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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第四十六話 特務憲兵と怪しげな犬


 タイアが女王に連れてこられたのは、城の地下一階にある『王国公安管理室』と名のつく場所だった。


  そこはキイエロ王国内で発生した事件を一元管理している場所で、地方領主達には年に一度、自分の領地で起きた事件をそこに報告する義務が課されている。

 そうして集めた情報を元に、領地をまたいで活動している犯罪者を発見したり、あるいは危険種や有害種に相当する魔物の認定作業などを行っている。

 時には治安の悪化がみられる領地に、調査団や軍を派遣することもあった。


 領主達に課されている年一回の報告義務は、基本的には報告書を郵送すればよい。

 ただし詳しい内容の確認が必要な時は呼び出されるし、五年に一度は領主かその代理人がこの部屋に出向かなければならない決まりになっている。


 普段の待合室は閑散として、居ても代理人が一人二人待っている程度なのだが、今日は領主本人達で溢れかえっている。

 戴冠式出席のために各地から登城とじょうしてきた地方領主達が、ついでに五年に一度の報告も済ませていくからだ。


 ちなみに今朝からトラーキが城にいるのも、ここを訪れたからである。彼は行きしなにスミルスを助け、帰り際にクリンミルに呼び止められたのだった。



 ――と、ここまでの込み入った事情は今のタイアにはどうでも良いことで。


 今のタイアに重要なのは、この場所には城内(・・)で起きた犯罪を捜査する『特務憲兵』と呼ばれる存在も駐在していることだろう。

 目の前にいるキャスバインとヨシュアの二人がそういった存在であることを、タイアはすぐに理解した。



「それで、狼化の魔法による捜査は出来そうなのですか?」

「そうですなぁ。それについては、狼化を覚えた当人であるヨシュアの方から説明させましょう」

「は、はい!」


 眼鏡の青年ヨシュアは、緊張からうわずった返事をする。

 おそらく彼も、アークロイナにびびっているのだろう。タイアはここに来るまでにすれ違った人間がことごとく顔をこわらせていたのを思い出す。

 と同時にテンと一緒に自分を撫でている時のアークロイナの顔も思い出してしまい、小さく「キャフッ」っと笑ってしまう。

 アークロイナは城の中に入ってから初めて声を出したタイアに視線を向けるが、タイアが申し訳なさそうに伏せをすると、すぐに興味を失ったらしい。その視線をヨシュアに移し、彼に説明を促した。


「では恐れながら申し上げますが……条件次第では有用な場面もありますが、あまり凡庸性はないかと思われます!」

「…………」

「ま、まず、狼化による嗅覚の変化についてですが――確かに人間の時よりも嗅覚は格段に過敏になり、わずかな匂いでも通常よりも強く感じ取れるようにはなります!」

「…………」

「で、ですがその……何かの匂いがするのはわかるのですが、僅かな匂いの違いを嗅ぎ分けろとなると話が別でして……」

「…………」

「わふっ」


 アークロイナの無言の圧力に襲われるヨシュアが何となくかわいそうになり、タイアは鳴き声でヨシュアの説明に相槌をうつ。

 今度は皆の視線がヨシュアから一斉にタイアに移るが――タイアは知らぬ顔で尻尾を振って、犬のフリに徹した。

 タイアのフォローの甲斐あって、この隙にヨシュアは深呼吸して少し落ち着く。


「失礼しました。

 要するに狼化すれば、嗅覚は確かに強くはなります。ですが本物の狼達の様に匂いを辿って人を追跡したり、あるいは遺留品に残された僅かな匂いから人物を特定するには至りませんでした。姉妹などで体臭のよく似ている人物の場合は、じかに匂いを嗅いでもほとんど区別がつきません。

 この点を変身魔法に詳しい魔導士に聞いてみたところ、狼化によって鼻の機能だけ強化されても、人間の脳ではそれを処理しきれないのだろうという話でした」

「――つまり、貴方の嗅覚では毒魔法の魔導書を盗んだ犯人を割り出すのは厳しいのですね?」

「も、申しわけございません」


 そのあまりかんばしくない結果に、場の一同は小さく溜息をつく。



 しかし今の話で一番ショックを受けていたのは、他の誰でもないタイアだった。


 タイアは匂いを辿って人を追跡したり、匂いで落し物の持ち主を割り出すといった芸当もできる。

 それは狐化している時だけの話ではなく、犬化していていも可能であり――人間の姿になっている時ですら、ある程度はわかるのだ。

 その事実を今のヨシュアの説明に当てはめて考えてみると……


 ……タイアは出してはいけない結論が出る直前で、それ以上深く考えるのをやめた。



「構いません。もとより可能性があるならばと思って試してみただけのことです。

 取り敢えず本職を連れてきましたので、使えるようなら使ってください」


 そう言うと女王はタイアの頭をポンと叩く。


「はて、それがしには子犬に見えますが。何か友好種の魔物の子なのですか?」

「いえ、実際にただの犬です。ですが相当訓練されている様でわたくしにもすぐに慣れ、匂いを追わせる命令なども理解してこなしました。

 試してみて使えなければ、飼い主であるセイレン卿に返しておいてください」


 タイアはピクリと耳を動かす。

 アークロイナに慣れた覚えはまったくないが、今のタイアに重要なのは「セイレン卿に返しておいて」の部分である。

 お先真っ暗、よもやこのままアークロイナのペットにされてしまうのではと恐れていたところに、一筋の光が差し込んだ。


「ふむ、そういうことでしたら責任をもってお預かりしましょう。

 よろしくな、えっとぉ……セバスティアンよ!」

「きゃいん!?」

「ああ、この子はコクリと言うそうです。それといくつか注意点があるので……テン、説明を」

「かしこまりました」


 そしてテンがフィロフィーの言っていた注意点をキャスバイン達に伝えている中、タイアは大きく尻尾を振ってその様子を見ていた。

 それは犬の演技が一割程度であり、残りの九割はようやくアークロイナと離れられることに、心の底から喜んでいた。



 いくつかの事務的な連絡を終えて相談室から出て行くアークロイナとテンを、キャスバインは立ち上がって笑顔で見送った。


 ――そして二人が完全に退出すると彼は急に真顔になり、懐から煙管を取り出して魔法で火をつける。


「ではヨシュア、コクリを使った捜査は全てお前に任せたぞ」

「はぁ。あの、キャスバイン様は?」

「ふん、事件からどれだけ時間が経っていると思っておるのだ、今更匂いなど辿れるものか。

 二、三日でいいから適当にやって、さっさとセイレン卿に返してこい。ああ、ちゃんと女王陛下に報告できるようには準備しておけよ」


 キャスバインは髭をいじりながら煙管を吸うと、タイアに向かって煙を吐きかける。煙の不意打ちを食らったタイアは、ギャフギャフと咳込んだ。

 キャスバインはそんなタイアの様子に満足したのか、ニヤリと笑って相談室を出て行く。

 そうして相談室にはタイアとヨシュアの一人と一匹だけが残された。


 タイアは煙を拭きかけられた鼻を、引き続き辛そうにこすっている。


「えっと、コクリだっけ? 災難だったね君も」

「きゃうう……」


 そんなタイアをヨシュアが苦笑交じりに見下ろしている。

 災難なのはお互い様だろうなと思いつつ、タイアはわかりやすく鳴き声で相槌をうった。


「ああそれと、さっきは鳴いてくれてありがとうね。おかげで少し緊張がほぐれたよ。僕は偉い人がどうにも苦手で」

「きゃん!」


 タイアの意図はヨシュアにちゃんと伝わっていたらしい。

 彼は左手でタイアの頭や背中を撫でながら、優しい笑顔で話しかけてくる。



「で、君は犬じゃないよね?」

「きゃ……」



 彼は変わらぬ笑顔、変わらぬ声量のままでそう尋ね……タイアは頭が真っ白になって、鳴くのも尻尾を振るのもやめてしまう。


「はい、今のが決定打。犬のフリを続けるつもりだったなら、そこはきゃんきゃん言って尻尾を振っておくべき場面だよ。

 こっちはちょっとおかしいかなって思ってカマをかけた程度だったし」


 気が付くと彼の左手はタイアの首根っこをわし掴みにして、その右手にはいつの間にか抜き身のナイフが握られている。

 彼はゆっくりとナイフを動かし、タイアの首に押し当てた。



(まずった……)


 タイアは完全に失念していた。


 目の前にいるヨシュアは、曲がりなりにも特務憲兵に選ばれるほどの男である。

 たとえ女王にビクビクし、カイゼル髭にていよく使われていたとしても、特務憲兵を任されるほどの人間がそうそう無能であるはずがない。

 タイアの犬らしからぬしぐさの数々に、違和感を持つくらいには洞察力があった。


 タイアはこの状況を打開しようと必死に考えを巡らせるが、碌な答えが出てこない。

 何よりも犬の姿であることが不味い。この姿では彼の手を振りほどくほどの力は出ないし、多少の魔法は使えるものの、狐状態の時とは比べ物にならないほどに威力が下がる。

 そもそも下手に魔法を使おうとすれば、その瞬間にナイフがタイアの首に刺さるだろう。


 この状況でタイアが安全に使える魔法は――


「さてと、質問に答えて貰おうかな? ……そうだな、はいなら一回、いいえなら二回小さく吠えるんだ。少しでも変な行動をしたら殺すからね」

『わかった』

「よし、それじゃあ……え? ……ね、念話か!?」


 突然聞こえた声にヨシュアは周囲を警戒するが、周りに人影は誰もいない。

 目の前の犬が口を動かした様子もなく……消去法で念話という結論にたどりつく。


 そしてその事実は、ヨシュアをひどく動揺させた。


「ね、念話が使えるなら話は早いな。お前は一体何者だ?」

『タイア=キイエロ』

「…………」


 ヨシュアのタイアを押さえつけている左手がピクリと痙攣する。

 直感と希望が彼の中でぶつかり合う。直感では本当にタイア王女な気がしているが、押さえつけてナイフを突き付けている手前、できれば違っていてほしい。


「わ、わかってると思うけど、王族の偽称は重罪だぞ! もう一回聞くけど……」

『タイア=キイエロ』

「……………………」


 ヨシュアは嫌な汗をかきながら、目の前にいる犬が本当に第六王女タイアである可能性を検討する。


 まず初めに、目の前の存在は魔法で犬化した人間か、さもなければネコマタのような変身能力を持つ魔物かであり、ただの犬でないのは確かだ。


 アークロイナはこの犬を、セイレン卿の娘から取り上げてきたと言っていた。

 特務憲兵であるヨシュアはセイレン卿が元ロアード傭兵団員であることも、タイアがセイレン卿に預けられていることも知っている。

 ――そしてもちろん、アークロイナにブリジスト殺害疑惑があることも。


 だからこそヨシュアは今の今までこの犬を、セイレン家がアークロイナを探るために送り込んできたスパイだと考えていた。


 しかし、念話が使えるとなると話は変わる。


 念話は初めから使える魔物を除けば、魔導書に頼らずに自力で覚えることはできない。

 さら念話の魔導書というのは現代では作り方が不明であり、時々古代遺跡から発見される絶版魔導書が唯一の供給源になっている。

 この大国キイエロ王国でも十冊程度が保管されているのみにとどまるために、大戦争でも起こらない限りは引っ張り出して使うことはないだろう。


 どんな醜い魔物でも、念話を使えるというだけでちやほやされて、貴族に絶大な好待遇で雇入れられる。

 そういえばつい最近も、念話を使える海亀の魔物がサラム領で発見されて、サラム家に召し抱えられたという話が話題になった。

 それを受けて、既に海で念話亀を探すモンスターハンターが出てきているらしい。


 そんな貴重な念話の魔導書を、はたしてただのスパイに使わせるだろうか。

 いや、確かにブリジスト殺害の真相究明はロアード達にとって悲願であるのは疑いようもないけれど……こんな上手くいく可能性の低い作戦に、はたして念話の魔導書を使うだろうか?


 ブリジストには盗賊として古代遺跡に潜っていた時期があるので、念話の魔導書を持っていたとしてもおかしくはないが……そんな貴重な魔導書を渡すべき相手がいるならば、スパイなどではなく娘のタイアしかいないだろう。


 つまり、この犬が本当にタイアである可能性は非常に高く――ヨシュアは今タイアを、この国の王女を押さえつけてナイフを突きつけている。



 …………と、ヨシュアはまったく見当違いな推察から、偶然にも正解を導き出した。


 念話の魔法が思っていたよりもずっと貴重だということは、タイアも今日一日で理解していたが、いくらなんでもそこまで貴重なものだとは思ってもいない。

 タイアはただ、念話を使えばビビらせるくらいはできるだろうと考えたに過ぎない。タイアの周りにはスミルスやアキやケニーがいたし、ここ一年でイワメティエプにカメタロウといった念話を使える魔物に二度も出会った。そのため念話の価値に気づいていない。


 フィロフィーによって、よくわからない魔法を大量に覚えさせられ続けた弊害もあるだろう。

 アキに念話のことは他言無用と釘を刺されてはいたものの――牛型の魔物から覚えたおっぱいが出るようになる魔法に比べれば――念話など隠す程でもないと感じていた。



 ヨシュアがこの思わぬ状況に呆けていると、面会室のドアがドンドンと叩かれた。

 続いてすぐに聞こえてきたのは、先ほど女王の案内をしていた小太りな男の声だった。


「すいませんっ、まだ誰方どなたかいらっしゃいますでしょうか!? ロ、ロアード陛下がお見えになりましたっ!」



 ヨシュアのかわいそうなほどにプルプル震える左手の振動が、タイアにはとてもくすぐったい。

 

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