6 三日目。栃木・福島(3)
途中の無人販売店でトマトを買いました。手頃サイズ一個だけ、10エンです。小箱の中に小銅貨一枚を投じます。金貨、銀貨と比べて、銅貨は中々使い勝手がいい、そんなことを思ったりしました。
形だけゴシゴシやってから、かぶりつきます。ぷちん、という感触。ぐりり、とくる果肉の味。そして汁が口いっぱいに溢れて――
「うま……」
夏の空を見上げ、しばし体が止まります。風の息、蝉の声。――現世も通じて、久々に美味しいトマトを食べた、という感動を覚えたのでした。
ルートに沿って流れてくれた阿賀川に親しみを覚えた頃、山間部もおおよそ下り、そこからは長い平坦路です。直線的な国道をえんえんと北上すると、やがて周囲が開け、土地が広大に、平らになっていきます。ここは、空が大きな、風渡る会津盆地でした。
やがて見えてくる都市、会津若松市。折角ですから、若松城跡の、お堀の横を通る国道をこのまま走ります。街の中央にて、遅い昼食としたのでした。
メニューに困りましたが、結局、無難に(?)、ご当地ラーメンに決めます。
麺をすすりながら考えます――
ここから北へ行くには、現世では二つのルートがあります。
“ここ”もそうだと思うのですが、一つは西側、もう一つは東側の、各ルートでした。
西側は、世話になりっぱなしの国道121号にこのまま頼り、喜多方市を通り、長い大峠トンネルを抜けて山形県入りするというものです。普通ならこのルートでしょう。一番早く北へ行けます。
「ちゅるり……」
実は、細分化するとこの西ルートにはもう一つ、旧121号・米沢街道を使って、県境の標高1157m、大峠を越えていくというやり方もあるんです。このサイドルート、一言で言えば難路で、現世では通行止めになっています。(走れません)
おそらくは“ここ”でも、そうなっていると思われました。
ですが、です。四ッ足のコン吉となら突破できないこともないでしょうし――それにです。なぜか、勘が囁くのでした。
来たる将来のため、ここで山岳難路の経験値を積んでおけ、と……。
旅人にとって、勘は何よりも重視しなければならないもので、今も、よほど気になったのですが――
ゆっくり、首を横に振ったのでした。
勘にも“良性”と“悪性”があります。今回のは良性であり、見逃しても悪影響はないと、感覚するのです。
もちろん、“囁いてくれた”ことに関しては感謝の心ですが、今回は不採用。
というか、実は、ルートはもう、決まっていたのでした。
東ルートです。
磐梯山ゴールドラインを通り、桧原湖を経由して、山形入りするというルートでした。
実は――
選ぶもなにも――桧原湖北端にて蘭と落ち合う約束なので、これは最初から変えられない決定事項だったのです。
「……えへ?」
なんともしまらない顔になり、完食した行だったのでした。ごちそうさま。
アハハ――さぁ行きましょう!
国道49号に乗り換えたとき、
(ありがとう121号……)
いつしか道を擬人化している自分に気づき、照れ隠しの苦笑です。
今日という一日、一人旅の寂しさを楽しく噛みしめる、行だったのでした。




