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六月第三週にさしかかる頃。俺は二つの大きな問題に直面していた。
一つは情報である。俺が今探索している階層は4000を超えるのだが、これ以下の階層になってくるとモンスターの情報が無くなってくる。あったとしてもきちんと調べられていない情報多くあてにならないこともままある。しかもそういった情報にないモンスターに遭遇した場合は写真を撮るなどして区役所に申し出るようにしなくてはならないという決まりがある。面倒だが後でバレると罰金があるとのことなのでやらなくてはならない。
二つ目は金の問題である。現在の俺の借金は二百万ある。これは授業料などを一括で払ってしまったので動きようがない。しかも今年から金利が発生してしまう。年利15%なので来年には三十万増えてしまう。しかも来年には授業料も払わなくてはならない。
ダンジョンでの稼ぎは上々であるが、借金の額には遠い。しかも今は稼げているが怪我などをしたらどうなるかわからない。それにダンジョンに入るための必要経費などがある。例えば一つ目に関することとしてカメラを買う必要が出てきた。頭の痛い話である。
これを解決する方法はいくつかある。一つは違うダンジョンに行くという手である。しかしこれ金が必要な現状から却下。一からわざわざ降りるくらいなら一時間今の階層で探索したほうがよっぽど稼げるのではないだろうか。
次に、大学を辞めてダンジョンに入る時間を増やすという手段である。しかしこれは借金をなくした後どうすんのという問題が付きまとう。金を返し終わってもずっとダンジョン探索を続けるなんて冗談ではない。こんなリスクが大きい金稼ぎなんていつか怪我をして続けるのが厳しくなるか、老化で体が動かなくなるかの二択だ。となると就職だが、大卒であるという称号はかなり重要だ。それに大学のために借金をしたのに借金のために大学を辞めるなんて気に食わない。
ぶっちゃけ一発逆転の手もあるにはあるのだが、運だ。ドロップアイテムさえ手に入ればその金で借金を返すことだってできるのだろうが、祈ることくらいしか実現方法がない。
「あら? どうしたそんなしょぼくれた顔して」
ダンジョンの帰り道。考えながら歩いていると声をかけられた。目を向けるとそこには屋台があった。屋台といっても縁日などでよく見るものではなく、移動ができるように車輪のついた小ぢんまりとしたものである。店頭にはいくつかのストラッブや置物、装飾品などが売っていた。
客引きかと判断し、無視をして先に進もうとするとさらに声をかけられた。
「お前さん、見たところ金の問題を抱えてるね?」
足を止めてしまった。なぜ分かると考えたが、金についての悩みを抱えてない人なんてごく一部だろうしそう言っておけばたいていの人は当てはまるなと思い当った。占いなどでこんな感じのテクニックが使われていたなと思い、気まぐれに返答することにした。
「現代日本で金の悩みを抱えていない人なんて数えるほどしかいないでしょうよ」
そういうと店主だろう老人はしわくちゃの顔にさらにしわを増やして笑った。
「そうだろうね。でも、探索者だったらそんなことに頓着しないだろう?」
確かに彼らが金を求めるときは装備を一新するときくらいだ。俺のようにグダグダと悩むことは少ない。となるとなんで金だと判断がついたのだろう。俺が探索者であるというのはここから区役所の入り口が見えるので判断がつくと思うが、悩みについてはわからないかもしれない。
「じゃあなんで声をかけたんですか? 金に困っているんだ。売っているものだったら買いませんよ」
すると老人はカカカと声をあげて笑い、その後にこちらを見る。梅雨のじっとりとした暑さが張り付いていやな汗が流れた。ふと周りに気を配ると夕焼けも夜に変わろうかとしている。
「金なら要らんよ。お前さんに渡したいもんがあるんだ」
「嫌ですよ。なんで見ず知らずの人からわざわざものを預からなくちゃいけないんですか」
そういうとにやにやとした笑いを余計に深めて老人は人の名前を口にした。
「……なんで、その名前を知っているんです?」
老人が口にした名前は祖父母の名前だった。不気味なものを感じる。今すぐにでも駆け出したい気分だったが、この老人から目を離した瞬間に何があるのかわかったものではない。結果としてその場に残ることになる。何秒かすると老人は軽い様子で話し始めた。
「預かり物を届けに来ただけだよ。それ以上に他意はないから安心しな」
ごそごそと屋台の中を漁ると老人は布に包まれた物を取り出した。
「ほら。あいつらがお前さんに渡してくれって頼んでたもんだよ。ったく、人を配達員に使うなって話だ」
老人から渡された物は布の柔らかさ越しに固いものを感じた。これは果たして本当に祖父母が渡すように頼んだものなのか? なんか怪しいものとかではないか?
「……ここであけても構いませんか? あなたもこれを届けてくれた以上、見る権利はあるはずだ」
「いいとも。興味もあるからな」
返答は早い。この場で見られてもいいものなのだろう。俺の予想していた最悪のものだと麻薬とか銃火器かと考えていたがそんなこともなさそうだ。危ない事件に巻き込まれるということもなさそうだと安心しながら巻かれている布をスルスルと外すと、中からは乳白色の光沢のないお面が現れた。
「お面、だな。こんなもん自分たちで渡せばいいのになんでわざわざ頼んだんだ?」
老人がそう言うがそれ以上に俺が一番疑問に思っている。なんだこれ。
「本当におじいちゃ、いや祖父母から預かったんですか?」
そう聞くと老人は俺の名前を口にした。
「ああ、その名前がお前さんの名前だってんならあってるよ。流石にあいつらの名前と孫の名前まで一緒なんだから間違ってるってことはないだろうよ。
……しかし、このお面は……うん、ああ、なるほどな。お前さんは探索者だものな」
「何を言ってるんです? 最初にそう言ったじゃないですか」
「ああ、いいよ気にしなさんな。
ところで、お礼としてなんか買っていっちゃくれないのか? 金運のお守りとかあるんだが」
老人はニヤリとした笑みを浮かべていたのでしょうがなく一番安いお守りを買って帰った。
家に帰ってからお面について調べてみる。先ほどまでの場所は薄暗かったので明るい室内で改めて調べることで何か新しい発見があるかと考えたのだが特にこれと言っておかしなところはない。水洗いした後にティッシュで拭き、さらにアルコール入りのウェットシートで拭いてから調べ始める。
硬質な何かでできている乳白色のお面。穴などなく、柄もない。どうやって顔につけるのかと考えてから顔につける物じゃないのではと思い当った。お面のような形をしているのでそうではないかと考え付いたが形が似てるだけで違うものなんじゃないか? これじゃあつけても前が見えないだろうし。
「うおわっ」
これじゃあ前が見えないだろうなとお面を顔に近づけると驚くべきことが分かった。なんてことないお面のはずなのだが、面が張り出していないほうから装着すると勝手にくっつく上に正面が透けて見える。しかも息もこもることなく楽にできる。取り外そうと思えば磁石をとる程度の力で外すこともできる。
だからなんなのだろう。このお面を俺に渡して何か意味があったのか?
祖父母の意図を問いただすことはもうできないのでどうしようもないが残されたからには何か意味があるのだろう。
意外と固いし、ダンジョンで顔を守る装備として使えるだろうか。明日試してみよう。
疑問は消えない。しかしその疑問の元であるお面を見ると少し嬉しい気持ちが浮かぶのは、このお面から祖父母の名残を感じることができるからだろうか。このお面が温かく感じるのは錯覚だろうか。
まあ、あの老人に今度会ったらもうちょっと高いものを買ってもいいかもしれない、とそう思えるのは嬉しいことなんだろうか。
「しかし、なんというか、因果なものだな」
高辺 伊鈴(たかべ いすゞ)は月明かりのもとでつぶやいた。古い友人が死んだというのを知ったのはつい一週間ほど前だった。自分も彼らも年齢が年齢なので寿命で逝く仕方がないことだろう。だからと言って感じないものがないわけではないが、長い時を生きればこういったことは往々にしてある。また一人、会えなくなっちまったなあと思いこそすれ、泣くほど悲しいと思わないのは彼らとの関係性が親しいものではなかったからだろう。
そう考えるとくつくつとした笑いがわく。蛙の子は蛙だったという話だ。はたしてあの友人たちは知っていただろうか。彼らの孫が、彼らの忌避したダンジョンに潜っているだなんて。
「いや、あの様子じゃ知らなかっただろうな」
ぐいとワンカップの酒を飲み干してからため息と同時にそうつぶやきが漏れる。
はたして、親の形見をそうと知らないことは幸せなのだろうか。自分にはそうとは思えないが、彼らの考えも知っているので一概にそうとは言い切れない。だが、あの少年の手にあのお面が渡ったことはいいことだと思う。
なんだか柄にもなく感傷的になるのは、月の光が目に染みるからだと結論をつけて新しいカップを開けた。




