シバの村5
白刃山の冬は厳しい。秋には気持ちよく感じた山の澄んだ空気も、日を追うごとに肌を刺すように冷たく、鋭くなってゆく。この間まで、燃えるように赤々としていた山の木々は、強い火がぱっと燃え落ちるように、冬山へと姿を変えた。じきに雪が積もれば、春まで溶けることはないのだという。
秋の間、村人達は本当によく働いた。畑の世話や、薪作りに、狩りと、冬の支度は大忙しだ。隔絶された厳しい土地にある為だろう、彼らの結束力は強い。
クライブにとって、ここでの暮らしは、とても新鮮で、興味深いものだった。寒さに強い野菜、乾燥した草の蔓で編んだブーツや帽子、仕事の道具に山の幸まで、今まで見たことのないものばかりだ。絹と呼ばれる滑らかな白い布は特に目を引いた。雪のように真っ白な美しいそれは、なんと虫の糸から作られるのだという。そっと覗かせて貰ったが、それは白っぽい大きな芋虫だった。この虫の糸から美しい布が作られるなんて信じられないと思ったものだ。
ある日の午後、クライブは畑の脇を歩きながら、北の空を見上げた。いつの間にか、どこにいても目に入る白刃山を仰ぐのが癖になってしまっていた。あれが目に入っていれば、うっかり南の空を見てしまう心配がないというのもある。青空を貫く峰には、今は薄く雲がかかっていた。
「うーっ!ずっと屈んでたから、腰が痛ーい!」
ティナが、ぐーっと伸びをしながら言った。今朝の仕事は畑の手伝いだった。野菜が寒さにやられないよう、縄をかけて回る仕事だ。地味に見えて、なかなかの重労働だ。クライブも腰が痛い。
それだけでもうへとへとだが、午後からは、狩人達を手伝って、村周りの木の世話をするのだ。
「木のお世話って、なんだろうねえ?木に登ったり、走り回るようなお仕事だったらいいなぁ。」
多分、そんなことはないだろうと笑いながら、倉庫の近くを通った際、柵の中に数頭の雪ロバが干し草を食べているのが見えた。
「あ、クライブ見て!」
ティナがそう言って柵に駆け寄った。
「アタシ達をここまで運んでくれた雪ロバだよ。ほら、あの子!」
そう言ってティナは、奥のお尻を向けて草を喰んでいる一頭を指差した。
「よくわかるなあ。俺には、みんな一緒に見えるよ。」
クライブも、他の雪ロバと比べて、まじまじと眺めて見たものの、見分けがつかなかった。
「全然違うじゃない。顔つきとか、音とか。」
「音?」
「うん、雪ロバは音が大きい生き物だから、わかりやすいよ!」
クライブは、相棒の言葉に、ふうんと頷いた。食べる音や、足音のことだろうか。観察してみた所、雪ロバは馬に比べて鼻息が荒い気がする。
ティナが、ヤッホーと手を振ったが、雪ロバは意に介さず、ハツハツと音を立てて食事を続けている。餌台から、引っ張り出すようにして干し草を喰むので、草のカスがくっついて、顔の周りに緑の粉を吹いたようだ。それを眺めて、二人はひとしきり笑ったのだった。
狩人達が使う小屋には、何度か来たことがあるので迷わなかった。中に入ると、もう何人かの狩人達が集まっていた。一段高くなっている所で、草で編んだ絨毯…畳というらしい。の上に数人があぐらをかき、茶を飲んでいる。
「こんにちは。ゼトさん。」
ゼトと呼ばれた大男は、二人を見下ろして言った。
「よく来てくれたな、クライブ殿。」
彼は狩人達を束ねている。大柄な、顔に傷のある男だ。禿げ上がった頭に、アゴにはもじゃもじゃの赤いひげを蓄えている。同じく赤いもじゃもじゃの眉の下で、瞳がいつも鋭くギラリと光っている。
「飯は食ったか?」
低い声で聞かれて、二人は頷いた。
「農家さんの所で、軽く頂きました。」
そうか、と短く答えると、自分の隣の畳を、掌でばしんと叩いた。
「まあ、茶でも飲め。」
今のは、ここに座れという意味らしい。クライブとティナは、靴を脱いで、ゼトの隣に座った。ゼトは、囲炉裏で火にかけていたやかんから、二人の分のお茶をお椀に入れてくれた。かなり渋い味のお茶だ。他の狩人が蜂蜜を入れて飲んでいたので、真似することにした。
「雪虫はもう見たか?あれは、この島じゃここでしか飼ってないんだ。俺の妹が世話をしている。」
クライブは、壺から蜂蜜をひと掬い貰いながら、はいと頷いた。先日雪虫を見せてくれたのはゼトの妹だったのか。確かに、彼の髭と同じ色の赤毛だったが、他は似ても似つかない、細身で優しそうな女性だった。
「見たよー!あんまり、美味しそうじゃなかったな。」
ティナが、驚くことを言う。ゼトが、目をひん剥いてティナを見たので、クライブは怒られるかとヒヤヒヤした。が、ゼトはくわっと大口を開けると笑い出した。
「はっはっは!ティナ殿は面白い人だ!雪虫は大事な家畜だから、食べねぇでくれよ!」
クライブは、ホッと胸を撫で下ろしながら、一緒に笑った。ティナも首を傾げつつ、みんなが楽しそうなので一緒に笑った。ゼトは、顔は怖いが、気さくで優しい人なのだ。クライブは、リィネ村のヤギ飼いのバーデンを思い出して、少し微笑んだ。
「ん?」
ふいに、ティナがピコンと耳を動かして、戸口の方を見た。クライブが、どうしたのか訊ねようとした時、ガンっと戸にぶつかる音がした。ガタガタと、建て付けの悪い引き戸を押し退けるようにして、誰かが駆け込んでくる。
「ゼ、ゼトさん!大変だあ!」
小柄な、黒髪の少年だった。双子の一人だ。ずいぶんと慌てている。
「助けて!オトが、山でいなくなっちまったんだあ!」
彼は息も荒く、上ずった声でそう言った。赤くなった頬に、大粒の涙がぽろりとこぼれた。クライブ達が息を呑む傍ら、ゼトは手に持っていた茶碗を荒々しく置くと、目を見開いて怒鳴った。
「何をやっとるんだ!あれほど、一人だけで山に入るなと言っておいたろうに。」
双子の弟、イトは、ゼトの迫力に震え上がりながら、なんとか答えた。
「おれ、おれ、一緒にいたんだけど、山バシを追いかけてっ途中に、転んじまって、置いてかれっちまったんだよう。」
少年はそう言うと、ごめんなさあいと泣いた。ゼトは、ギョロリとイトを睨むと、口をむっと結んで一呼吸置いてから、言った。
「仕方ねえ。イト、おめぇは母ちゃんに知らせにいけ。俺は村の男囚を集めてくる。」
ゼトが目配せをすると、囲炉裏を囲んでいた狩人が何人か戸口から駆け出して行った。イトも、疲れているだろうに、ぐっと頷いて走って行った。
ゼトはそれを見送ると、立ち上がりながら、クライブとティナを見た。
「聞いてのとおり、これから山を捜索することになった。クライブ殿、すまねえが家に戻っていてくれ。」
しかしクライブは、もう立ち上がって剣を確かめていた。おちゃらけながら、村を案内してくれたオトと、その陰に隠れてばかりだった気弱なイトを思い出していた。
「ゼトさん、俺も行くよ。オトには世話になったんだ。」
いつもお調子者なティナも、今回ばかりは真剣な様子でクライブの隣に立った。
「アタシも。アタシは耳がいいから、見つけるのにきっと役立つよ。」
ゼトは、クライブ達の申し出を聞くと、目をぎょろりとさせ、口をむっと結んでこちらを見た。断られるかと思ったが、彼は意外にもクライブの同行を許可してくれた。
「白刃山は、そこらの山とは違ぇ。山に入ったら俺の言う通りにしてくれ。あと、俺から離れるなよ。迷子が増えちゃ、かなわねえ。」
「わかった。」
クライブは頷き、マントを羽織った。




