜のように小動物を嫌悪しない。寧ろ、幼い頃は小動物を好み、餌付けして手懐けては可愛がっていた。


 三つ子の魂なんとやらで、ルルヴルグは番の行旅栗鼠が寄って来ると、二匹を双肩に乗せて語らったり、戦利品と商品を交換したりしている。


 ドルエルベニは、ルルヴルグの小人じみた戯れを苦々しく思っている。しかし、番の行旅栗鼠が骸竜の暮らしでは手に入らない櫛や結紐など、ルルヴルグにとって役立つ品を用立てることは確かなので、ドルエルベニは彼等の交流を黙認しているのだ。「小動物と馴れ合うな。お前まで小動物に見えてくる」と言いたくなるのをぐっと堪えて。


 番の行旅栗鼠が此度の宴に駆け付けたなら、今頃、ルルヴルグを探しているだろう。番の行旅栗鼠と顔を合わせれば、ルルヴルグはドルエルベニに、番の行旅栗鼠に真珠を売ることを勧めるに決まっている。

 ルルヴルグに言わせると、番の行旅栗鼠は『良い品には良い値をつける、宝飾品の目利き』らしいから。


 ルルヴルグが「そう言えば、ブブナとナララの姿が見えぬ」などと言い出す前に、ドルエルベニは先手を打つことにした。


「行くぞ。いい加減、腹が減った」


 ドルエルベニは広場の入口あたりを指差して、彼処で待っていろと愛馬に命じると、ルルヴルグに背を向けてさっさと歩き出す。ルルヴルグは下馬し、ドルエルベニが愛馬に命じたように愛馬に命じた。


 あたりを見回すと、燃え盛る市庁舎のすぐ傍に、立派な雄牛を突き刺さした杭を見つけた。右隣の杭には丸々肥えた豚が突き刺さっている。炎に炙られて、表面に脂を滲ませていた。近くに、持たざる者を突き刺した杭はない。


 小走りでやって来て隣に並んだルルヴルグを見下ろして、串刺しにされた雄牛を指差す。


「ドルエルベニはあれにする」

「ルルヴルグは……そうだな、その右隣の豚にしよう」


 予想通りの答えである。


 ドルエルベニは雄牛を刺した杭を引き抜くと、地面に腰を下ろした。雄牛の腹に食らいつき、溢れ出す臓物を貪る。ルルヴルグを横目に見ると、ルルヴルグは串刺しにされた豚の背肉を剣で切り取っている。剣の切っ先に切り出した肉塊を刺して、火に近付ける。唇を尖らせて、肉塊を火に近付けたり遠ざけたりして、火加減を調節している。


 骸竜の多くは生肉を好む。新鮮な肉が手に入るなら、わざわざ加熱しようとはしない。


 ルルヴルグは生肉より火を通した肉を好む。また、獣肉は口にするが、持たざる者の肉は口にしない。傍で持たざる者を喰らう者があれば、目に見えて食欲を失くす。


 ルルヴルグは骸竜と持たざる者の混血児だが、その性質は持たざる者に似通っている。持たざる者は生肉を好まないらしいし、食人を禁忌としているらしい。持たざる者に限らず、大抵の場合、同族喰らいは禁忌であるが。


 食の好みにまで、いちいち文句をつけるつもりはない。ドルエルベニ自身、偏食のきらいがある。偏食を有事にまで持ち込むようなことが無い限り、各々の自由だろう。


 肉塊を焼き上げたルルヴルグが満足げな顔をしてドルエルベニの隣に腰を下ろす。肉塊を頬張るルルヴルグが時折「あつ、あつっ」と小声で言うので、情けない奴、と横目で見ながら黙々と食事をとる。


 出し抜けに、ルルヴルグがアッと声を上げる。今度はなんだと、うんざりしてルルヴルグを見やる。ルルヴルグは肉汁がはねて銀狐の毛皮が汚れたと肩を落とした。もともと持たざる者の血で汚れていると指摘してやると、ルルヴルグはそれもそうだと納得したようだ。騒がしい奴、と横目に見ながら黙々と食事を続ける。


 しばらくそうしていると、大広場の奥から喧騒の一部が近付いてくる。ドルエルベニが顔を上げると、喧騒の中心にいる戦士と目が合った。朗らかで楽しげに、仲間達と語り合っていた戦士は、ドルエルベニを視認すると喜色満面のようすで手を振った。


「そこにいたか、ドルエルベニ」


 戦士は仲間達に何事か言い置き、ドルエルベニに歩み寄る。ドルエルベニはすっくと立ち上がった。


連隊長(ガルチノヤン)ニヴィリューオウ」


 ドルエルベニとニヴィリューオウは同い年の幼なじみだ。幼い頃はしばしばスモフをとったり、戦ごっこをしたりして一緒に遊んだものだった。ドルエルベニがヴルグテッダに師事するようになるまでは。


 今となっては、若くして(ソヨグチ)連隊長(ガルチノヤン)を務めるニヴィリューオウと、一介の戦士に過ぎないドルエルベニとは、対等な立場ではない。


 骸竜は軍団編成において、左右両翼六軍の体制をとる。右翼に「ソヨグチ」「顎門(キョンギィ)」「(ウルヴ)」、左翼に「鉤爪(アンセムス)」「(バムドゥー)」「四肢(ラシータン)」、それぞれ三つの軍団を配備するのである。陣形は首領(ノヤン)を親衛する「心臓(ズーク)」を中央に鶴翼の陣を敷く。


 陣の両端にある右翼の(ソヨグチ)、左翼の鉤爪(アンセムス)が栄えある先鋒を務める。右翼の顎門(キョンギィ)、左翼の(バムドゥー)がそれに続き、右翼の(ウルヴ)、左翼の四肢(ラシータン)心臓(ズーク)に添いつつ敵を迎え撃つ。


 六軍のうち、花形は牙と鉤爪である。その連隊長ともなると、戦士達は一目も二目も置くのだ。


 ドルエルベニは礼儀をわきまえ、畏まってニヴィリューオウを迎える。ところが、幼時の親しみをそのまま持ち続けているニヴィリューオウは、気安い態度でドルエルベニの肩を叩く。


「友よ、敬称は不要だ。いつものように呼んでくれ」


 ドルエルベニは答えあぐねた。ニヴィリューオウは鷹揚な男だ。今も昔も変わらず、ドルエルベニと対等であることを望む。


 ニヴィリューオウは『戦士の優劣を決めるのは、階級ではなく実力だ』と言って憚らない。その通りだとドルエルベニも思う。序列を度外視すれば掟に背くことになるから、本来ならば大っぴらには言えない話だ。常識的に考えるならば。


 ーー良い漢なのだが……どうも大雑把だ


 しかし、ドルエルベニがそれを窘めるのは躊躇われた。

 ニヴィリューオウだって、小隊長に昇進したルルヴルグをこれっぽっちも敬わないドルエルベニに、とやかく言われる筋合いはないと思うだろうから。


 ドルエルベニが押し黙っていると、ニヴィリューオウは呵々と笑い、ドルエルベニの背を叩いた。


「律儀な漢よ、相変わらず。聞いたぞ。此度の戦でも、獅子奮迅の働きだったとか。流石はドルエルベニだ。ニヴィリューオウも友として鼻が高い」


 ドルエルベニは思わず知らず肩をすくめる。


 ーーせめて人目を避けることを覚えてくれればな


 先程から、ニヴィリューオウの仲間、基、取り巻き達の鋭い視線を感じる。さもありなん。尊敬するニヴィリューオウが、はみ出し者のドルエルベニごときを褒めそやすのを見聞きするのは面白くないだろう。


 そもそも、ニヴィリューオウが何かにつけてドルエルベニを気に掛けるので、ニヴィリューオウの取り巻き達はドルエルベニを快く思わない。当代きっての放蕩家だの、首領の七光りだのと、悪し様に言われることもある。


 取り巻き達の敵愾心がドルエルベニに向けられること自体、さしたる不都合はない。ドルエルベニは風評を気にしないし、罵詈雑言を真に受けない。決闘を申し込まれたところで、返り討ちに出来る自信がある。


 ここでも、懸念はルルヴルグのことだ。ドルエルベニに対する悪意が、ルルヴルグを巻き込むことだけは避けたい。


 ーードルエルベニには手を出せずとも、ルルヴルグにならばと考えるような卑怯者を、ニヴィリューオウが赦すとは思えぬが……それすらわからぬ愚者こそ、愚行をおかすのだろう

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