第五十五話 事件は山積み
ヨシュアはタイアを抱いてパーティー会場を出ると、そのまま城を出て研究員棟へ向かう。
タイアは今日は朝一で医務室に顔を出した後、研究員棟のロアードの部屋で犬化して、迎えに来たヨシュアに合流している。要はタイアが城に着てきた服がロアードの部屋に置いてあるのだ。
しかし捜査の手伝いはまだまだ続くものと思っていたタイアは、ヨシュアが捜査を切り上げたことに気がつくと首をかしげる。
『なあヨシュア、今日は毒魔法盗難事件の犯人探しはしないのか?』
そもそもタイアがアークロイナに拉致されたのは、昨日の事件の捜査のためではない。
詳しい説明は受けていないが、王国が保管していた毒魔法の魔導書が盗まれたとは聞いていた。アークロイナはその事件の捜査のために、フィロフィーからコクリさんを取り上げたのだ。
なので疑問に思ったタイアはヨシュアを見上げて質問したが、ヨシュアからは困った様に苦笑いを返される。
「そうですね、確かに陛下はそのつもりだったみたいですが……昨日キャスバイン様が今更無理だと諦めていたのを覚えてますか?」
『そりゃ覚えるさ。何しろそれで、腹いせにタバコの煙を吹きかけられたからな』
「そ、それはあれですよ、悪いのはキャスバイン様ですから。特務憲兵の連帯責任とかじゃないですからね!?」
『ヨシュア……』
慌てふためくヨシュアを見て、タイアはつぶらな瞳をすうっと細める。
おそらくヨシュアはタイアが怖いのではなく、タイアの父ロアードのことが怖いのだろうが――だからといって躊躇なく上司を売り飛ばしたのは、単にヨシュアが臆病なのか、それともキャスバインに問題があって庇う気にもならないのか。
「と、とにかくですね、事件が起きたのが数週間前のことで、事件後もいろんな人が現場に出入りしてますから、今さら匂いを辿ったりは無理なんですよ。なので今日は毒入りワイン事件の捜査を優先することになったんです」
『何か証拠品とかは残ってないのか?』
「ルーンが抜けて空っぽになった毒魔法の魔導書と……もう一つあるにはありますけれど、あれをタイア様に見せてもなぁ」
『ん、望み薄か? でも試すだけ試しておかないと、そっちも女王に報告しなきゃいけないんだろ?』
「……それもそうですね。そんなに時間のかかることでもないし、今のうちにお願いできますか?」
ヨシュアは研究員棟を目前にして引き返し、証拠品の保管場所へと歩き始めた。
そこへ向かう道すがら、タイアはヨシュアからあらためて事件のあらましを説明される。
* * * * *
リスティ城では何年も前から毒魔法を求めていた。
「毒」と聞くと物騒だが、その効果は対象の心臓の動きを一定時間遅くするというもので、動悸など心疾患がある患者に対しては回復魔法の様に使われる。
一応、城にも毒魔法を使える人間はいるのだが、王女のチャコと宮廷医長のシェパルドルフという身分の高い二人だけである。
第四王女ミルカの心臓が弱いこともあり、毒魔法の魔導書か、あるいは習得している魔法使いの募集をかけていた。
しかし魔法使いも魔導書も、数年待っても現れなかった。
その理由には魔導書が珍しいこと、そして毒魔法の習得が難しいことが挙げられる。
魔導書の材料となるのはマンドラゴラという植物型の魔物の魔石で、これがかなり珍しい。広大な畑で栽培されているものの、元々弱い魔物であるため魔石は滅多に作らない。
魔物達はマンドレイクそのものを薬にできるが、それは人間には使えない。
一方で毒魔法の習得は、熟練の魔導士であってもハードルが高い。普通の火の魔法などは一〜二年くらいで習得できるのに対し、毒魔法は十年近くかかるのだ。それでいて相性が悪い場合はまったく発動できないために、手を出す魔導士がほとんどいない。
とはいえ何年もかけてマンドラゴラを栽培していたことが実を結び、ようやく魔導書が作れる大きさの魔石が手に入る。
作った魔導書は一時的に地下一階の書庫に保管され、誰が使うのかが話し合われた。
ミルカに使わせるという案もあったが、最終的にはシェパルドルフの弟子の若い医者が使い、そしてミルカの付き人になるということに決まる。
――しかしその若い医者が魔導書を開いた時、魔導書だったものは何も反応もしめさなかった。
既にルーンが抜けていて、魔導書はただの白紙のノートになっていたのだ。
魔導書を書庫にしまった時点では、魔導書が偽物ではなかったことは確認されている。
意図的に盗んだのか、あるいは事故でうっかり開いてしまったのかまではわからないが……いずれにせよ魔導書が書庫に保管されている間に、何者かが魔導書を使ったことは間違いないかった。
* * * * *
『ってそんな貴重な魔導書なら、書庫なんかに保管してちゃ駄目だろ』
「いえ、この城の書庫は特に警備が厳重な場所の一つなんですよ。入り口には特別な魔道具の鍵がかかってますし、常に見張りが立って司書も常駐しています。地下なので窓から侵入するようなこともできません。
国の運営に関わる資料や貴重な魔導書なども保管されているので、一部の許可された人間しか入れないんです」
『ん、じゃあなんで盗まれたんだ?』
「ですから、その、『一部の許可された人間』の中に犯人がいるとしか思えなくて……」
『…………具体的には?』
「書庫を管理している司書と一部の宮廷魔導士、タナカさんや宰相のようなごく一部の重役、それに王族とその執事くらいです。執事は王族と一緒になら、ですが」
『うわぁ……』
容疑者は大幅に絞り込めているが、誰が犯人であってもろくなことにはならないだろう。むしろ犯人がわかってからの方が大変なことになりそうだ。
何かと問題だらけのリスティ城に、タイアはげんなりとして呻いてしまう。
「あとは称号持ちの人も入れますが、彼らは鍵を持っていないので事前申請が必要ですし、王族のクリンミル様を除けば事件前後には誰も入ってませんね」
『なんか、王座争いがなくても揉め事だらけなんだな。どうりでお父様があたしをセイレン領に預けるわけだ』
「いやいや、ロアード様とアークロイナ様の二枚看板になってからはずっと平和だったんですよ? 僕もこの事件までは結構暇で、七不思議のひとつ『夜の地下倉庫に響く謎の声』の調査とかさせられてたんですから」
『それはそれでふざけてるだろ』
「結論としては地下室の壁の向こうに空間があり、そこに時々魔物がわいていたみたいです」
『真面目な調査だった』
「幸い地下室の壁せる壊すほどの魔物は発生しないようですが、壁を補強して放置するか、それとも大規模な工事をして穴を埋めるかで悩んでいます」
『その説明は求めてない』
その空間を埋めるとなると地下室の壁を壊すか、あるいは地上から掘り進めるかの二択になるが、どちらにせよ大変な工事なのだろう。
それは事件には全く関係のない、タイアにとって心の底からどうでもいい話だった。
「話を戻しますが、陛下はこの事件がかなりのショックだったようで、最近不眠症になってしまったんですよ。それで藁にも縋るような思いでコクリさんを連れてきたのでしょうね」
『そりゃ、身近に毒魔法を使える人間が隠れているんじゃ怖いよなぁ。あたしも城にいる間は気をつけないと』
「あ、それは大丈夫だと思います。
毒魔法は本当に難しいですからね。たとえ魔導書で魔法を覚えても、そこから年単位の修行をしないと人を一撃で殺せるような威力は出せないでしょう」
『そっか。それじゃあんまり関係ないな』
タイアはこのまま城に留まるわけではなく、戴冠式が終わり次第セイレン領に帰る予定だ。その時はロアードとバンケツも一緒にくることになっている。
仮に犯人が捕まらずとも、タイア達が毒魔法の被害にあう可能性は低い。
『あれ? でもチャコ姉はその毒魔法を使えるんだよな?』
「ええ、それも魔導書に頼らず一から毒魔法を覚えたそうですよ。
その代わりチャコ様は他の魔法が一切使えません。毒魔法だけをひたすら練習されてきたので」
『そりゃまたピーキーな王女だな』
「ミルカ様のためにと一心不乱に練習したそうですよ。毒魔法は直接ミルカ様の治療に必要なわけではありませんが、ジゴ薬を飲みすぎた時には中和剤として使えますので。
本当は解毒魔法を覚えたかったのでしょうけれど、あれは絶版魔導書でないと覚えられませんから」
『――そっか。たいした奴だな、チャコ姉は』
妹のためを思い、使えるようになるかもわからない毒魔法をひたすら練習し続ける。
そんなチャコのことを、タイアは素直にかっこいいと思った。
お手事件の恨みは忘れはしないが。
『他に毒魔法を使える奴はいないのか?』
「事件の直後に毒魔法を使える人間には自己申告をさせましたけれど、名乗り出たのはチャコ様とシェパルドルフ先生の二人だけでしたね。あ、ミルカ様は相性が悪くて覚えられなかったそうです。
なのでもしこの二人以外に毒魔法を使える人間がいたら、その人が犯人ですね」
そこまで話したところで、一人と一匹は地下一階の王国公安管理室に到着した。タイアてっきり書庫に行くのだと思っていたが、証拠品はこちらに移されているらしい。
ヨシュアはタイアを特務憲兵の部屋に案内すると、棚から毒魔法の魔導書だったものを取り出した。『だったもの』というのは、今はルーンが抜けて白紙のノートになっているからだ。
「どうですかタイア様」
『……ん、やっぱり駄目だな。紙の匂いとかはするけれど、匂いで個人を特定するのは無理』
「でしょうね、事件後も色々な人が触ってますし。ではもう一個の方もお願いします」
次にヨシュアが近くにあった白い箱を開け――中から氷漬けの鼠を取り出した。
『……ナニコレ?』
「事件の数日後、裏庭で数匹の鼠の死体が埋められているのが見つかったんです。外傷がなく、毒魔法の実験で殺された可能性があるんですが……いまから氷を溶かすので、匂いを嗅いでもらえますか?」
「…………」
返事を待たずして氷を溶かし始めたヨシュアを眺めながら、タイアは思っていた。
これはキャスバインが馬鹿にして、タイアに捜査をさせなかったのにも頷ける。
むしろこんなものを平然とタイアに差し出すヨシュアの方が、どうかしているのではないか。
タイアは嫌々ながらに鼻を近づけるものの、犯人につながるような匂いは一切なく。
ほのかな獣の腐臭に鼻を曲げた。