十一話 赤毛の狼は今日も怖い
ダァンッと訓練場に兵士が打ち倒された音が響いた。弾き飛ばされた模擬剣がガランガランと音を立てて床に落ち、足元に飛んできたのでカミルはそれを踏ん付けて止めた。
「……おい、すげぇな。いつになく気迫が籠ってる」
「目が据わってないか? よっぽど虫の居所が悪いんだな……」
周りの兵士達がそうヒソヒソと恐怖を口にするのは、訓練場の真ん中で稽古の名目で次々に兵士を打ち倒している赤髪の騎士アルベルトの事だった。
「おいおい、何があったんだよ……あんなに怒ってるなんて」
「怒ってない。あれはすごく嬉しい」
片言でそう言った褐色の肌に黒と金が斑に混ざった髪を持った少年は、踏み付けた足下の剣を器用に足先で浮かして真上に蹴り上げるとパシッと空中でそれをキャッチした。
「嬉しいって……喜んでるのか? そうは見えねぇよ、あんなおっかない顔して気迫バリバリで」
「嬉しい、だから怒ってる」
「なんだよどっちだよ、結局怒ってんなら怖い事に変わりな——」
「次の者! 構えろ!」
アルベルトが訓練場の中央から周囲で傍観していた兵士達に呼び掛けた。
「ひえっ……カミルお前行けって!」
「いやだ。俺死にたくない」
「俺だって嫌だよ! やっぱあれ怒ってんだろ! 発散してるんだよ俺達で!」
「早くしないか!」
獣の咆哮の様なアルベルトの再度の呼び掛けに、早くも膝を震わせてカミルと話していた兵士が中央に向かって行った。カミルはそれを見て呟いた。
『怒ってるわけじゃない。とっても喜んで浮かれてるから、そんな自分を戒めようとしてる。この国の言葉で説明するの難しい』
王国で使われている公用語とは違う文化圏の言葉を使ったカミルは、吹っ飛ばされた兵士を憐みの目で見やり、次は我が身と覚悟した。
全員を二巡してもう立ちあがれる者がいなくなったので、アルベルトは漸く訓練場を後にした。外に出たところで怠そうな拍手が側から送られた。
「気合が入ってるねぇアル君」
「……お前も暇なら鍛えたらどうだニコル」
ニコルと呼ばれた亜麻色の髪をして仕立ての良い服を着た男は拍手同様怠そうに言った。
「やだよ、せっかく友達の所にお泊まりに来てるのに、なんで訓練しなきゃいけないのさ。俺は傷付いた心を労ってる最中なんだから」
「何が傷付いただ自業自得だろう。何股もかけるから毎度修羅場になるんだろうが。その度に逃げてこられてもフォローする気にならん」
スタスタと館へ戻ろうとするアルベルトの後をニコルもヘラヘラしてついて来る。
ニコルは父の戦友の息子で、アルベルトとは父を通じて幼い頃から交流のある友だった。数年前に戦時中の怪我が元で亡くなった父親の後を継いで、現在では若くして領主となっているのだが、女癖が悪くてよくトラブルを起こしては事後処理の間アルベルトの下へと逃げて来る困った人物だった。
「しょうがないじゃぁん。俺が魅力的過ぎるんだから。する気はないのに群がってくるんだもーん、そりゃぁ摘まんじゃうでしょ?」
「騎士として日頃から心身をきちんと鍛えておけば、どんな状況に置かれようとも惑うことなどない」
振り返る事も足を緩める事もなく、アルベルトは冷たく言い放った。ニコルは、ふぅんと不服そうな顔をした。
「惑わないねぇ。今まさに惑ってるくせに。浮かれちゃってんのを必死に抑えようと訓練に託けて暴れて、どの口が言うんだよ」
ニコルに指摘されてアルベルトは初めて足を止めた。そして目つき鋭く振り返るとニコルを射殺す様に睨んだ。
「うわっこわっ! マジお前顔怖いっ! 上背あって髪も赤いから威圧的で、目つき悪くて口もデカくて普通にしてても怖いのに、顔にエグい傷いってから更に怖い! あだ名通りだな血濡れ狼」
そう、アルベルトの風貌は端的に言って怖かった。
釣り上がった目は眼光鋭くギョロついて、口も大きく尖った八重歯のせいか獰猛な獣の様に見える。そこへ来て左顔面に縦に大きく裂かれた傷まであるのだから尚更だ。
顔貌に劣らず体格だって、平均より遥かに高い身長としっかり鍛えている身体のせいで立っているだけで威圧感がある。そして何より珍しい真っ赤な髪が硬い髪質も相まって攻撃的に見えるのだ。
それこそ鋭い牙持つ狼のように。
「止めろその呼び方!」
戦場での勇猛さと真っ赤な髪から、返り血で染まったと揶揄されて付けられた不名誉なあだ名で呼ぶニコルに向かって、アルベルトが吠えたが吠えられた方は全く意に介していない様子だ。
「そんなにカリカリすんなって。浮かれて悪いなんて誰も言ってないだろ? ほら、聞いてあげるよ。俺の方が三つも年上だからさ。背はお前の方が高いけど」
「三十も目前で落ち着きのない年上に話すことなどない」
「可愛くないなぁ……。可愛いのは大事な婚約者の前でだけか」
ニコルはそう言って整った優男系王子様顔で笑って見せた。
対して、目つきの鋭いアルベルトは何かを言い返す代わりに顔を思いっきり顰めてニコルを睨んだ。
「怖い顔して……婚約者の話になると照れちゃって可愛いね。分かるよ、付き合い長いからね。浮かれてるのは彼女の事でしょ? おめでとう、ついにキスした?」
「してない」
「え? じゃあ、ハグだ。ぎゅって」
「……してない。俺はレイフォード公との約束に反する事はしていない」
「えぇ? キスもハグもしてなくて、だったら何に浮かれてるのさ」
ニコルが解せないと言うように大仰に驚いて見せると、アルベルトは少しだけ表情を緩めて言った。
「待ってたって。早く会いたかったって言われた。そんな事を口にする人じゃなかったから」
他人が見たら怒っている様にしか見えないが長い付き合いのニコルには分かる。この怖い顔の男が今、物凄く照れているのだと。
「……それだけ? それだけで浮かれてるの?」
「あと、手を握ったし、それに、まぁ色々……」
ますます怒っている様に見える顔をするアルベルトにニコルは呆れた声を出す。
「それだけであんな鬼みたいな訓練するほど浮かれてたの? いい年の男が? 本当純情だねアルベルト」
「うるさいお前が汚れ過ぎてるんだ!」
アルベルトは踵を返すとニコルを置いていく様にまたスタスタと歩き出した。だがニコルもまたヘラヘラとついていく。
「いやいや、お前の真面目さに感服してるんだよ。いくらあの戦鬼って呼ばれた公爵閣下の言い付けとはいえ、律儀に今日までキスの一つもせずに耐えてるんだから。俺なら隠れてしちゃうね、どこまでも」
「お前は閣下がどれ程恐ろしいか知らないから言えるんだ。訓練とあらば子どもにも容赦ないんだぞ。それに俺は騎士だから約束は守る。フェリシアが成人するまでは絶対に手は出さない。手を握るのだって本当はギリギリアウトかもしれないんだ」
「よくそれで気持ちが続くよね、信じらんない」
「お前が邪な心しか持ち合わせていないからそう思うんだ。本当に心から愛していれば何の進展もなく例え触れられなくたって、愛しいと思い続けられる」
でも、とアルベルトが急に足を止めたので、フラフラついて来ていたニコルはその背にぶつかった。
「止まるなら言ってよ」
「……あと一月半。この一月半を我慢すれば、やっと……」
アルベルトは自身の傷だらけの無骨な手を見て言った。
「やっとこの手に、フェリシアを抱ける」
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