018
ためらい無くラースの言葉に逆らったディアスに対して、クレーモラは目を細めた。流石に語気を荒げるような事はしないものの、不快に思っていることは十分に伝わってくる表情だ。
「我が元につくことが気に食わないとでもいうのか?お前の望んだ女は私の物とするつもりだった女だ。そいつをくれてやってもその気は起きないと」
クレーモラはあまり気の長い方では無いらしい。静かな口調だが、威圧するそれへと変わっていた。
「お言葉ですが、あのような運用をする奴隷部隊にその身を預けるとは到底意中の女性にするものとは思えませんが」
一方のディアスも静かな怒りを抱いていた。件の少女だけではなく、獣人全体に対する無体な仕打ちは、彼の若い正義感を刺激するには十二分に過ぎるものである。彼は不条理には徹底的に反抗する。それは相手が為政者だろうが野盗だろうが同じことだ。
「ふん。あやつは手を触れれば自害するとまで言いおった。少し恐怖の中に放り込んでやれば、心積もりも変わるかもしれんと思ったまでよ。おい、あの女を連れて来い」
傲岸な表情でそう言い切り、皮肉げな笑みを浮かべて近衛の戦士に命ずるクレーモラ。刺繍の施された豪奢な外套を翻して一礼すると、戦士は扉の奥に消えていく。
(こんな餓鬼みたいな事を平気で言う男が為政者か)
そう考えながらも何も言わないディアス。セヴェリに言われたとおり、無闇に喧嘩を売って良い相手でもなし、現在は人質を取られているのも同然とあればなおさらだ。
最初から用意がされていたのか、すぐに近衛は耳の尖った少女を連れて戻ってきた。
「おい。この男がお前を欲しがっているぞ。新しい主はこいつだ…どうだ、いい女だろうが。この耳が無ければ姫君でも通るような女だ」
そういうとディアスの方へ出ろとでも言うようにくいと顎をしゃくり、つまらなさげに鼻を鳴らすラース。自分の物にしたかった相手を譲るのだ、気分がいいものでもないだろう。
少女はディアスの側に歩み寄りながらも無表情に徹しており、その内心は図り知ることが出来ない。だが、新しい主と言われたときに僅かに拳を握り締めた。それを見たディアスはとっさに口を開く。
「確かに私は彼女の身柄を求めました。だがそれは彼女を奴隷にするためでは無い。奴隷から解放するためです。お間違えなきよう」
「はっ!きれいごとを。まぁ良い…これでお前の望みはかなえてやった。それでも我が戦士とならんのか」
大げさに肩をすくめあざ笑うように言い放つクレーモラだが、その目は苛立ちと残忍さによって燐光を放つようだ。だがディアスの答えは決まっている。
「私が最も欲するのは自身の行き先を自由に決める権利です。あなたの部下になることはそれに反する」
いっそ冷たく言い放つ。その瞬間、クレーモラは帷子をじゃらりと鳴らして立ち上がった。
「そうか。だがわしも自分の意を曲げるのが嫌いでなぁ!貴様はせっかくの機会を棒に振ったのだ。貴様が戦士にならんというなら、どうだ、奴隷に落としてやろう!」
その言葉と共に空気が一気に変質した。近衛の兵やメルクラース達が次々と剣を抜き放ち、奥の扉や先ほど入ってきた大扉からも続々と完全武装の戦士達が乱入してくる。瞬く間にディアスは包囲された。
ラース・クレーモラは元よりこうするつもりだった様だ。少女を庇っては流石のディアスも大立ち回りと言う訳にも行かないと踏んで、わざわざ少女の身柄を渡したのだろう。だが。
重い金属音が毛足の長い絨毯を貫いて響く。膝を突いていたディアスは瞬時に大刃ヒヒの槍を取って立ち上がり、その石突を打ち付けたのだ。
「お前達の主は愚かにもこうすれば俺が服従すると思っていた様だ!だが俺は必要とあらばお前達を皆殺しにしてもここから帰る。大刃ヒヒを己も討ち果たせると思うものは前に出ろ!!」
ディアスは清々したとでも言うような表情で大音声で呼ばわった。押さえつけていた怒りの火が空気を送り込まれたかのように燃え盛り、今にも胸を割って噴出して来るように感じる。それを解き放つのはある種の快楽であった。
「お前達!その槍を叩き落した者には望む褒美を与えるぞ!かかれ!」
ヒステリックに怒鳴るクレーモラだが、少女を庇うように槍を突き出し挑発とすら言える物言いを受けても、動ける戦士は居なかった。当然であろうが、数で押し包んでどうにかなる相手と考えるほど戦士達は楽観的では無かったようだ。
「ラースよ。俺は俺の意思でここから帰らせてもらう。戦士達を無駄死にさせたくなければ下げることだ。俺が歩き出す前に!」
もはや仮初めの敬意すら纏わず殺意を叩きつけるようにディアスが口を開くと圧倒されたのか、一歩後退するクレーモラ。
「…ここはわしの街だ。後悔するぞ、亜人風情が」
「しないさ」
くるりと大扉の側に槍を向け歩き出すディアスと、無言でそれに追従する少女。じりじりと戦士達の壁が後退し、ついには二つに分かれた。異様な静寂の中、抜き身の刃の双璧の間をディアスはためらい無く歩き謁見の間から去っていった。
城を出るまで、結局戦士達は手出しする事が無かった。今日は人通りの少ないメインストリートを歩きながらディアスは黙ったまま着いて来る少女に声をかける。
「…聞かされているかも知れないが、俺の名前はディアス。ディアス・マキシマだ。短い付き合いになるかも知れないが、よろしくな」
そう言われると少女は不思議そうな表情で首をかしげる。
「私はトゥーラリア・ハルバレム(ハルバ村の子トゥーラリア)です。ディアスさん。あなたは先ほども奴隷から解放するためと言っていましたが、どういうつもりですか?」
「どういうつもりも…君も有能な戦士に見えるからな。俺は君に戦士として仲間になって欲しいと思っているが、君が拒否するなら今後の生活の糧を保障して別れるつもりだ。」
はっとした表情で黄金の瞳を見開いたトゥーラリアは、疑わしげに目を細めて足を速め、ディアスの横に並んで歩き出すと聞き募る。四メルク近いディアスに対して三メルクと少ししかない彼女は、くいと視線を上げてディアスの表情を見つめた。
「何故、私が戦士だと?」
「討伐部隊に組み込まれていた獣人達の中で、多くのものが絶望しながら行軍していた。だが君は生き抜こうとする明確な戦意を見せていたから…そう思っただけだ」
「確かに私は戦うすべを持っています…槍や斧ではなく、弓ですが。でもそんな事の為に?」
疑わしげに問う少女に、ディアスは照れたようにそっぽを向いて、早口で答える。
「昂然と顔を上げていた君が気高く見えて……何というか、気に入ったんだ、その目つきというか」
人によっては殆ど告白と取られかねない発言に、少女は目を丸く見開いた後、小さく微笑んだ。横を歩く男は恐るべき戦士のはずなのに、無垢な少年の様なその態度に可愛らしく感じたのかもしれない。
「ふふ…私はあなたと共に行きます、ディアスさん。私の事はトゥーラと呼んでください」
「…ありがとう。ディアスで良いよ、トゥーラ」
ディアスは顔を逸らしたままだったため、その微笑を見逃してしまった。
デニサの大鍋亭についたころには随分と時間が経っていたらしく、陽が傾いていた。カウンターに落ち着かない様子でセヴェリが腰掛けコリンガを煽っているのを見て、ディアスは少し笑った後陽気に声をかける。
「やあ。戻ったよ。ちゃんと要求を認めてもらってな」
「おお、そいつは良かった!俺はまた、お前が余計なことを口にしちゃ居ないかとひやひやしてたぜ。その娘が愛しの君か?」
随分と呑んでいたらしく、陽気に笑ってばんばんと肩を叩くセヴェリ。かなり心配してくれていたのだろうが、残念ながらその心配は杞憂とはならなかったようだ。
「誤解を招く発言は止せよ。まぁ部屋で話そう。色々あったからな」
「…色々だぁ?」
不穏な一言を口にして部屋へと入っていくディアスとぺこりと頭を下げてその後を追う少女に、セヴェリは嫌な予感が止まらなかった。
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踏んでいただくとこの小説の戦力が向上するみたいです。(良く分かってない)
良ければよろしくお願いします。