第九十二話 イセレム
十七番が傭兵団に出会った日から一週間後、グックスに襲われたりレナに懐かれたりと紆余曲折はあったものの、十七番は神院の街イセレムに到着した。
グックスもようやく諦めたのか、後半になると魔物に出会う頻度はぐっと減り、いまでは時折鳥型の魔物が偵察に来るくらいになっている。
フィロフィーは空高く飛ぶ魔物を撃ち落とせずに悔しそうにしているが、十七番は内心ホッとしていた。鳥型の魔物はグックスにとって重要性が高いので、それを撃ち落としてしまうと本格的に敵対する可能性があったのだ。
「久しぶりに来たけれど、相変わらず小さな街ね」
隣に座るレナが馬車の小窓を開けてイセレムの街を見て、誰に言うでもなく呟く。
十七番も見せてもらったが、イセレムはよくある宿場町にしか見えなかった。街に宗教的な特徴はないし、巫女や神官が闊歩しているわけでもない。
「あまり宗教の街という感じはしませんね」
「この街にお参りに来る人もいないからね。地理的に行商人はよく通るから、彼らがイセレムに寄ったついでに旅の無事や商売の成功を祈願していくくらいかな」
団長の説明に、十七番は目を丸くする。
「そうなのですか? 神院の総本山なんですよね?」
「総本山はあくまでも『神々の集会場』って位置付けで、ここに祀られている神様がいるわけじゃないんだよ。ジーナの故郷がどこかは知らないけれど、わざわざイセレムにお参りに行く人なんていなかったんじゃないかな?」
「ええと……そうですね」
同意を求める団長に、十七番は曖昧に相槌を打つ。
実際のところ、十七番はキイエロ王国の人間ではないし――十七番の祖国はテルカ教という国教を持つ宗教国家だったので、事情がこの国とはまるで違う。テルカ教には国民であれば一生に一度は必ず行く事になっている聖地があり、そこには孤児院出身の十七番ですら連れて行って貰った事がある。
その時に見た聖都はイセレムより何倍も大きな城塞都市で、台地の上にそびえる巨大な神殿が街のどこからでも見えていた。街中がテルカ教のシンボルである七芒星で溢れていて、聖職者も信者も皆、特徴的な白一色の服装だった。
なので祖国の聖都と比べると、言われなければただの宿場町にしか見えないイセレムの街は不思議でならない。
そんな十七番の蟠りを、フィロフィーが敏感に感じ取った。
「あ、もしかしてジーナさんは外国から来たんですか? 戴冠式には周辺諸国の使者の方も沢山参加していましたし」
「ちょっとフィロフィー、お姉様の故郷は聞かない約束でしょう!?」
「……いえ、かまいませんから。お察しの通り、私はキイエロ王国の神院についてはあまり詳しくないんです」
迂闊な嘘を吐くよりはいいかと思い、十七番は外国人であることを暗に肯定した。
ちなみに十七番はなにも、キイエロ王国の宗教事情について無知なまま潜入しているわけではない。ただ、キイエロ王国は多神教が主流で神様が八百万いる上に、市民の生活には宗教色が薄い。そのためテルカ教独自の習慣や言い回しを出さないような訓練はしてきたが、キイエロ王国のひとつひとつの神様について深く調べる必要はなかったのだ。
ただ、さすがに神院のあるイセレムまでもがここまで普通だとは思っていなかったため、少し面食らってしまったが。
「それは仕方ありませんわ。わたくし達も基本的に、自分に関わりのある神様以外はよく知りませんもの」
「まあ、神院についてしっかりと勉強するのなんて、聖職者と王族くらいでしょうね……」
レナが遠い目で嘆息すると、正面に座る団長も眉を寄せて頷いた。
「この国はかつて数多くの小国家だったものが集まってできた国なので、信仰している神様も各地でバラバラなのですわ。それがキイエロ王国として一つにまとまる際、宗教が原因で再び分裂しないようにと作られたのが神院だと聞いています」
「では、神院は宗教団体ではないのですか?」
「えぇっと、微妙なところですわね。建前上の神院は、この国の全ての神様を祀っている王国公認の宗教団体ですけれど……実態は各地の監視をしてる公務員ですから」
フィロフィー曰く、別々の場所で別々の人達に崇められていた土地神などを、ひとつの多神教として纏めてしまったのが神院らしい。
なんとも乱暴な話だが、それでひとつの国としてまとまることに成功したのだから侮れない。
「あとは国教を守るという名目で、テルカース帝国のテルカ教のような、侵略的な一神教が入ってこないように見張ったりもしていますわね」
「…………なるほど」
「ただし神院も、宗教の押さえつけだけを仕事にしていると民衆に嫌われてしまいますから、孤児院の運営や回復魔法の行使などの慈善事情も行っています。ここでおこなっているヒドラの繁殖事業もその一環ですわ」
淡々と話すフィロフィーを見て、十七番はふと疑問に思う。
彼女の話し方は神を信じている人間のソレではない。
「フィロフィーさんは何かを信仰しているのですか?」
「そうですわね、しいてあげるなら悪魔信仰でしょうか?」
「えっ」
「だってほら、いるかどうかもわからない神様よりも、実在する可能性のある悪魔の方が、もしもの時は助けてくれそうではありませんか?」
呆気にとられたのは十七番だけでなく、レナや団長も目を丸くしてフィロフィーを見つめる。
フィロフィーは次の瞬間「ぷひゅっ」と吹き出した。
「うひゅひゅ、ただの冗談ですわ。お父様が普段は北国であるセイレン領で働いている関係で、雪山の神シルバーニルを信仰しています」
フィロフィーは「あまり熱心ではありませんが」と付け加えて笑うが、熱心ではないどころかこれっぽっちも信仰してない様にしかみえない。ともすれば悪魔信仰の方がよほどありそうに思える。
「フィロフィー、悪魔信仰は本当に冗談なんだよね?」
団長も十七番と同じことを考えたのか、フィロフィーに念を押すように質問した。
「もちろん! ――ですがもし悪魔がいるのなら、思わず信仰してしまうくらい働いて欲しいものですわね」
「……フィロフィーと契約した悪魔の方が、救いを求めて宗教にハマりそうだね」
ニヤリと笑うフィロフィーに、団長は力無く呟いていた。
そうして十七番達が話をしているうちに、馬車は神院の門の前に到着した。神院は高い塀に囲まれていて、外からは中の様子を見ることができない。
御者席に座っていたバンケツとスミルスが門番達になにやら書類を提出すると、キビキビとした動きで門を開けた。
馬車は神院内にある、馬小屋兼駐車場で停止する。
十七番は馬車を降り――そして小さく笑った。
(やはり神は存在しますし、そしてこの国の神はまがい物ですね。私には本当の神の御加護がある)
傭兵団の馬車のすぐ隣には、十七番が一週間前に目撃したキイエロ王国の馬車が駐められていた。