第六十九話 キャスバインの失敗 ①
話は少しだけ遡る。
「――というわけで、テンさんかコルナさんのどちらか、もしくは両方の協力がなければ、このトリックは不可能なのですわ」
「コルナは白よ」
フィロフィーの説明に、オリンが即答でコルナの関与を否定した。
取り調べ室には先ほどまでの面々に、ロアードとバンケツ、そしてオリンが合流している。今はロアードとオリンが椅子に座り、他の人間は二人に報告するように横一列になって立っている。
宰相が取り調べ室から出て行った後、フィロフィーはキャスバイン達に執事の関与を指摘した。こんな大切なことを話し忘れるわけはない。
のちに行われるフィロフィーとテンの問答は、フィロフィーとタイア達の間で一度やったことの繰り返しである。テンが嘘をついた分だけやり取りに差は出ていたが。
執事がアークロイナの死に関与していたと聞いて、キャスバインは特務憲兵だけでの解決を諦めた。彼はまずロアードに報告し、オリンをテンとコルナに悟られずに連れてきて欲しいと頼んだ。
ロアードが適当に理由をつけてオリンを呼び出し、フィロフィー達がオリンに改めて事情を説明して今に至る。
ロアードはフィロフィー達の話を聴きながらも、半人半狐姿のタイアをチラチラと見ている。自分の愛娘が見たことのない姿になっているのだ、さぞかし気になることだろう。しかしタイアとじゃれていられる状況ではない。
「コルナは私の女王就任の準備でいっぱいいっぱいだもの、身内のお茶会の準備なんて関わってらんないわ。お茶会ではテンに仕事を取られてむくれてたわね」
「となると、やはりテンか。しかし何故あれがミルカ様と協力して陛下を殺すのだ、二人の関係は良好だったはずだぞ?」
「いや、痴情のもつれじゃないか? レモナと二股かけてるっぽいし」
「え? ミルカ様と恋人同士だったのでは?」
「なっ!?」
タイアとフィロフィーが呟くと、他の全員が驚きの表情で二人を見る。
「二人共何を言っている、のですか!? テンは、その……陛下の愛人だったはずです」
「ん、それは知ってる。二人きりのときは女王のことアリィって呼んでるんだよな。 ――でもあいつ、陰ではレモナとウィンクしあったりしてたぞ?」
「テンさんは夜中、ミルカ様に会いに医務室まで来ていましたわ。 ……あ、恋人というのはわたくしの判断ではなく、看護婦さんからそう聞いたのですが」
子供二人の証言に、大人達はなんとも言えない表情でお互いに視線を交わす。
「フィロフィー、ミルカとテンはその時に何を話していたんだい?」
「さあ? テンさんが来ると、わたくしと夜勤の看護婦さんは医務室から追い出されてしまったので。
その時に看護婦さんから『二人は秘密の恋人同士で、追い出されるのはよくあることなのよ』と」
「キャスバイン様、その看護婦も呼んできますか?」
「うむ……いや、後で良い。一緒に追い出されていたのなら、二人の会話の内容まではわかるまい」
フィロフィーが心配そうに「あの、看護婦さんも相手が王族と執事では告げ口できないかと……」と看護婦を庇うと、キャスバインは渋い顔のまま、小さく手を挙げて了承の意を示す。
そこにオリンが「大丈夫よ。その看護婦も無能な特務憲兵も、減給だけで許してあげるから」と付け加えると、許されたヨシュアは涙目になって喜んだ。
「そういえば、私も昔テンに色目を使われたことがあったわね。相手にしなかったからそれっきりだけど」
「うげっ、とんだ女好きだな」
「タイア様もチャラい男に捕まって、団長を泣かせんでくださいよ」
「いやいやタイア、バンケツ、どんなに女好きのチャラい男だって王族ばかり選んで声はかけないよ。痴情のもつれどころか、逆によほど王族に恨みでもあるか……」
「もしくはテルカース帝国あたりの間者かもしれませんわね」
「だとすると、せっかく取り入ったお母様には利用価値がほとんどなくて、テンもガッカリしたでしょうね」
「利用価値がない?」
タイアがオリンの言葉に首をひねると、オリンはそんなタイアにクスクスと笑う。
「お母様は――良く言えば君臨すれども統治せずだけど――要はお飾り女王なのよ。大事なことは私と宰相とロアード様で決めて、お母様の仕事は完成した書類にサインするだけ。最近はロアード様も隠居されて、私と宰相の二人で決めることも多いわね。
できればロアード様には相談役として城に残って欲しいのですけれど……」
オリンは流し目でロアードを見るが、ロアードは苦笑しながら小さく首をふる。
オリンもロアードの返事はわかっていたようで、小さく肩をすくめるだけだった。
「――あ、わかったわ。私が女王になると、王位継承権の一位になるレモナに執事が付くでしょ? だからまずミルカを利用してお母様を殺して、自分はレモナの執事兼愛人に収まろうとしたのかもね。
そのあと隙を見て私を殺せれば――ってところかしら?」
「私も殺されていたかもね」とさらりと言うオリンは口元に笑みさえ浮かべていて。
タイアはオリンにやや苦手意識を持つと同時に、次期国王としては悪くないのかもしれないと思った。少なくともテンに籠絡されるような人物ではない。
「とりあえずテンを拘束しましょう。後でゆっくり調べてみて、結果ただの女好きだったならどうでもいいもの」
「はっ。ではただちに捕らえ、彼の家などにも人を送り押さえましょう」
「でも、どんな罪状で捕らえます? 一連の事件ことは表沙汰にしてませんけれど」
「うーむ、王族への姦淫罪……は無しだな。国家反逆罪もできれば使いたくはないが……」
「あの! でしたらわたくしがカマをかけてみましょうか?」
「む?」
「わたくしがテン様と二人きりになって、ミルカ様には共犯者がいたはずだと話してみるのです。テン様がわたくしの口を封じようとしたところを現行犯、ではいかがでしょうか? 上手くいけば、尋問の手間も少し省けるかと」
フィロフィーはキャスバイン……ではなくオリンの方を見て、やらせてくれとアピールする。
「フィロフィー、そんな危険な作戦は……」
「あら、いい作戦だと思いますよロアード様。本人が言ってるんだから、やってもらいましょうよ」
「お任せくださいオリン様! わたくし、是非ともお役に立ちたいのですわ!」
「――そうよね、貴女はミルカに浮遊魔法を渡すくらいだもの。私には命を預けてくれるってことかしら?」
「当然ですわ!」
楽しそうに話すオリンに、必死な顔のフィロフィー。要約すれば「命がけで協力するので浮遊魔法の件は許してください」ということだ。
ミルカに騙されていたことが判明しても、浮遊魔法を渡したフィロフィーはとても危うい立場にいる。事件が表沙汰になっていないこと、それにタイアやロアードとの繋がりがあって、かろうじてフィロフィーの首はつながっているのだ。
オリンはそんなフィロフィーの意図を汲んで、おとり作戦への許可を出した。失敗したところでフィロフィーが怪我をするだけの話であるため、特に拒否する理由もなかった。
オリンはフィロフィーに「ただし無茶はしないようにね」と、表向きにだけ言っておいた。
それからはフィロフィーを中心に細かく作戦の打ち合わせをし――途中からタイアが「あたしもやる」とごね始め、最終的にはフィロフィーのリュックに子狐化したタイアを入れて臨むことになった。
オリンはテンに指示を出すために先に戻り、ロアードとバンケツは騎士団に話を通しに向かう。二人にはスミルスが作戦中のフィロフィーに近づかないよう宥めるという仕事もある。
「では、くれぐれも気を付けて……タイア様に怪我などさせぬようにな」
「お任せください」
『いや、あたしがフィーを護るんだけど』
全ての準備が整うと、子狐タイアを入れてずっしりと重たくなったリュックを背負い、フィロフィーも取り調べ室から出て行った。
取り調べ室にはヨシュアとキャスバインの二人だけが残る。しばらくは取り調べ室で待機となり、二人は椅子に腰かけた。
「…………なあ、ヨシュア。あの娘、フィロフィー=セイレンをどう思う?」
二人きりになると、キャスバインは改まってヨシュアに問いかけた――
* * * * *
それから作戦は順調に進んで、テンはフィロフィーに剣を向けていた。
テンが子狐を見て固まっている隙に、タイアが「きゅおん!」と一声鳴く。その瞬間、女王の部屋の扉がバタンと音を立てて開き、数人の騎士が室内へと雪崩れ込んでくる。
驚いたテンはフィロフィーから飛び退き、騎士達の方を向いて身構えた。
「お、お前達、ここを何処だと……っ!」
テンは騎士達に抗議しようとしたが、彼らの後ろからキャスバインとヨシュアが出てくるのを見ると言葉を止めた。自分がはめられたことに気付いた様で、「ちっ」と大きく舌打ちをする。
「これはこれは! 陛下の部屋から不審な物音を聞きつけて飛び込んでみれば、何やら物騒なことになっておりますなぁ。ちとお話をお聞かせ願えますかな?」
「気持ちの悪いにやけ面を見せるな。お前と言葉遊びをするつもりはない」
「…………ふん、やる気か。厄介だな」
テンが笑顔で取り繕い始めることを期待していたキャスバインは、テンの豹変に顔をしかめる。
もしテンが言い訳を始めたならば、キャスバインは彼の言い訳に納得する振りをしながら武器を奪い、魔封じの魔方陣のある取り調べ室に連れて行ってしまうつもりだったのだ。本格的な尋問は、武器と魔法を取り上げてからで遅くはない。
しかしテンは誤魔化すという選択肢は早々に捨て、そのかわり武器は捨てようとしなかった。
フィロフィーの誘導尋問にはまんまと引っ掛かり、目の前にいるのは心眼のキャスバインである。テンが早々に言い逃れを諦めたのも道理だろう。
かといって、大人しく投降するつもりはないらしい。テンはキャスバインに剣を向けて腰を落とす。
剣を向けられたキャスバインは一歩下がり、代わりに騎士達が前にでて剣を抜く。
長剣に執事服のテンと、軽鎧に室内用の短剣と盾を装備した騎士達。
両者は一触即発の状態で、フィロフィーを挟んでにらみ合う。
「……お、おい、ぼーっとするな、早くこっちに来い」
「あ、あの!」
かなり危ない位置にいるフィロフィーをキャスバインが呼ぶが、フィロフィーはそれに答えずテンをみて話し始める。
「あの、やめませんかテンさん。この人数差と装備差ですし、無駄な血を流すことはないと思うのです。もし隙をみて窓から逃げようと思っているなら、それこそ無駄ですわ。窓の外にはあのロアード様が待機しています」
「――っ!」
「どうか、落ち着いて考えてみてくださいませ。……そうだ、そこの気持ちの落ち着くハーブティーはテンさんに差し上げますわ。わたくしよりも、今のテンさんにこそ必要でしょうから」
「…………」
テンはフィロフィーの言葉を聞いて、机の上に置いたままのハーブティーのグラスに視線を向ける。
「……ああ、それもそうだな」
テンはひとつ大きく深呼吸すると、構えを解いて剣を収め――グラスを手に取って口を付けた。
その様子に室内の緊張の糸が切れ、キャスバインが安堵の息をもらした。
騎士の一人がテンを捕えようとして、剣を納めてゆっくりと近づく。彼以外の騎士は変わらず剣と盾は構えたまま、いつでも仲間を守れるようにと構えていた。
テンは捕まる直前にフィロフィーの方をみると、フッと笑い。
自分の胸に右手を当て。
「――凍れ」
自分の心臓を凍らせた。