第8話
私は走った。
もう無理だ。
攻略なんてどうでもいい。恋愛だってどうでもいい。
生きたい。
ただ、それだけだった。
追ってくる足音から逃れるため、学院の中をひたすら走り続ける。
どこをどう走ったのか、自分でも分からない。
とにかく外へ。学院の外へ。
そう思っていたはずなのに、見覚えのある場所へ飛び出した瞬間、私は絶望した。
「何で!」
学院の中央広間。
さっきセシルまでゾンビになった、あの場所だ。
慌てて引き返そうとした直後、背後で大きな音を立てて扉が閉まった。
「嘘……」
逃げ道を探して周囲を見回し、さらに絶望する。
正面にはアルベルト。
右にはクラウス。
左にはエリオット。
そして背後にはセシル。
四人の攻略対象が、私を囲んでいた。
「終わった……」
四人がゆっくりと距離を詰めてくる。
逃げる場所なんて、どこにもない。
その時、正面にいたアルベルトが口を開いた。
「……やっと……見つけた」
「え?」
「もう……君を……離さない」
背筋が凍った。
知っている。
アルベルトルートの最終告白で聞いた台詞だ。
続いて、クラウスが掠れた声を絞り出す。
「……最後まで……お前は……俺が、守る……」
エリオットも笑みを浮かべた。
「君のことを……もっと……知りたい」
最後に、背後からセシルの穏やかな声が聞こえる。
「永遠に……あなたと……共に……」
「……待って」
私は四人を順番に見回した。
全員が私を見ている。
全員が私に向かって歩いてくる。
そして全員が、本来なら恋愛イベントで使われるはずの台詞を口にしている。
「これ……まさか……」
ゾンビゲームと混ざって世界がおかしくなっても、乙女ゲームとしての仕組みそのものは残っている。
ということは。
「ゲーム側では、これ……恋愛イベントとして処理されてるの?」
そんな馬鹿な。
でも、四人の攻略対象は全員が主人公を求めている。
アルベルトが手を伸ばす。
クラウスも。
エリオットも。
セシルも。
攻略対象全員から求められる主人公。
乙女ゲームなら最高の展開だ。
意味は違う。
完全に違う。
こいつらが求めているのは、私の愛じゃない。
たぶん肉だ。
それでも状況だけなら――。
逆ハーレム。
「こんなモテモテはいやあああああああああ!!」
私の絶叫を合図にしたかのように、四人が一斉に飛びかかってきた。
◇
「いやああああっ!」
自分の叫び声で飛び起きた。
「……え?」
目の前にあるのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。
薄暗い室内。身体を包む布団。枕元には充電器に繋がれたスマホ。
学院ではない。
ゾンビもいない。
私は現代の自分の部屋にいた。
「…………」
恐る恐る自分の手を見る。
血はついていない。噛み傷もない。
もちろん、誰かに食べられた形跡もない。
「夢……?」
まだ心臓は激しく脈打っている。
けれど、夢だ。
アルベルトが猫を食べていたのも、クラウスがゾンビになったのも、エリオットが感染源を研究していたのも、セシルまでゾンビになって四人に囲まれたのも。
全部、夢だった。
「よかったぁ……」
全身から一気に力が抜け、私は再びベッドへ倒れ込んだ。
その時、枕元でスマホの画面が光っていることに気づく。
表示されていたのは、昨夜寝る前まで遊んでいた乙女ゲームだった。
(あ……そうだ。攻略途中で寝落ちしたんだ……)
それでゲームの内容が夢に出てきたのだろう。
ゾンビが混ざった理由はまったく分からないけれど、夢なんてそんなものだ。
「もう今日はやらない……」
さすがに攻略対象の顔を見る気にはなれない。
私はスマホの画面を伏せ、そのまま布団へ潜り込んだ。
だから、直後に画面の隅へ表示された小さな文字にも気づかなかった。
《全攻略対象の好感度が最大になりました》
続いて、その下に新しいメッセージが表示される。
《クロスオーバーイベント:完了》
そして最後に、もう一つ。
《次回イベントをお楽しみに》
しばらくしてスマホの画面は暗くなり、部屋は再び静寂に包まれた。




