1 己を知りなさい
いやはや。
『塩と砂糖が入れ替えられていた』という理由で婚約破棄された女なんて、この世にいる?
いるのよ。
私。
物事には順序があるわね。
まずは、私の話をしましょう。
私の名はタイメリア。ここスカボロー王国の、栄誉と歴史のある、第13代シーストランド公爵の娘。両親と、兄と姉が1人ずつ。
花も恥じらう17歳で、現在は貴族の通う王都の全寮制学校に在籍中。
昔の貴族はもちろん、各々の家で家庭教師をつけていたのだけれど。50年ほど前に『貴族子弟に、統一された高い教育を与える』『集団生活を送らせることで、自立性と協調性を持たせる』とかなんとかで、全寮制学校入学が義務付けられた。
私個人は、『王都に貴族子弟を集めて、親に対する体のいい人質にしているのでは?』『教育と称して、王家への忠誠心を刷り込むのが目的じゃないの?』と勘繰っている。
まあ別にいいわ。平和な時代だから死ぬわけじゃなし、国が私たちを利用するなら、私たちも国を利用すればいいだけの話よ。
図書室の本読み放題なんて、もう最高。それどころか、近隣の大学の書物を取り寄せることだって……。
ああ、話がそれたわね。
公爵令嬢。17歳の乙女。貴族学校最高学年の成績は1位。礼儀作法も完璧。
私って、我ながら素晴らしいスペックね? 誰だって、さぞかし美少女だろうと思うでしょう?
はい、残念でした。
背が低い……のはいいとして、ずんぐりしている。
太っていはいないけれど肩幅が広くて、骨格からがっしりしている感じ。正面から見ると、腰が全然くびれてない、寸胴に見える体型。
じゃあ、顔はどうか?
何代にもわたる家同士の結婚によって、この国の貴族の髪色は、ほぼ金色で固定されている。その中でも明るい色味が美しいとされるけれど、私のそれは焦げ茶色に近い濃い金色。ついでに同色の瞳。
瞼は一重で厚ぼったい。団子鼻。顔は横に大きくて顎が短い。要するに、丸っこくてぽっちゃりに見える顔の形。
私って完全に、父親似なのよね……。
客観的に見て、せいぜい平均層の下限ってところかしら。
『そんなこと言って、化粧すれば可愛いんでしょう?』?
ない。さほど伸びしろはないわ。
公爵家の化粧係が全力を尽くして、その仕上がりを鏡で見た結論だもの。間違いない。
『自己評価が低いだけで、実際は美少女とか?』?
もっとない。そのような、女性向け恋愛小説のヒロイン的ドリーム要素は存在しません。
まあ、適正体重をキープするとか、髪や肌の手入れを怠らないとか、人智の及ぶ部分は努力している。
それでどうにもならない部分が9割ってところね。
幸い家族は、私のことを可愛がってくれている。
家を離れて入学する時、母も兄姉も涙を浮かべていたし、父なんか『ああ可愛い天使ちゃん。君のような美少女が入学したら、男子どもは君を巡って殺し合いを始めかねない』って魂の底から言っていた。
もし殺し合いを始めるなら、私の顔じゃなくて公爵令嬢という身分が目当てですわ、お父様。
人間の、身内へのバイアスってすごいと戦慄したものよ。
でも、私の存在を積極的に受け入れて愛してくれる人がいる。
だから私は、自分の容姿が平均を下回るとしても、自分に満足している。
私には、シーストランド公爵令嬢。そして学年で1、2を争う高い成績。身分も、それに知性も優れているという自負もある。
これ以上何かを求めるのは贅沢、いえ強欲ではなくて?
はい、私の婚約者はそう思っていませんでした。
そう。私には婚約者がいる。キャンヴェリック伯爵の長子ファセリ様。未来の伯爵。
柔らかく波うつ薄金色の髪、5月の若葉のような翠色の瞳。くっきりした大きな目も、細くしなやかな身体つきも、少年らしい陽気で悪戯な笑みも、春の樹々に芽吹きをもたらすという妖精王子のよう。
だけど彼は、私のことをお気に召さない。
特に私の顔が。
5年前の初顔合わせの時から、婚約者、つまり私が美少女でないことに不満を言い続けている。2年前にこの貴族学校に2人そろって入学しても、それは変わらない。
ただ入学して変わったことといえば、ファセリ様にロズヴァリー様という友人が、私にセーディナ様という友人ができたこと。
カレイドウェル子爵令息ロズヴァリー様は、赤みがかった金色の髪に青い瞳の、すらりとした上背のある方。
知的で涼しげな風貌で、小柄で溌剌としたファセリ様とは違うタイプの美男子でいらっしゃる。物静かで、私と学年首位の成績を争う、勉強熱心な方だ。
ファセリ様と並んで『スカボロー貴族学校三大美男子』の一角を占めている。
そしてシェープホーン男爵令嬢セーディナ様は、まさに筆舌に尽くしがたいほどの美少女でいらっしゃるわ。
宝石の華やかさと、それでいて野の花の可憐さをも併せ持つ美貌。大きな目に長い睫毛。白金の波打つ髪はきらきらと光を放つようだし、碧に蒼にと複雑に輝く青緑の瞳は、女の私でもずっと眺めていたいほど。まさに花の妖精。
私たちは元々家同士でも交流がなく、入学するまで面識はなかった。でも彼女の方から積極的に話しかけられて、友人関係を結ぶに至ったの。
セーディナ様の美貌が、ファセリ様に影響を与えないわけがない。
ファセリ様はすぐに、婚約者である私を差し置いて、セーディナ様をエスコートするようになった。
私が苦言を呈しても「うるさい」「お前が僕の隣に? 婚約者なら、僕に恥をかかせるなよ」「ロズヴァリーにエスコートしてもらえよ。あいつでもお前には過ぎた相手だろう?」と、聞く耳を持たない。
セーディナ様の方も、ファセリ様に関心がある様子。
彼に対して儚げな、だけど思わせぶりな眼差しや微笑みを向けることが多い。
ただ彼女は、最低限の礼節はキープしているのよね。
ファセリ様と決して2人きりにならない。彼と話す時は一定の距離を置く。ファセリ様からエスコートの域を超えて触れてきた時は、そっと身体を引いて離れる。だから、不適切と注意することはできない。
ファセリ様が私よりセーディナ様を優先すると「そんな失礼をしてはいけないわ」とたしなめたり、「ごめんなさい、タイメリア様」などと私に断りを入れたりはする。だけど、ファセリ様を明確に拒絶することもない。
けれど、気づけばいつもファセリ様の隣にいる。親密と言われない程度の、絶妙な距離をとって。
実に巧妙。
そんな私に対して、ロズヴァリー様は何かと気遣ってくださる。
ただ、彼は物静かな性格である上に子爵家の三男。勝ち気で、しかも伯爵嫡男であるファセリ様に対して強くは出られない。そんな力関係がある。
それでも、4人はいつも集い、会話を楽しみ、共に食事や勉強をしていた。
私、ファセリ様、ファセリ様の「友人」のロズヴァリー様、そして私の「友人」のセーディナ様。
それが、4人の「友情」の形だった。
そんな、とある日の昼休み。
食堂は、昼食を楽しむ生徒たちで賑わっていた。
生徒たちを全員収めても余りある広さ。アーチ型の高い天井と、それを支える何本もの太い柱。一面に並ぶ縦に長い大窓は、光をふんだんにもたらしてくれる。
そしてその奥まった隅のテーブルは、私たちがいつも座る指定席だった。食事の時は、必ず4人で過ごす習慣になっている。
でも最近は、私1人が先に座っていることが多い。10分も20分も待たされてから、ファセリ様たちが楽しそうに談笑しながらやって来るのだ。
今日も、私は1人でいつもの席に座っていた。
全く、手ぶらで来るんじゃなかったわ。本でも持ってくれば良かった……と思いながら手持ち無沙汰のまま、10分ほど待つ羽目になった。
「待たせて申し訳ありません、タイメリア嬢」
やっと現れる3人。
ロズヴァリー様だけが、申し訳なさそうに謝罪してくれた。
「お気になさらないで、ロズヴァリー様」
とは言え3人が同時に来るということは、ファセリ様とセーディナ様が彼を引き留めて、私を1人で待たせているのではないかしら。ファセリ様とセーディナ様が同じクラスで、ロズヴァリー様と私はそれぞれ別クラスだから。
一方セーディナ様は、美男子2人を引き連れているせいか満面の笑みだ。
当然のように、私を待たせたことへの遠慮はない。
ロズヴァリー様が話を続ける。
「食堂に、サンダランドの春摘みが入ったのだそうです。
僕はそれにするつもりですが、貴女はどうなさいますか?」
「私は今日は、苦味のあるお茶の気分なの」
私とロズヴァリー様の会話を、セーディナ様は唇を尖らせて見ていたけれど、ここで割り込んで来た。
「あら。意地悪をおっしゃらないでよ、タイメリア様。
せっかくロズヴァリー様がおっしゃっているんだもの。今日のお茶は、4人みんなでサンダランドの茶葉にしましょうよ! ねえ、ファセリ様?」
私の言葉を遮るように、セーディナ様が楽しそうに仕切り始める。
だけど、私を見る目は笑っていない。
見ての通り、彼女は私よりずっとずっと美しくて、しかもファセリ様の関心を得ている。だから、私に対して優越感を持ちそうなものだけれど、意外にも私を見下すことはなかった。そこは──そこだけは──評価できる。
けれど私を見る時はたいてい、対戦相手の反応を探る勝負師の目をしている。
要するに、私のことを甘く見ずに、ファセリ様をめぐる強力な敵と認識して戦いを挑んでいるってこと。
ふうん? 私に挑戦するなら、受けて立つわよ?
「1人1つのポットで紅茶を飲むのだから、全員で同じ銘柄の茶葉にする必要はなくてよ?」
ファセリ様が不機嫌な顔でさえぎった。
「タイメリア、身勝手なことを言うなよ!
もちろん全員でサンダランドを注文する。いいな?」
私に対してはいつも不機嫌だし、セーディナ様の言うことをいつも最優先にするから、要は普段通りということ。
「……まあ構わないけれど」
ファセリ様の援護と私の譲歩を確認して、セーディナ様がほがらかに微笑んだ。
「良かった。友達と一緒に飲むと、お茶ってさらに美味しくなるものね、タイメリア様!」
「ええ」
ここは、わざわざ逆らうほどのことではない。
皆でカウンターに行き、各々でサンダランドの春摘みに、昼食やお菓子を注文してトレイで受け取った。
ファセリ様が、セーディナ様を自分の隣の席にエスコートする。当然のようにそれを甘受するセーディナ様。
放置された私を気遣って、ロズヴァリー様が私をファセリ様の向かいの席にエスコートしてくれる。ファセリ様とセーディナ様は、こちらを見ずにさっさと着席した。
それをロズヴァリー様が非難する瞳で、だけど彼らの無神経さを糊塗するように、2人に話しかける。そして何事もなかったかのように、「仲の良い」4人の雑談が始まるのだ。
それが、いつもの流れだった。
ところが、今日はいつもと違った。
彼女が、いつものように紅茶に砂糖をふた匙入れて飲んだと思ったら、急に咳き込みだしたのだ。
あら? どうしたのかしら?
「セーディナ嬢!? どうしたんだ!」
「ごほっ、ごほっ……お茶に、お塩が……!」
「え? どういうことだ?」
「塩が。シュガーポットの中身が塩だったの……!」
「なっ……!
セーディナ嬢、大丈夫? 一体誰がそんな嫌がらせをしたんだ、僕が犯人を見つけてやるから……」
延々と続きそうな慰めに、私はばっさりと割って入った。
「そんなことを言っている場合ではないでしょう!」
立ち上がって3人を見回す。
「ファセリ様、すぐにセーディナ様を医務室にお連れになって! 塩もだけれど、他の異物が混入されている可能性があるわ。
ロズヴァリー様、すぐに先生をお呼びしてくださる? 私は他の生徒たちに注意するから。
──食堂の皆様! このテーブルのシュガーポットに、塩が入れられる悪戯がありましたわ!
皆様も、シュガーポットや調味料の瓶に手をつけないでくださいまし! 何が混入しているか分かりませんわ!」
やって来た教師の判断で、食堂は一時的に使用禁止にされ、生徒たちは追い出された。
先生方がひと通り調査をしたところ、幸い調味料の入れ替えは私たちのテーブルだけだったそう。飢えた生徒たちが暴動を起こしかねないので、食堂はすぐに再開された。
私たちは全生徒の視線を集める中、他の空いているテーブルを使って食事を摂る羽目になってしまった。
まったく、どうしてこんなことが……?
その後、午後の休憩時間には、学校中が『砂糖と塩入れ替え事件』の情報でもちきりになっていた。耳の早い生徒が、先生方の会話から詳しい話を聞き取ってきたらしい。
まず、全てのテーブルには、白い陶器製のシュガーポットと、ガラスの小瓶に入った塩と胡椒のセットが備え付けられている。
シュガーポットは陶器製で口が広く、浅い壺のような形をしている。同じ陶器製の蓋には切り込みがあって、付属のスプーンを挿したまま蓋を閉められる仕組みだ。
塩と胡椒は、お揃いのデザインの小さなガラス瓶に入っている。直径は親指と人差し指で輪を作るくらいで、高さはティーカップより少し上。円筒形で、穴の開いた金属製の蓋がついていて、逆さにして振って使う。
とは言っても、シュガーポットと塩の小瓶では容量が違う。
塩の瓶の中は丸ごと砂糖に替えられていたが、シュガーポットは下半分ほどは砂糖のまま。上の部分が塩になっていて、一部が少量の砂糖と混ざっていたらしい。
入れ替えは、私たちのテーブルの砂糖と塩だけだった。他の調味料は悪戯されていないし、他の異物が入れられてもいなかったそうだ。
セーディナ様は異状を感じてすぐ、紅茶をカップに吐き出してしまったそうで、実害はなかったらしい。
それは不幸中の幸いだったわね。
さて、誰が何のためにしたのやら。
何事もなく午後の授業が終わって、放課後になった。
昼間の出来事について色々考えながら、勉強道具を持って教室を出ると。
珍しく、教室すぐ外の廊下にファセリ様とセーディナ様の2人がいた。私を待っていたらしく、2人ともすぐに私の方へやって来る。
きらきらしいお顔を憤怒の朱に染めて、ファセリ様が私を睨んでいる。
その隣には、うるんだ瞳の麗しきセーディナ様。
ファセリ様は周囲の目も気にせず、突然私に怒鳴りつけてきた。
「タイメリア! よくもセーディナ嬢に塩を飲ませたな!
自分が醜いからといって、彼女へ嫉妬して嫌がらせするなんて卑劣極まりないぞ!
お前との婚約は、お前の有責で破棄だ。そして僕は、愛するセーディナと結婚する!
それだけじゃない、彼女の身に何かあったら、傷害罪で訴えてやるからな!」
・サンダランド
紅茶の種類のひとつ。サンダランド地方の農場で栽培出荷されている。
苦味はほぼなく、若いアーモンドに似た軽やかな芳香が特徴。
ちなみに何とは言わないが、「雷の土地」はチベット語だと「ダージリン」。




