22 カーテンの中に
円城寺君が感情的にならずに説明してくれたおかげで、私はおかしな先入観を持たずに出来事を出来事として把握できた。
それは5月2日の夜に起こった。
吹月学院では5月の大型連休中、生徒が帰省しやすいように飛び石で平日が挟まれていても休校としているそうだ。衣替え期間にも近く、国内に実家のある多くの生徒は帰省するという。
そんな連休の最中、深夜に、一人の生徒が管理棟の三階から転落した。
生徒の名前は 有栖川 唯人。
三年生で、昨年度の寮長だった人物。私の部屋の前の住人である。
彼が転落する瞬間は誰も目撃しておらず、夜の見回りでたまたま通りかかった楠先生が管理棟の外の植木付近で倒れているのを発見したらしい。
すぐに救急搬送されたが、その段階で既に意識はなく、現在に至るまで回復の兆しはなし。
管理棟は敷地の中でも一番端にあり、緊急車両もサイレンを鳴らさずに到着したそうで、異変に気付いたのは管理棟と繋がっているフラットAの寮生のみだった。
と言っても当時フラットAに残っていたのは半分ほどで、その中に円城寺君、栗栖君、京極さん、そして転落した有栖川 唯人が含まれていた。
彼らはすぐに部屋を飛び出して管理棟に集まり、事態の深刻さを悟った。
ぐったりとしてる有栖川先輩の周りには楠先生の他に久我先生と葛城さんもいて救護にあたっていたが、やや遅れて学院長や他の職員が駆けつけると、相談の上、フラットA以外の生徒には詳細が明らかになるまでは伏せておく事が決められた。
当然その場にいたフラットAの寮生には箝口令が敷かれた。
有栖川 唯人は植木がクッションになったおかげか一命を取りとめたが意識は戻らず、あの夜彼に何があったのかを知る者はいなかった。
救急搬送されたことから警察も介入してくるわけで、事件事故、自死の可能性も考慮された捜査が進められたが、目撃者が一人もおらず、捜査は行き詰ってしまった。
そしてそう時間を置かずに、捜査は非公開のまま打ち切りとなる。
吹月に限らず学校内で起きた事件事故は性質上その全てを公開される例は少ないと聞くが、今回の非公表を最も願ったのは学院側ではなく、有栖川家の方だったそうだ。
彼のご両親からのリクエストで、彼は海外に留学したという設定になったらしい。
だがそれは、いかにも吹月の生徒らしいと、大いに納得できてしまった。
有栖川家は、名門中の名門家系だ。
私もその名前は知っていた。
確か有栖川 唯人は跡取りではなかったはずだが、一族の高位メンバーである事に変わりはない。
そんな人物が、事件にしても事故にしても明らかに不自然な状況下、意識不明で発見されたなど、名門一族が隠したがっても不思議ではない。
しかも自死の可能性も否定できないとなると、それをスキャンダルとして排除する働きがあるのも理解できた。
そして吹月学院は、それができてしまうところなのだから。
「つまり、吹月のカーテンは警察でさえ簡単に開けなかったという事ね」
納得はしたが賛同はできない、そんな態度を示すと、円城寺君は「幸か不幸か、そういう事だね」と意味ありげに笑い息を吐いた。
「幸か不幸か…?円城寺君はその恩恵を受けてはいないの?」
自分の立場について思うところがありそうな円城寺君に、私は不思議だと言わんばかりに訊いた。
円城寺家だってかなりの有名一族だ。例え同じような境遇の生徒が多く在籍する吹月では特別な恩恵を得てなくとも、自身の名前のおかげで優遇される場面は、これまでの人生で多くあったはず。
彼はハッと短く笑うと「望んでもないのにカーテンが引かれる事はあるよ」と、困ったように告げた。
「つまり、円城寺君は特別扱いは望んでいない、と?」
「意外そうな言い方だね」
「円城寺君は館林の名前に敏感に反応していたし、特権意識の高いタイプかと」
「そんなハッキリ言わなくても…。僕は平民だよ?館林も言ってたけど、爵位なんかもないわけだし。もともと特権なんかないんだよ。まあ実家は裕福だけど。そこは否定しないし、確かに引かれたカーテンのおかげで得する事も多い。ただその代わりに、ノブレス・オブリージュ、果たすべき責任や役割もあるとは認識してる」
円城寺くんは悟ったような態度だったが、次の瞬間にはきりりと引き締めて
「でも5月の件は、簡単にカーテンで覆ってしまっていいのか、誰にも正解はわからないんだ」
真摯な眼差しを、一直線に私に向けてきたのだった。
「僕達生徒は、警察や学院が調べた詳細な状況を知らされなかったからね。もし事件性があったなら、いくらカーテンが分厚くても警察や学院長が幕引きをするとは思いたくない。でも残念ながら、経験上、そうと断言できない僕もいる。僕だけじゃない、その場にいたフラットAの寮生全員が、もしかしたら秘密裏に葬られた事実があるかもしれないと、頭の隅っこではそんな事を考えてた。だけど…」
言葉を僅かに休めた円城寺君に、私は黙して先を待った。
今彼の発言には些細な相槌も不要だ。
「……詳細を知らない以上、僕達にカーテンをどうこうする判断はできなかった。だって、その中にあるのが、もし有栖川先輩にとって不利益になるような真実だったら?そりゃ、例え不利益だろうともし先輩が犯罪に関与してるというなら、それは暴かれるべきだ。どんなセレブリティでも罪を犯して罰を受けないなんて問題外だからね。でも、この件で被害を受けたのは転落した先輩だけ。事故にしても事件にしても、先輩が犯罪をした側になる事はない。それなら、先輩が目を覚まさない間にあれこれ暴いても誰のためにもならないと思わない?むしろ先輩が他人に知られたくなかった事が浮かび上がるかもしれないだろ?それは避けるべきというのが、僕達フラットAの寮生の共通認識なんだ。意識が戻らないままの先輩には、それを隠す事も言い訳する事もできないんだから。だから、僕達は黙っておくと決めた。僕達以外の生徒も有栖川先輩は留学したと思ってるし、保護者も何も知らない。先生方の中にだって知らない人もいるはずだよ」
まるで小動物のように可愛らしく自己愛多めな印象だった円城寺君が、こんなにも饒舌に熟した意見を語るとは思わなかった。
だが驚いたわけではない。
私の周りには裕福な両親から甘やかされて育っただけの気の毒な者もいるが、大抵は、将来人の上に立つ事を見越して厳しく教育されている人間なのだから。
円城寺君もその一人で、今回、彼は決して大人から命じられてそうしたのではなく、自分の頭で考え想像し、複数の選択肢の中から最善と思われる決断をしたのだ。
そしてその選択は、先輩と慕う有栖川 唯人への想いゆえだろう。
「…円城寺君は、やっぱり優しいね」
私はさっきと同じ言葉を告げた。
だが円城寺君はさっきとは違う反応を見せた。
「でも、優しいだけじゃダメなんだ……」
それが何を指してるのかは明白ではない。
けれど私に言えるのは、円城寺君は優しいけれど、それだけのお坊ちゃまでもないという事だ。
「そうだね。優しいだけじゃない。為すべきことを為せる人だよ、円城寺君は。優しいだけではなくて、物事をしっかり考えられて、自分以外の人の視点に立てる人。私はそう思う」
感じたままをストレートに紡ぐと、円城寺君は懐中電灯を抱く腕を緩め、またぎゅうっと抱きしめた。
「そ、そうかな?」
「うん。他の誰がどう思おうと、私はそう思ったわ」
私のセリフに呼応するように、円城寺君はパッと顔を持ち上げて。
「僕もそう思うんだ!僕って、結構視野が広いと思うんだよね」
笑顔が破裂したかのような勢いでそう言った。
そして私を見据えて
「僕、これからは館林のことマイマイって呼ぶよ!」
突拍子もない事を言い出したのである。
「どうしたの?急に…」
「だって、館林って呼ばない方がいいんだろう?」
「それはそうだけれど…」
「じゃあマイマイ!フルーガルだと、実家で飼ってる犬の名前と似てるから、だからマイマイ!僕のことはユズユズって呼んでくれていいよ!」
「ええと、それはちょっと…」
「えー、呼んでよ、ユズユズって」
「急には、ちょっと……」
「えー、マイマイって、恥ずかしがり屋なの?しょうがないなぁ、もう…」
しばらくして一旦止んでいたピアノがまた鳴りだしたけれど、私も円城寺君も、呼び名の方に意識を注いでいたせいで、さっきみたいに騒いだりはしなかった。
ただ、流れてきた曲は、レクイエムではなかった。
エリック・サティ Je te veux
日本語訳では――――あなたが欲しい
なんとも興味を引く選曲を記憶に留めながら、私は円城寺君からマイマイと呼ばれ続けていたのだった。




