第35話
「……イェン兄様の妻になる方は、どんな人なのですか?」
わたくしは大した意味もなく、ぼんやりと頭の中に浮かんだことを口にする。
すると皇帝陛下は気まずそうな、難しそうな表情をなさっていたけれど、ゆっくりと口を開く。
「……通いの少ない妃だ。後宮内の入れ替えのため、後宮から出されることになったのだが……ただ出すだけだと外聞が悪いので、夫となる男を用意する必要があった」
自分の妻のことだというのに、皇帝陛下から出される妃の情報は少ない。
おそらく、わたくしを慮ってのことなのだろう。
わたくしにはそんな風に優しくしていただく価値などないというのに……。
皇帝陛下はわたくしの顔をちらりと見てから、言葉を続ける。
「通常であれば武人か役人が選ばれるのだが、今回はたまたま条件に合うものがいなかったので、宦官にまで話がまわってきた」
それで勤務態度と家柄が良いイェン兄様が選ばれたということか、と自分の中で納得する。
「そなたの想いは知っていたが、まさか妃の想い人だから候補から外せということなどできず、役人共の妃の入れ替わりを急かす言葉にも押される形で話がまとまった」
名君と名高い皇帝陛下ではあるけれど、だからといって王宮で勝手気ままに振る舞えるわけではないのだろう。
国のため、王宮のため、後宮のためにと……おそらくは思い悩まれたうえで、その結論に至ったのだと思われる。
だから皇帝陛下は悪くない。
イェン兄様だって悪くない。
イェン兄様のもとに嫁ぐ妃を恨む気持ちもない。
悪いのは……いつだって行動の遅いわたくしだ。
わたくしがもっと早くにイェン兄様に想いを伝えていれば、もっとすんなりと諦めがついたのかもしれない。
初恋をこじらせて、後宮まで追いかけてきて……それでイェン兄様の結婚が決まった途端に告白するだなんて、あまりにも自分勝手だ。
分かっていても、イェン兄様に想いを拒否されたことが悲しくて、他の人と結婚することが悔しくて……。
なによりも、それでもわたくしを思い遣ってくださるのがイェン兄様らしくて……。
わたくしの目からは自然と涙がこぼれ落ちていた。
なんとか止めようとするけれど止まらず、拭っても拭っても涙はこぼれ落ちてくる。
自分勝手な想いをぶちまけた後は、自分勝手に泣き散らすだなんて……最後まで自分の身勝手さに、もはや呆れてくる。
自分があまりにも情けなくて、惨めで……涙は止まらない。
そんなわたくしを、皇帝陛下が優しく抱きしめる。
突然、皇帝陛下のぬくもりと香りにつつまれたことに驚きながらも、わたくしはついにその時が来たのかもしれないと全てを諦めていた。
「……不甲斐ない男の胸ですまんが、今日くらいは思う存分、泣けば良い」
けれど皇帝陛下はあくまでも優しく、温かな声色でそう仰った。
わたくしは皇帝陛下の胸で目を見開いた。
自分の妃が宦官に勝手に想いを寄せ、告白までしたというのに……この方は責めることも怒ることもしない。
弱っているところにつけ込んで肌を重ねようとする方でもないことを、わたくしは知っていたはずなのに。
わたくしは自暴自棄な心から、皇帝陛下まで心のなかで貶めようとしていたなんて……。
「もうしわけ……ありません……」
わたくしの真意は伝わらないだろうと思いながらも、懸命に謝罪を伝える。
すると皇帝陛下がわたくしの背中を優しくさすった。
「良いのだ。誰に迷惑をかける訳でもないのだから、気にするな」
皇帝陛下が赤子でもあやすような声色でそう言う。
その言葉は……イェン兄様がわたくしに言ってくださった言葉と奇しくも同じだった。
全ての記憶と感情が溢れ出し、我慢していた何かが壊れた。
わたくしは皇帝陛下の胸元を強く握りしめて、胸に顔をうずめるようにしながら……ただただ、泣いた。
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