第24話
しばらく沈黙の時が流れた。
ガルシア様はまだ自信あり気な様子なので、わたくしから口を開くしかなさそうだ。
「恋……ですか。わたくしは皇帝陛下の妃なので、恋とは縁遠いかもしれませんね」
「あら、妃だって皇帝陛下に惚れ直すことくらいあるでしょう。結婚した後に始まる恋というのだってあると思うわよ?」
「は、はぁ……」
政略結婚が当たり前の王族らしい考え方なのかもしれないけれど、わたくしは返答に困った。
まさか輿入れする前から好きな方がいて、その方を追いかけて皇帝陛下の妃になったのです……なんて、言えるわけがないのだから。
それに……皇帝陛下に恋しているなんて……そんなはずは……。
わたくしが皇帝陛下のお顔を思い浮かべていると、ガルシア様がまたにんまりと笑みを浮かべる。
「今、皇帝陛下のお顔が頭の中に浮かんでいるのであれば、皇帝陛下に恋をしているのではないかしら?」
思考を当てられて、わたくしはドキッとする。
「こ、皇帝陛下のお話をしていたから、お顔が浮かんだだけだと思いますよ?」
わたくしが慌てて否定するけれど、ガルシア様は「ふーん」と言うだけで、ニヤニヤとした笑みを崩すことはない。
「どうでも良い人間の顔なんて、パッとは浮かんでこないものよ。思い入れのある人こそ、名前を聞いただけで自然と顔が頭に浮かんできてしまうものよ」
ガルシア様が持論を展開されていて、わたくしは答えに困る。
そんなわたくしに、ガルシア様はさらにぐいぐいと詰め寄る。
「ほらほら。後宮では『皇帝陛下』ではなく、本当のお名前で呼び合っているのでしょう? 観念して惚気話を聞かせなさいな」
そう言われて、はたと気付く。
「……わたくし……皇帝陛下のお名前を、存じ上げません……」
「えぇっ!?」
ガルシア様は、姫君とは思えないほど驚きの感情をそのまま声に乗せていたけれど、わたくしはそれについて驚いている余裕すらなかった。
皇帝陛下のお名前……。
「なぜ皇帝陛下のお名前を知らないの?」
ガルシア様が困惑した様子で、心の底から不思議そうにしながら尋ねてくる。
「ロン国では皇帝陛下の真名は尊いもので、気軽にお呼びできるものではないと、周知されていないのです」
「けれど……でも……結婚したときに聞かされなかったの?」
「はい……」
わたくし自身も驚きからやや呆けた調子で答えると、ガルシア様は「はぁー……」とため息のような感心するような声を漏らしていた。
皇帝陛下のお名前なんて、考えたこともなかった。
皇帝陛下は皇帝陛下で……。
でも……わたくしといる時の皇帝陛下は、《《皇帝陛下の顔》》はしていなくて、年相応の青年のような方で……。
わたくしが一人で困惑していると、ガルシア様がびしっと指先を向けてくる。
突然のことに驚いてぐるぐると巡る思考を止めて、ガルシア様の方を見やる。
「帰国したら、皇帝陛下にお名前を聞きましょう」
「そ、そんな……大それたこと……」
「メイリン様は皇帝陛下のお妃様なのだから、名前を聞いても失礼には当たらないはずよ」
「そ、そうでしょうけれど……」
「皇帝陛下も、きっとお名前でお呼びすれば、喜ばれるはずよ」
そう言われて、わたくしがお名前をお呼びしたら、こちらを振り向く皇帝陛下のお姿が頭に浮かぶ。
表情までは分からないけれど、口元は微笑んでいらっしゃるような気がする。
「わたくしは……」
皇帝陛下が喜ばれている姿を想像すると……嬉しいと思う。
あの方の喜ばれることをしたいと、そう思ってしまう。
けれどわたくしは……こんな感情を持ってはいけないのだと、自分に言い聞かせる。
わたくしはイェン兄様が好きで、彼を追いかけて後宮に来たのだと……。
分かっているのに……それでも、胸の高鳴りが止まらない。
自分の感情が思い通りにならず困惑するわたくしに、ガルシア様は困ったような嬉しそうな表情を浮かべて語りかける。
「いいんじゃない? お名前を聞くだけなのだから、そんなに重く捉えなくても」
「そう……でしょうか……」
「そうよ。ロン国に戻ったら聞いてみなさい」
まるで泣きじゃくる赤子に語りかけるように、ガルシア様は穏やかな声色でそう告げる。
「……はい」
ついにわたくしは、同意してしまった。
ダメだと分かっていながら……抗うことができない。
自分の不甲斐なさに、意志の弱さに……わたくしはため息を漏らしながら俯く。
そんなわたくしに、ガルシア様が言葉をかける。
「私は、あなたの恋を応援しているわ」
「ありがとう……ございます……」
そう答えるだけで精一杯だった。
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