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五十四話 決別の一歩


「……どうしてここに?」


 問いかけと言うよりは独り言のように呟かれた声にハッとして、目の前にいるのはアルベルトなのだとフェリシアは現実を認識する。


 どうして、とはフェリシアだってアルベルトに対して疑問に思うことだ。

 ここが自分の知るような夜会ではないのだとフェリシアも気づいている。


 酒の香りと共に会場内に漂う淫猥な雰囲気。いくら舞踏会といえど男女の距離が近く、人目も気にせず女性はしなだれ掛かり男性は腰に手を回す。あちこちであがる享楽の笑い声に挟まる嬌声。

 明かりを押さえた薄暗いダンスホールに蠢いているのはきっと淫靡な世界だ。


 そんな場所にこの人はいて、隣には彼女が立っている。


 そうか、とフェリシアは仮面の下で眉根を寄せた。


 疑問に思うことなどなかった。

 ここは全ての立場を忘れて自由に出来る場所なのだそうだから、二人とてそうなのだ。

 婚約を控えた立場も結ばれない運命も忘れて、ただ名もなき男女になる為に二人は連れ立ってこの夜会に来ている。


 悟ったフェリシアは並ぶ二人から目を逸らし、黙ったままダンスホールへと身を翻した。 


「フェリシア!」


 裾に向かって青くグラデーションの掛かった白いドレスをはためかせ、フェリシアはダンスホールへと消えた。

 引き止めようと踏み出したアルベルトだったが、正面から遮るように妖艶な女性が現れた。


「いけないわ騎士様。ここでは皆、名など持たないの。全てのしがらみを忘れて、心に自由になる場所なのだから」

「そうですよ赤髪の騎士殿。無粋な真似は連れて来た私の恥になるんですから。わかったら隣のご令嬢を見張って大人しくしててくれよな」


 どこかで見た気がする妖艶な女性の肩を抱いて、ニコルはそう言ってからじゃあね、と微笑みホールへと向かってしまった。


「あ! ちょっと、お兄様! アルベルト様、お兄様が行ってしまうわ!」


 隣でガートルードが叫んだが、アルベルトの頭からはニコルの監視もガートルードの保護も吹き飛んでいる。


 フェリシアがこの場にいた。


 いくら仮面で隠していようとフェリシアを見間違うことはない。人違いなどではなく、あれはフェリシアだった。


 何故、どうやってここに。

 わからないことだらけだが、疑問よりも頭の中を占める事がある。


「どうしましょう……。こちらは何だか私の知っている夜会とは雰囲気が違う気がします。兄様を追わなければならないけど……足を踏み入れては何かが起こりそうで……怖いわアルベルト様」


 ガートルードが怯えた様に腕にしがみ付いて来た。


 彼女の言う通りここは普通の社交場とは違う。噂通り男女のいかがわしい交流が行われている場所だと漂う空気がそう告げている。

 そんな場所にフェリシアがいるとわかって放ってはおけない。


「ガーダ、ここを動くな。誰とも話さず、しつこい者がいたらすぐ外に出て舟に乗って先に帰るんだ。いいな」


 アルベルトは絡められたガートルードの腕を解いて言い置くと、薄暗がりの世界を睨み付けて隣室へと足を向けた。


「え? そんなアルベルト様! お待ちに……」


 とガートルードはアルベルトの背に呼びかけたが、その口許には笑みが浮かんでいた。


「……こわぁいお顔。置いてかれちゃったけど、ま、いいでしょう。さてさて……振られる瞬間でも見てやろうかしらね、小鳥ちゃん」


 ガートルードはそう言うと、軽い足取りでフェリシアとアルベルトのいるホールへと移動した。

 


 *

 


 ドクンドクン鳴る心臓の音はこの場に対する緊張からか、寄り添うように並んでいたアルベルトとガートルードを目にしたからか。 


 ある種の興奮状態であることは確かだが、フェリシアの頭の芯の部分は冷静だった。


アルベルトに対して甘えた気持ちはもう残っていないし夢など見ない。二人の関係は間違いなくそうなのだとよく分かった。

 だから胸の穴を風が通り抜けるような虚しさはあるが、この場での邂逅も取り乱すことなく受け止められている。


 ただ少し、ここがどういった場所か把握出来た今、その答え合わせが想定よりも衝撃的だっただけだ。

 それ故の鼓動の乱れに過ぎない。


 そう気持ちを整理したフェリシアは足を止めて深呼吸する。


「少し驚いたけど……そういう事ならここでアルベルト様にお会いしたのは好都合かもしれない。今日この場で私の醜い婚約者ぶりを示す事が出来れば、こちらから婚約解消を言い出しても不思議には思われないし、アルベルト様から切り出されるにしても良い口実になるはずだわ。そうしたらお父様にも私にも気兼ねなく、あの方と幸せになっていただける。今日のこの日をお互いが納得して決別する日にする為に、私、精一杯、不貞するわ!」


 フェリシアはホールの壁際まで来ると薄明かりの下に立った。

 ホールに流れるしっとりした音楽に合わせて中央で蠢く重なった影達に目を向けながら、声をかけてもらえるよう凛として。

 アルベルトの前で不貞して見せて決別し、夢見た日々さえも忘れる為に。


 フェリシアはぎゅっと唇を結んでその時を待った。


「こんばんは、お嬢さん。お一人ですか」


 程なくしてその時は来た。


 瞬間的に心臓が跳ねたがゆっくり息を吐いて落ち着ける。治まってきた所で声の方へ振り向くと、暗がりでも映える白っぽい髪をした長身の男性が笑いかけていた。


「よろしければ一曲ご一緒願えますか?」


 穏やかな語り口と所作。酒に酔っている様子もない。

 会場内にそこはかとなく漂う乱れた空気感に怯んでいたフェリシアは、この人ならば落ち着いて話が出来そうだとほんの少し安堵する。


 見ず知らずの人を自分の目的の為に巻き込むのは気が引けたが、仮面を付けて名前も伏せるこの状況なら相手に迷惑を掛けずに済むだろう。

 フェリシアは心の中で相手に謝罪しながら応じた。


「ええ、もちろんです。お誘い頂けて光栄ですわ。けれど……あの……私、ダンスよりもお話がしたいのです。二人だけで、ゆっくりと」


 懇願するように見上げると、男性は少し驚いた顔をしている様に見えたが、すぐに最初と同じ笑顔に戻った。


「そうですか。中々積極的なご令嬢だ。貴女のような方なら一度お会いしたら忘れないと思うのですが、初めてお見かけしますよね? それともこういった会にはよく?」


「いいえ、今日が初めてです。ですから何もわからなくて……お恥ずかしい。やはり舞踏会なのですから、いきなり二人きりでお話したいだなんて不躾な申し出でしたかしら?」


 普段顔を出す社交場では常に父が隣にいて知り合いしかいない。礼儀作法はあれど気心の知れた仲での会に慣れたフェリシアは少し不安になる。


 薄暗い中仮面を付けた男性の表情ははっきりとは読み取れない。

 しかし口角が持ち上がっているので怒ってはいないようだった。


「……いいえ、そんなことは。初めてでその積極性とは楽しみですよ。ですが初めてとあれば色々とご不安でしょうから、手取り足取り始めから終わりまでここでの楽しみ方をお教えしましょう。では行きましょうか、二人きりになれる場所へ」


 男性は背中に手を回し囁く様にそう言うと、ホールの端の二階へ続く階段へとフェリシアを誘った。


「あ、待って下さい! 部屋に入ってしまったら見て頂けないわ」


「見っ——⁈」


 フェリシアの発言に男性がギョッとした風な声をあげて視線を向けた。


「ええ、私見られたいんです。あなたと二人きりでいる場面を。ですから薄暗い中でもそうと分かる、なるべく人目につく場所でお話がしたいのです」


 男性は口許を手で隠して数度咳払いをすると笑みを作り直した。


「そこまでとは……わかりました。ではテラスは如何ですか? 今日は月明かりがありますから、薄暗い室内からはきっとよく見えると思いますよ」


「テラス……そうですね、そうします。ごめんなさい、お会いしたばかりなのにわがままを聞いていただくばかりで……。けれど声をかけて下さった方があなたの様にお優しい方で良かった」


「私も同じ思いですよ。貴女の様な大胆で奔放な方に出会えた今宵に感謝を。まだまだ夜会は始まったばかりですから、時間が許す限り大いに楽しみましょう。二人で」


 にっこり笑いかけた男性は、デコルテが大きく開いている為露出気味のフェリシアの華奢な肩を抱き、テラスの方へと身を翻そうとした。


 その時、フェリシアの肩に置かれた男性の手をガッと乱暴に掴む者が現れた。


「失礼、騎士殿。彼女は私と先約が」


 静かに、荒げてはいないが怒りの籠もっていると分かる低い声。


 男の手を掴みそう告げたのは、仮面でも隠せない傷跡を顔に刻んだアルベルトだった。

お読みいただきありがとうございます。

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