6 三日目。栃木・福島(5)
そして5時ごろ、蘭とランデブーです。
「待たせちゃった? これでも急いで来たんだよ!」
ケンケンから降りながら元気な声をかけてきます。
なんとも――場が一気に華やぎます。行としては少し悔しくもあり、大きく嬉しくもあるのでした。
「もっとゆっくり楽しんでくれてもよかったんですよ」
「十分堪能したよ! それに――」
頬を染めて、
「ここ桧原湖で早く……コオと一緒に、――観光したかったし!」
行もわかりやすく赤くなって、コホン、と咳払い。左手を差し伸べたのでした。
「少し、歩きませんか……?」
蘭は右手を差し伸べて答えます。
「喜んで……」
二人は手をつないで、ゆっくりと、湖畔を散策したのでありました。その後ろに従うのは、何もしなくても自分で歩いて付いて来てくれる化けギツネの二頭で、この世界の実にいいところです。
桧原湖は湖面も静か。ひやりとするほど透明に青く、そして。中央遠くに、空にとんがった磐梯山。湖にもその影を、突き刺していたのでありました。
「うわぁ、なんとも、いえ、これは、すごく綺麗な、湖ですね……!」
行が、まるで生まれて初めて見たように言うのでした。
蘭が笑いました。
「まるで生まれて初めて見たように言うんだから! ここに来る途中で、タップリ見れたんでしょ?」
「そんなにヘンでしたか?」
笑って誤魔化した行でした。貴女と一緒に見るために、あえて視線をそらして来たのですよ、なんて、恥ずかしくて言えるわけありません。
「ランは、今日はどんなルートで来たの?」話題転換でした。
「それそれ――」
彼女も見せたかったのでしょう、パムホを操作して答えてくれたのでした。
「……よくぞ、こんなルートを見つけましたね」
行の正直な感想でした。
「特に、那須岳から猪苗代湖に至る道筋がドラマチックです」
「東側は(ゾーンアウトで)道ないし、西側は著しく遠回りだし。それしかなかった、というのが実情よ。一部、ダートだったけど、逆に走りが楽しかったわ」
「そのあとの、猪苗代湖からここに至るまでのルートも、ゴージャスです」
「できるだけ欲張ってみたの。よくやったと自分を褒めたいくらい」
「で、どうでした? 湖?」
その問いを待ってたのか、蘭はそれはもう、目をキラキラさせて、興奮して話し始めたのでした。左手をギュッとしてきます。まるで、逃がさないから、という意思の表れのようであり、実際その通りなのでしょう――
「とっても不思議だった!」
第一声がそれでした。
「なんで湖の水って、地面に染み込んで消えてなくならないのかしら!?」
「そう言えば、そうですね……。言われてみれば……なんでだろう」
奇跡でしょうか、というロマンチック病まる出しの言葉を口にしかけ、蘭に先を越されます。
「ねえ湖って」
「はい」
「人間の体に似ていると思わない?」
「――」
もちろん、今はとことん蘭に付き合う気まんまんの行だったのです。
でも、人体に似ているって、どういうことなんでしょう?
ひょっとして、体の一部、ある器官が、(形か性質かわかりませんが)似通っている、というのでしょうか?
では、体のどこが、湖と象徴されてしかるべきでしょう。
――目か? と思い至りました。
しかしながら、せっかく短時間でそこまで考え抜いたのに、それを言葉にする前に、蘭にまた先を越されたのでした。
「――それは“心”よ!」
「――」
振り回されることに、もはや快感すら感ずる行くんだったのです。
「心は、その時々によって、肉体の表面に現れるんだわ。顔や胸や、おなか、腕、手のひらなどに。あるときは広く、美しく。またあるときは、神秘なまでにひっそりと……」
彼女自身は、ウットリとしています。
“南”や“北”の、または“噴火口跡”の、あるいは“干拓”された心もあるんだろうな、とは行の密かな思考でしたが、もちろん無言。今は心から蘭に付き合うのです。
「湖は日本の心の現れです――」
続けて、
「湖も自分の心も、いつまでも美しく、瑞々しく保ちたいものですね……」
うまくまとめたのでした。
良さそうな所で、コン吉とケンケンを泳がせました。水温が低い上に、元自転車です。そもそも水に浸けて大丈夫なのかと不安だったのですが、さすがMTB、むしろ喜んで泳ぎに興じたのでした。
上がらせたあと、ブルブルさせ、タオルで水気をとり、こっそり買い求めていた“油揚げ”の包みを見せてやります。そしたらもう、二頭とも身を乗り出し、目を見張り、唾をたらりと垂らす興奮ぐあいです。
食わせてやれば、その瞬間! 毛皮がみるみる輝き、香気を放ち、足腰の関節回りが滑らかに動くようになって、さすがは“好物”だと、ほとほと感じ入ったのでありました。
「ケンケンまで手なずけちゃって……」
とは、やっかみまじりの笑顔の蘭です。
「ねえ?」
「はい?」
「なんで今日は、通話してくれなかったの? 待ってたのに」
「本格的な湖と出会うわけだから、今日は遠慮しといた方がいいと判断したんだ」
「実は、猪苗代湖で、ちょっとだけ、泳いだんだぁ……ハダカで」
「ごほっ……」
まっ赤な彼女を見て、今回は“仕掛け”でもなんでもないことを察しましたが、いきなりそのネタですか?
そして、畳み掛けてくる天然娘です。
「イヤホンマイクだけは身につけてた」
ハダカイヤホンマイク!
その状況を想像して鼻血しかける行ですが、反面、瞬間的かつ冷静に、考えさせられた部分もあったのでした。
(自分の“呪い”に自分でかかってしまう。そんなこともあるんですね……)
興味深い事例であることでした。
――で、ここまで打ち明けてくれたのです。
行は自分もまた、塩原温泉で“そうした”ことを白状して、二人の親密さをより高めようと、そこまで思ったのですが――
ここで急に、勘の警告を受け取ったのでした。
二人ともハダカが常の物と感じるようになってはいけない!!!
お昼に一回、(良性とは言え)勘の囁きを見送っています。今回は従った方がいいように思われたのでした。
「――失敗した! ガンガン話しかけて、煽ればよかった!」
かろうじて、わざとらしくそう答えて、この場はなんとか繕ったのです。
自分の勘働きに戸惑いを覚えた行でしたが、それも、やがて、忘れ――
蘭とのおしゃべりに夢中になって――
そうして一時間。
夕焼けに染まる桧原湖を堪能して、宿に向かったのです。最後まで、手はつながりっぱなしだったのでした。




