第五十六話 増える仕事、増えない自分
タイアが今度こそ研究員棟に戻ろうとしたところで、テンが特務憲兵の部屋に姿を見せた。
彼はいまだ犬の姿のタイアを見ると笑顔をみせ、流れるような動作で抱き上げた。そのまま頭を撫で始めた彼を、タイアは「キャン」と小さく鳴いて迎える。
「ヨシュアさん、女王陛下が中間報告を求めています。キャスバインさんも既に呼ばれているので、一緒に陛下の部屋まで来ていただけますか?」
「わかりました。……あ、ですがちょっとだけ待っててもらえますか? コクリさんをセイレン卿に返してしまいますから」
「あ、この子も連れて行きましょう。陛下に懐いてくれる小動物なんて珍しいですからね」
「いえ、ですが陛下の部屋に犬を連れていくのは……」
「問題ありません、私が許可します。では行きましょうか」
そしてタイアを抱いたまま歩き始めてしまったテンに、ヨシュア付いて行くしか選択肢がない。
『あー、ヨシュア、別に気にしなくていいから』
狼狽えるヨシュアに、タイアは悟った顔で念話を飛ばす。
タイアはタイアでいい加減、このパターンにも慣れてきていた。
* * * * *
連れていかれた先は城の二階の奥にあるアークロイナの部屋だった。
部屋手前でキャスバインと合流すると、ヨシュアとキャスバインは素早く情報交換を始める。
キャスバインもサボっていたわけではなく、ソムリエやメイドを尋問したり、医務室のジゴ薬の在庫を調べるなどしていたらしい。
二人の話し合いが終わったのを確認し、テンはノックと共に扉を開ける。
部屋の中に入ると、タイアの目に調度品の数々が飛び込んできた。
いかにも高級そうな家具や特務憲兵の部屋で見かけた白い箱、何に使うのかわからない魔道具なども置いてある。奥には台所やトイレ、風呂までもついているところをみると、この部屋から出なくても生活できるようになっているのだろう。
部屋で待っていたのはアークロイナだけでなく、第一王女オリンとその執事コルナの姿もあった。
オリンはパーティー会場ではおろしていた長い髪の毛を、今は一本の三つ編みに束ねている。アークロイナとオリンはソファーに座り、その後ろにコルナが立っていた。
入室したテンはコクリさんを当たり前のようにアークロイナに差し出すと、そのままコルナの横に並ぶ。
アークロイナは頬を緩ませてコクリさんを撫で始め――驚いた表情で凝視するオリンと目が合うと、咳払いをしてキャスバインに視線で促した。
「お待たせして申し訳ございません、陛下」
「いえ、こちらこそ捜査に忙しい所を呼び出してすみませんね。それで昨日の事件について何かわかりましたか?」
タイアはちらりとオリンを見るが、彼女に戸惑う様子はない。
オリンは時期女王として、昨晩の事件について聞いているようだった。
「はっ! 残念ながら、犯人特定には至っておりませんが……当時の状況はおおむね判明いたしました。
まず、乾杯用のワインが配られる直前、偶然あのテーブルにフィロフィー嬢と王女五人が集まっていました』
偶然、とは一体何があったのか。
タイアにはそこが疑問でならないが、アークロイナもオリンも質問しないのでタイアの疑問は解決しない。
「そして乾杯の直後にフィロフィー嬢が倒れたわけですが、その時の乾杯用ワインにジゴ薬が混入されておりました。なお会場にあったものはくまなく捜査しましたが、ジゴ薬が見つかったのはワインのこぼれた床とそれを拭きとった雑巾、それに割れたワイングラスのみですな」
「そうですか。ずいぶんと早く判明したのですね」
「ええ、陛下に貸していこだいたそいつのお陰です」
そう言ってキャスバインはアークロイナの腕の中にいるタイアに視線を向ける。
「いやはや、本当に賢い犬ですな。残念ながら毒魔法の盗難の件では新しい情報は得られませんでしたが、今回の捜査では本当に助かりましたぞ。
ジゴ薬の匂いにのみ反応しますし、匂いを嗅がせている途中で会場の残り物を勝手に食べたりもせず。さすがは陛下自らが見込んで連れてきただけのことはありますなぁ」
キャスバインはタイアを褒めちぎる……ふりをして、アークロイナを持ち上げる。
彼はヨシュアの報告を、さも自分が一緒に捜査したかのように報告した。
『昨日は役立たずって言ってあたしに煙草の煙を吹きかけていたのに、調子のいい髭親父だな』
タイアはそんな念話をヨシュアにとばすが、彼は小さく肩をすくめるだけで、当然返事は返ってこない。
これがアキやケニーとならば念話で掛け合い漫才でも始めるのだが、念話の使えないヨシュアではそれはできない。仮にヨシュアに念話が使えたとしても、真面目な彼は相槌を打つ程度かもしれない。
今更になって、彼らのいない寂しさを味わうタイアがいた。
「それから給仕に関わった者を取り調べましたが、事件に関わっている可能性は低そうですな。今回は特に戴冠式前の大事なパーティーということで、会場にいたのは長年城に仕えているベテランばかりでしたし」
「ええ、そうでしょうね。わたくしがタナカに信頼できる人間で固めるよう指示を出しましたから」
「なるほど、そうでしたか。
それでワインを管理していたソムリエの話ですと、乾杯用のワインをグラスについだ段階では異物混入は絶対にない、だそうです。ワインを注ぐ時にはグラスに汚れがないか必ず確認していたし、乾杯用のワインは注ぎ次第メイドに配らせていたからそんな隙はないはずだ、と」
「……つまり毒が盛られたのは、ワインがミルカの手に渡ってからの可能性が高い、ということですね?」
「そのソムリエか、運んだメイドが犯人でなければ、そうなりますな」
キャスバインの報告をうけて、アークロイナは考え込む様子を見せる。
かわりに口を開いたのは、それまで黙っていたオリンだった。
「実はね、ミルカからお茶会を開きたいっていう打診があったのよ」
「はあ、お茶会ですか? ミルカ様ならいつものことでは?」
「お茶会自体はそうなのだけど、今回はタイアもいるから、家族全員で薔薇園でやりたいって言ってるのよね」
「王族全員、薔薇園で、ですか……」
キャスバインは僅かに表情をこわばらせる。
この城の薔薇園と言えば、十年前にアークロイナとタイアの母ブリジスト、それにクリンミルの母カリナの三人で茶会を開き――そしてブリジストとカリナが毒殺されたあそこしかない。
事件以降は茶会に使われることはなく、今はロアードとバンケツ、それに庭師くらいしか近寄らない場所になっている。
確かに昨日、タイアはミルカにお茶会に誘われてはいたが――その薔薇園で、それも王族全員でお茶会という条件が尋常じゃないことはすぐに察した。それこそ、何かミルカの決意めいたものが見えている。
タイアは押し黙ってしまったキャスバインの様子を伺う。
まだ若いヨシュアと違い、キャスバインは当時の事件に関わっていたのかもしれない。
「キャスバイン、単刀直入に聞きます。あなたの心眼で見て、ミルカが毒を盛った可能性はどの位ありますか?」
「…………十中八九、でしょうな」
甘言を弄する場面ではなく、キャスバインは苦い顔をしながら正直に話す。
しかしアークロイナはキャスバインの答えに、納得がいかないという顔をする。
「十中八九ですか? いつものあなたなら百パーセントと言い切るのに」
「大変申し訳ありませんが……もう一人、どうにも判断がつかない人物がおりまして。被害者のフィロフィー嬢なのですが」
タイアはビクンと反応する。
「あの娘の自演の可能性もあると?」
「いえ、そうは言わぬのですが……彼女に関しては存在がもう嘘くさいというか、まったく判断ができませんでして。
陛下は心眼と言って評価してくださいますが、某は魔法を使っているわけではなく、人間の細かなしぐさや声の抑揚から嘘や隠し事を見抜いてるに過ぎません。それでフィロフィー嬢なのですが、まるで人形を見ているようで」
「人形?」
「ええ。例えば人間は緊張すると手を握りしめたり鼻を触ったりするものですが、彼女は毒を飲まされて取り調べを受けているという状況なのに何もせんのです。被害者であれ加害者であれ、不気味としか言えません。
まるで心理学を某以上に熟知しているというか……そういう人間がすぐ横で、彼女にあーでもないこーでもないと、変な行動をとらせないように指導しているかの様でして。
そのうえあの無理矢理語尾にデスワを付けたような喋り方のせいで声の抑揚なども判断がつかず、もうすべてが嘘くさく見えてしまいましてなぁ」
「はあ……」
タイアはキャスバインの評価が不思議で首をかしげる。
タイアの知ってるフィロフィーは――確かに喋り方も変なら行動も変だが、癖と仕草の塊のような人間である。何かと髪の毛を引っ張っていたり、時々ブツブツとひとりごとを言っていたり、一つのものに集中すると周りが見えなくなったりと、変人でもあれほどわかりやすい人間もいないと思うのだ。それが『人形のよう』とはどういうことか。
ただ、キャスバインはフィロフィーが犯人かどうかとは違う点で迷っているような感じなので、その点でタイアは少し安心していた。
「お母様、一応そのフィロフィーって子を厳しく尋問してみては?」
「いえ、あれはタイアを引き取った元傭兵団員の娘です。下手なことをすればロアードが猛反発するでしょうから、タイア同様に慎重に扱わなければなりません」
『どうしようヨシュア、あたし全然慎重に扱われた記憶がないんだ。記憶喪失かな?』
タイアの念話に、ヨシュアが唇を噛んで口を真一文字にした。
このシリアスな状況でヨシュアを笑わせにかかったタイアの所業は、鬼畜と言っても過言ではない。
「まあ、その人形娘のことは置いておきましょう。それでミルカのお茶会の件ですが、あなたはどう判断します?」
「そうですな……王族全員でお茶会というと、当然クリンミル様も?」
「ミルカはそのつもりでしょうね。ロアードは参加を拒否すると思いますが、クリンミルは断れないでしょう」
そう言ってアークロイナは視線を下げる。
「そこでまた、いえ今度こそ、クリンミル様に何かする可能性は大ですな。――いえ、そのための舞台として薔薇園を選んだとしか思えません」
「……やはり中止にさせますか」
「いえ、やりましょうよお母様」
神妙な顔の二人に、オリンが異論を唱える。
「もし本当にミルカが犯人なら、お茶会で何か仕掛けてくるはずってことよね。だったら現場を抑えるために、クリンミルには囮になってもらいましょう」
「ふむ、確かに現状ではミルカ様を犯人だと特定につながるような証拠はありませんが……最悪クリンミル様が命を落とす可能性がありますが」
「まあ、その時はその時で仕方ないでしょ」
タイアは今度こそ驚いてオリンを見る。
母親が違うとはいえ半分血のつながった妹の命を、オリンがさらりと「仕方ない」で済ませた事が信じられなかった。
「オリン様、さすがにそれは……」
「ああ、別に無策ってわけじゃないわよ。だってほら、ここに優秀な毒探知機があるじゃない」
そう言ってオリンが指差したのは、アークロイナの腕の中のタイアだった。
(……え?)
「この子もお茶会に参加させればいいんじゃないかしら? 優秀なんでしょ、この犬」
「た、確かに優秀ではありますが……」
「オリン、この犬のことはミルカも知っているのです」
「だったら、箱の中にでも隠しておけないかしら? その子かなり小さいし、なんなら私の胸の下にでも入れておきますけれど」
そう言って、オリンは自分の鳩尾の辺りをポフポフと叩いてみせる。
オリンはタイアの親戚とは思えないくらい胸が大きく、胸の下には服に隠れた空間ができている。ただ、そんなところにいてジゴ薬の匂いが嗅ぎ取れるのかは微妙だが。
「どのみちこのままじゃ埒が明かないし……最悪ジゴ薬なら飲んでも即死はしないでしょ? チャコとシェパルドルフ医師がいればなんとかなるんじゃないかしら?」
「ふぅむ……確かに、別の日に別の場所で予想外のことをされるより、よほど安全かもしれません。そもそもミルカ様が単にお茶会をしたいだけ、ということだってなくはないですからな」
「――わかりました。では、ミルカには許可を出しておきましょう」
『なあヨシュア、この流れ、止められるか?』
タイアはヨシュアに問いかけてみるが、無言無反応という返事をもらう。
しかしタイアは焦ることなく、達観した様子で彼らのやり取りを眺めている。諦めの境地に達したタイアに恐れるものなど何もない。
「テン、ロアードにも通達してください、彼はきっと参加しないでしょうが」
「はっ」
「もしかしたらタイアの参加も渋るかもしれませんが……あの薔薇園で行うからには、タイアだけでも参加させる必要があるでしょう。もしもの時は私の名前で強制参加にしてください」
「かしこまりました」
(……え? …………え?)
ちなみにフィロフィーから色々な魔法を覚えさせられたタイアではあれど、その中に分身できる魔法はない。




