第九十三話 穏やかな神院
神院の敷地内には複数の建物がある。その中の一つ、西の外壁近くにある二階建ての建物は、見習い巫女や見習い神官達のための研修施設になっている。一階は礼拝堂を模した施設で儀礼を覚えるために使われていて、二階には一人用の机と椅子が等間隔に配置されている教室や、各地の神々や宗教作法についての本が収蔵された資料室があった。
その二階にある教室に、今日は神院に来たばかりの見習い巫女が十数人集まっている。見習い巫女は正式な巫女とは服の色が違い、薄い黄緑色の服を着ている。これが正式な巫子になると緑色の服を着るようになり、指導者的立場になると深緑色へと変わる。服の生地も合わせて段々良いものへと変化していることは、一般にはあまり知られていない。
見習い巫女達が緊張した顔で席に座っていると、教室に深緑色の巫女服を着た熟年の女性が入ってきて教壇に立った。
「皆さんこんにちは。初対面の方もいらっしゃる様なので、自己紹介をしておきましょう。私はルチル=ケイラー、今日から数日かけて皆さんに巫女の心得をお教えします」
ルチルは歳を感じさせない透き通った声で話し始めた。セカンドネームも名乗ったことから、どこかの領主に連なる人間なのだとわかる。
「ここに集まった皆さんの出身地は様々です。おそらくは皆さんにとって特別な思い入れのある、故郷で特に信仰の深かった神様がいるでしょう。逆に自分の村とは仲が悪かった隣村で崇められていた神様がいて、その神様のことは好きになれないという人もいると思います。ですが皆さんが神院の巫女を目指すのであれば、全ての神様を平等に――」
ルチルの民衆に語り聞かせる説法ような講義を、多くの見習い巫女達が目を輝かせて聞いている中――表情はとてもにこやかなものの、内心は鬱屈している見習い巫女が一人。
(私は一体何をしているのでしょうか……)
十七番はなぜか見習い巫女にまじり、研修を受けさせられていた。
* * * * *
話は少し遡る。
夜に神院に到着した一行は、その日は客人用の宿泊施設で何もすることなく一泊した。
十七番はフィロフィーの元で働くか否か、しばらく働いてから決めたいと言って同行している。もちろん正式に雇われるつもりは全くなく、レモナ王女から話を聞き出した後「やっぱり故郷に帰りたい」と願い出て別れるという、いいとこ取りをするつもりだ。
明けて次の日、傭兵団は神院長に挨拶に向かう人間と、ヒドラ保護区の管理をしているというテルフレッドという神官に会いに行く人間とに分かれた。神院長に挨拶に行ったのは団長とレナ(と、子狐)で、十七番は残り三人と一緒にテルフレッドに面会した。
壮年の神官だったテルフレッドは、最初は自分よりずっと若いフィロフィーを見て疑ったのか、情報共有と言いつつ試すような質問をぶつけていたが……すぐにフィロフィーの能力を認めて意気投合してしまった。
フィロフィーはやはり、変わり者だが能力はあるという研究者気質の人間らしい。
十七番の故郷にもそういった人間が一人いたが、彼に比べるとフィロフィーはテルフレッドを立てたりもしていて、親しみやすい方に見えた。
それからテルフレッドと一緒にヒドラ保護区を見に行こうとなった時、フィロフィーが十七番へと言及した。
「今日はまだ、ジーナさんは連れていかないほうが良いですわね」
「彼女に何か問題でも?」
「ええ、実はジーナさんは魔物を引き寄せる体質なのですわ。なのでジーナさんを連れて行くとヒドラを引き寄せてしまいます」
フィロフィーがテルフレッドにそう説明するのを聞いて、十七番は申し訳なさそうにしながら「ご迷惑をおかけしてすいません」と小さく頭を下げたが――本音では意図せずして傭兵団と別行動できるチャンスが生まれ、頬が緩みそうになるのをこらえていた。
昨日の夜に神院に着いたばかりのため、レモナ探しはまだできていない。探しに行く絶好の機会が巡ってきたと思っていた。
「とんでもない! 今日はまだ様子見だけなので待機していてもらいますけれど、ヒドラを捕獲する時には手伝ってもらいますわ」
「なるほど、それは頼もしい能力ですね。ヒドラも個体数が減ってきていて捕獲するのも一苦労ですから」
「はい。それではすいませんが、ジーナさんは神院で待っていてくださいますか?」
「わかりました。でしたら待っている間、少し神院の中を見学させてもらえませんか? なにぶん神院については無知でして」
「では、手の空いている見習い神官にでも案内をさせましょうか?」
「いえ、あまりご迷惑をお掛けするのも申し訳ないので、差支えなければ一人で見て回ります。 ……神院の中で近づいてはいけない場所や気を付けるべき相手などがあれば、先に教えてくださいませんか?」
ストレートに「一人にしてください、あとレモナ王女の場所を教えてください」と言えれば苦労はないが、そんな馬鹿な台詞はないので言い換える。
これならば、レモナがどこを探しても見つからない場合は『近づいてはいけない場所』にいるのだろうという検討がつく。もちろんレモナが見習い巫女としてその辺を自由に歩いている可能性もあるが、その時はテルフレッドに尋ねるまでもなく見つかるだろう。
しかしテルフレッドは腕を組んで考え込み、十七番の質問には何も答えない。
十七番が顔色を変えないようにしながらテルフレッドの返事を待っていると、彼は何か思いついたかのように「そうだ」とつぶやいた。
「フィロフィーさん、そのお話だとジーナさんの出番はまだ先になりそうですよね?」
「そうですわね。ヒドラの捕獲をする前にやるべきことは沢山ありますから」
「でしたら、彼女には見習い巫女の研修を受けてもらいましょう」
「……えっ?」
「建前だけとはいえ、見習い巫女として神院に来た人間が、神院について無知なままでは問題がありますからね。ちょうど今季の見習い巫女の研修が今日から始まるんですよ」
「そうですわね。無知だと拙いのはわたくしにも当てはまりますが、わたくしには研修に出ている暇はありませんし……あとでジーナさんに、どんな研修をしたのか教えて貰うことにしましょうか」
(……すこし、焦りすぎたでしょうか)
十七番が自分の迂闊な発言に後悔した時、既に断れる雰囲気ではなくなっていた。
* * * * *
そして今に至る。
もしかしたらレモナもこの研修を受けているのではないかと周囲を見たが、レモナらしき人物はいなかった。
十七番が聞いているレモナの外面的特徴は『長い金髪』『中肉中背』『胸はそれなりに大きい』などがある。金髪の女性は四人ほどいるのが、一番条件に近いのは、何故か十七番より先に教室に来ていたレナだった。彼女は十七番と目が合うと、はにかんで小さく手を振ってくる。
無論、彼女がレモナではないことについては確認するまでもない。名前は少し似ているし、髪の毛は切ればいいかもしれないが――彼女の胸は『それなりに』と付け加えるにはあまりにも凶悪だった。もしも彼女の胸を『それなりに』などと表現する人間がいたら、それは慎ましい胸を持つ十七番への冒涜だ。いたら殴り飛ばしてしまうかもしれない。
――情報源がリスティ城に潜入していた兄の十番なので、殴ることは叶わないのだが。
ちなみに『人当たりが良い』『責任感が強い』といった内面的情報も持っているが、その情報からも大きく外れている。
他の金髪の女性も太っていたり小さかったりそばかすがあったりして、明らかにレモナとは別人だ。髪を染めているとわからないけれど、そこまで疑うとキリがない。
「――では、午前の講義はここまでにしましょう。調理の担当は私ではなくカルベ神官ですので、皆さんは調理場に移動してください」
これは見習い巫女の研修であり、貴族学校の様に食事の用意をしてくれる給仕がいるわけではない。一時間足らずで終わった講義の後は、神院にいる全ての人間のための昼食作りをさせられた。
昼食後も洗い物があり、神院内の掃除があり、夕食の仕込みがあり。
(私は本当に、何をしているのでしょうか……)
魔物に襲われることもなければ発狂したレナにすがりつかれることもなく、十七番の神院初日は穏やかに終了した。