五十八話 足りないもの
いつの間にかホールの中央で足を止めていた二人は、周囲でゆったりと踊り続けている客の視線を集めている。
「……抱き合う?」
身に覚えのない事を言われてアルベルトは考えてしまった。
確かにカウペルス邸には足を運んだ。
妹は出掛ける約束が無しになって不貞腐れているし、親友は沈んでいて顔が怖いから気晴らしにと、あれもニコルに連れて行かれたのだ。
途中そのニコルが消えて、探す内に庭まで出た。
あの時はガートルードと二人だけだったから、そこだけ見たのなら誤解されるのもわかる。
だが抱き合ってはいない。
抱き合っていたのは、それは——
「……それは君の方だろう」
「私?」
思い出す。焼きついた光景と受け入れ難い結論を。
「確かにいたよ、あの庭園に。あれもニコルと三人で行ったが、途中で奴が消えたから二人に見えたのだろう。だが抱き合ってなどいない。抱き合っていたのは君の方だ」
「……何の事を仰ってるの?」
「あの日もロドニーといただろう? 俺も見た。君達が抱き合う姿を」
驚く、もしくは悪びれるか開き直る。
そう予測していたアルベルトだったが、フェリシアは不思議そうな表情を浮かべ記憶を辿る素振りを見せただけだった。
「仰る通り、あのお庭にロドニーといました。でも……抱き合う? 何のことですか?」
「……知らぬで通すのか」
「通すも何も、そんなことしておりません」
予想外の反応にアルベルトは困惑した。
目の前のフェリシアは嘘を吐いて取り繕っている様にも、とぼけている様にも見えない。純粋に覚えがない目をしている。
けれど自身の記憶の中には鮮明に、抱き合う二人が焼き付いているのだ。
また、記憶の中のフェリシアと目の前のフェリシアが乖離していく。
アルベルトは握ったままだったフェリシアの手を離して、ぽつりと呟いた。
「……もう君がわからない」
「わからない?」
それはフェリシアの方こそずっとアルベルトに対して思っていた事だ。
フェリシアがどれだけの醜態を晒しても変わらず優しいままでいる。
ずっと婚約者の顔でいて、ガートルードとの仲が明白になった今でさえ婚約解消を言い出しはしない。
何度考えてもわからない。
わからないから夢を見て期待して、そして苦しくなってしまうのだ。
だからもう全部忘れたかったのに、どうして思い出させる様に、焦がれてきた通りの婚約者の顔をし続けるのか。
胸の奥を燃やす炎は、ずっと抱えて来た気持ちにまで火をつけた。
「……わからないのはアルベルト様の方です! どうしていつまでも私を気にかけるの? 私が誰と何処で何をしていようとどうでもいいのではなくて⁈ 特に今日なんて、放っておいてくださればお互い良い口実になりましたのにどうして⁈」
フェリシアがまた急に爆発した様に見えたアルベルトは、ますます混乱する。
「こんな場所にいると知って放っておけるわけないだろう⁈」
「それは旧知の仲としての忠告? それとも婚約者の義務? 父に義理立てていらっしゃるならお気になさらずに結構ですよ! 私に問題があるんだときちんと話しますからご心配もいりません! その為の何もかもですもの。それでいいってもう決めたのに。そうしなきゃ皆不幸になるんだもの、幸せになって欲しいからって。それなのに、いつまでも婚約者のふりをし続けないで! ずっと優しいままでいないで! 勘違いさせ続けるなんてそんなの狡い!」
ハーフアップに纏めた髪を乱して叫び、フェリシアは思わずアルベルトを突き飛ばす様に押した。
けれど当然、華奢な細腕で頑強な体躯を持つアルベルトをよろめかせる事など出来ず、固い胸に両手を弱々しく叩きつけただけになった。
「……義務に、ふり? さっきから……いいや、ここ最近ずっとだ。何の話しをしてるんだ。君の行動も言動も一つもわからない」
周囲で踊っていた者も談笑していた者も、二人の応酬にいつの間にか足もお喋りも止め、遠巻きに視線を注いでいる。
そんな中、俯いたフェリシアはか細い声で呟いた。
「……私もです。あなたが少しもわからない。こんなに醜いのに。そんなに想っていらっしゃるのに。どうして私を振ってくれないのか」
「……ふる?」
「ええ、そうです……」
フェリシアは、様子を窺おうと身を屈めたアルベルトへ顔を向けると言った。
「あなたの心にガートルード嬢がいらっしゃると知った時から、今日までずっと振られようとしてきたのに。お父様のせいで婚約解消を言い出せないのなら、私が酷い婚約者になって、周りにだって振られても仕方ないって思われるようにしてきたのに。幸せになって欲しいから別れなくちゃいけないってわかってるの。それでもどうしても言い出せないから、あなたに振られたかったのに、それなのにどうして私に優しくし続けるの? どうして振ってくれないの⁈ どうして婚約者のままでいるの⁈」
想定の遥か外側を行く言葉を投げられて、アルベルトは一瞬思考が止まって理解が遅れてしまった。
いつからガートルードとの仲を誤解していたものか。
フェリシアの今までの不可思議な言動や行動は全て、振られたいが為のものだったという。
だとしたら、やはり自分は何もわかっていなかった、とアルベルトは思い至る。
時に愛で、時に悩まされたフェリシアのあのわけの分からなさは、結局のところ自分の態度や言葉の足りなさの積み重ねが招いた誤解からだったのだから。
ニコルに言われた言葉達がここへ来て一気に突き刺さる。
つもりでいた物はやはり伝わっていなかった。
フェリシアが乖離したのではない。
己の慢心と鈍感さが目を曇らせて、眼前で不安定になっていくフェリシアを見ていなかっただけだった。
アルベルトは気づけない己の情け無さと悔やむ気持ちから、ギギッと拳を握り歯を食いしばる。
大事にしたからこその行動で大事なものを傷つけた。二人の未来の為にとした事が独りよがりでしかなかった。
だが、フェリシアが何を考えていたかが分かった今、足りなかった物に気づいた今、しなければいけない事は分かる。
違うのだと。
今言った事は全て誤解であり、愛しているのはフェリシア一人なのだと抱きしめて伝えなければいけない。
そうしなければと思うのに、アルベルトの身体は硬直し、喉も絞められた様に息が詰まって声が出ない。
振り仰いだフェリシアの仮面の奥の瞳から、零れ落ちる物を見てしまったから。
目を見開いたまま何も答えないアルベルトを見上げて、フェリシアは静かに身体を離すと言った。
「……振ってくださいアルベルト様。どうぞ婚約の解消を。私があなたの幸せを願っていられるうちに」
悩んでると衝動的に消しそうになるから不恰好でも最後までと叫んで勢いでいく。結局衝動に支配されてる
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