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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第七十一話 第一の事件・解

 

『昔の本が沢山あるな。――お、魔人化に関するやつもあるぜ』


 ことの始まりは、グリモのそんなひとことだった。



 登城初日、フィロフィーがチャコとミルカに捕まり、ヘリーシュの部屋へと向かう途中のことである。

 グリモの言葉にフィロフィーはキョロキョロと周りを見渡すが、そこは医務室前の廊下であり、見えるところには本棚すらない。


(どこでしょう、医務室の中ですか?)

『医務室の、下だな。この地下がちょうど書庫になってるみたいだ。現代語の本の他に、魔導書や古文書の保管もしてるっぽいな』

(読めましたか?)

『んー無理。もうすぐ通り過ぎる』


 フィロフィーは今、双子の王女達に連行されている最中である。書庫があったからといって足を止めることはできない。

 そして解放された後も、廊下にずっと立っていることはできないだろう。城内各所にいる城の騎士達に不審がられるのは目に見えている。


(ということは、キイエロ王国は魔人化について掴んでいるのでしょうか)

『いや、たぶん古代の言葉だから読めないんじゃないか? 「魔人化研究の最新報告書」と「ホムンクルス概論」の間に「実録・情事に溺れたワルキューレ妻」が挟まってるし。たぶん古文書のジャンル分けもできないんだろ』

(グリちゃんなら読めるんですよね)

『おう。時代によっては読めないやつもあるだろうけど、少なくとも今言った三冊は知ってる言葉だったぞ』


 グリモの返事に、フィロフィーは心の中でほくそ笑む。


(ここの書庫に入れればいいのですが……それが無理なら、何とかして医務室に入院しないといけませんわね)

『何とかって、どうする気だ?』

(その辺にポイズンマッシュマンでも居れば齧りますが)

『居ても齧るな。だいたい食中毒おこしたってそこの医務室に入院できるとは限らんだろ。医務室ならさっきの研究員棟にもあったし、ここは王族専用とかじゃないか?』

(うみゅう……とりあえず書庫に入れるかを確認してから考えましょうか)


 その後連れていかれたヘリーシュの部屋は、しくも医務室の上だった。グリモはヘリーシュの部屋からも多少は書庫を覗くことはできたが、目当ての古文書は書庫の隅に追いやられていて遠すぎた。


 グリモは暇つぶしに目についた心理学の本を読み始め、その知識をフィロフィーに伝え――結果、フィロフィーは半端に知識のある状態でキャスバインと対峙し、思いっきり目をつけられることになる。



 *   *   *   *   *



 そして、その日の夜。


(というわけで、無事に医務室に入院できましたわね)

『何一つ無事じゃない』

(都合良く毒入りワインを飲まされて良かったですわ)

『まったく都合良くない』

(ミルカ様のご好意には感謝してもしきれませんわね)

『向こうはご主人のこと滅茶苦茶睨んでるぞ』

(……わかりましたから! いちいちうるさいですわ)


 入院することになった医務室で、フィロフィーはグリモに怒られていた。


 あまりにも危険過ぎる方法(・・・・・・・)で入院してみせたフィロフィーに、一連托生のグリモが怒るのも無理はない。


 今はスミルスも宿へと戻り、他に医務室に残っているのはミルカと夜勤の看護婦だけである。

 シェパルドルフ医師は医務室に隣接している彼の部屋でやすんでいる。夜勤の看護婦はシェパルドルフの部屋の鍵を持っているので、何かあればすぐに彼を起こしに向かえる。


 フィロフィーとミルカのベッドは隣同士で、今はカーテンで遮られているのだが……グリモの目にはフィロフィーの方を睨んでいるミルカがはっきりと見えていた。


『おい、気をつけろ。ミルカが動いたぞ』

(気をつけろと言われても、逃げられませんってば)


 フィロフィーとグリモがそんなやり取りをしている間に、目隠しのカーテンが開けられる。

 開けたのは言わずもがなミルカであり、その顔が凄くニコニコしていることが、フィロフィーには逆に怖かった。


「あの、どうかされましたか?」

「――え? あっ、起きては駄目ですよミルカ様」

「もう平気ですよ。せっかく可愛い女の子が隣にいるんだし、眠れないからちょっとだけ、ね?」

「もう、ちょっとだけですよ」


 看護婦がミルカを注意したが、ミルカに笑顔でお願いされるとあっさりと引き下がる。

 フィロフィーの事情はもちろん無視だ。


「隣、いいかな?」

「はっ、はい……」


 満面の笑みを浮かべるミルカに対し、フィロフィーの愛想笑いは露骨に引きつっているのだが、それでミルカが引き返すわけもなく。

 ミルカはフィロフィーの掛け布団の中に添い寝するように潜りこむと、フィロフィーの手を両手で包み込むようにして握った。

 ミルカの手は、ひどく冷たい。



「ねえ、フィロフィーちゃん。どうして……」


 ミルカはささやく。

 看護婦には聞こえぬ声量で。 


「どうして毒入りだってわかってて、あのワインを飲んだの?」


 第一の事件の核心を。



 第一の事件でワインにジゴ薬を入れたのは、キャスバインが睨んだ通りミルカである。

 これがヘリーシュの部屋にあるような推理小説だったなら、あっと驚く人物が真犯人になるのだろう。しかし現実では憲兵が最初に怪しいと思った人物がそのまま犯人であることが多く、今回も例外ではなかった。


 ――例外だったのは、フィロフィーという不思議少女の行動である。


 そして他人の飲み物に毒を盛るのは難しいことでも、自分の飲み物にこっそり毒を入れるのは簡単だ。ミルカはワイングラスを袖で隠しながら、人に見られないようにワインにジゴ薬をいれた。そこに難しいトリックなんて必要ない。

 立食パーティーの会場だったし、どこに行くのも自由である。毒を入れるところを他人に見られないようにするのなんてそれほど難しいことではない。


 ――ミルカにとって予想外だったのは、グリモという透視装置の存在である。



「わ、わたくしはただ、ミルカ様とクリンミル様が困っていたから申し出ただけですわ」

「でも、そのあとでわざと(・・・)倒れたよね?」


 ミルカの指摘に、フィロフィーから「うぎゅっ」と変な声がでる。


「ナ、ナンノコトデショウカ? わたくしはワインを飲んだら急に気持ち悪くなって……」

「そんなわけないじゃない。ジゴ薬はね、飲んでから効き始めるまでに十分以上かかるの。アルコールだってそうよ、飲んだその瞬間に倒れるわけないじゃない」

「そ、それはその……」


『ほら、だからやめろって言ったんだ!』

(今は黙っててください!)


「フィロフィーちゃん、あなた、自分が毒を飲まされたことがわかってたんでしょ? だからすぐにシェパルドルフ先生の治療を受けるために、わざと倒れたんだよね?」


 ミルカの追求に、いよいよフィロフィーはいいわけができなくなった。




 それこそ、キャスバインすら混乱させた第一の事件の真相である。

 ミルカがクリンミルに飲ませようと準備した毒入りのワインを、フィロフィーは毒入りだと知った上で、横から奪い取って飲んたのだ。

 その犯行動機は「グリモに書庫の本を読ませるために医務室に入院するため」である。


 フィロフィーはジゴ薬入りワインを乾杯の時に飲み干したが、そのままでは心臓が痙攣を起こし、内臓がボロボロになって死んでしまう。なので毒が身体に吸収される前にわざと倒れ、自分を医務室に運ばせた。

 その甲斐あって、少し動悸が出始めた頃には既に医務室へ到着していた。


 結局のところ、第一の事件はフィロフィーによる自作自演だったのだ。


 しかしワインに入っていたジゴ薬の量が自作自演としてはありえない量だったこと、キャスバインがミルカが怪しいと気づいたこと、ミルカとフィロフィーの間に共犯関係があるようには見えなったことが、特務憲兵の判断を狂わせた。


 これについて、特務憲兵が責められるべきではないだろう。手段にせよ目的にせよ逆立ちしたってわからない。むしろこんな意味不明な事件なのに、それでもキャスバインはフィロフィーも怪しいと感じていた。まさしく心眼の二つ名に恥じない憲兵である。


 ――ただ、彼はもう少しだけ、自分の心眼に自信を持つべきだった。




「どうして飲んじゃったの? どうしてキャスバインに言わなかったの? どうしてお父さんから離れて入院したの? ねえ、どうして?」


 ミルカはフィロフィーの耳元で猫を撫でるような声でささやき、冷たい手でフィロフィーの左胸を撫でる。


 フィロフィーは肝が冷えた。


『ご主人、マジで気をつけてくれ』

(はい?)

『ミルカのやつ、魔法で手に冷気を纏ってる。ご主人の返答次第では、そのまま心臓を凍らせるつもりだ』


 フィロフィーの肝は、物理的にも冷えていた。


 一瞬ミルカを蹴り飛ばして逃げることも考えてみたが、廊下に出た瞬間に見張りの騎士に捕まってしまうだろう。その時ミルカがフィロフィーを殺そうとした証拠はないので、王女を蹴り飛ばした罪で裁かれるのはフィロフィーの方だ。


 早く何か答えなければならないが、返答を間違えるとこの場で殺される。


 正直に「ちょっと医務室に入院したかったので」では信じて貰えるわけがない。グリモの説明まですれば理解して貰えるだろうが、ミルカに言える秘密ではない。


 「クリンミルを助けるため」では、クリンミルを殺そうとしていたミルカに敵対宣言をするに等しい。


 「家に帰るとスミルスに乱暴されるから入院しようと思って」……フィロフィーが生き残ってもスミルスが死ぬ。社会的に。


(どうしましょう、「クリンミル様もミルカ様も両方助けたかった」とか言ってみましょうか?)

『ご主人、こんな時に変に綺麗ごとを並べない方が良いぞ。それよりも何か自分の欲を見せた方が信用される』


 グリモのアドバイスに、フィロフィーは欲しいものを必死に考える。


(欲しいもの欲しいもの、魔法、魔法、魔法、魔法、書庫の本、犯人の情報、実験材料、研究費……そうですわ!)


「じ、実はわたくしには欲しいものがありまして」

「欲しいもの?」

「はい。ずばり言いますと、クリンミル様の金とコネ、でしょうか」

「カネとコネ?」


 フィロフィーの切り出しにミルカは怪訝な顔をしたが……手に纏っていた冷気は少し弱まった。


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