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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第四十四話 女王アークロイナ

 

 アークロイナは今でこそキイエロ王国の女王だが、元は先々代国王のリーグルの王妃だった。

 そんな彼女を女王に仕立てたのが、ほかならぬタイアの父ロアードである。


 そもそもアークロイナは王家の血筋で、ロアードやリーグルの従姉妹いとこにあたる。

 本来なら血縁が近い彼女が王家に嫁ぐことはないのだが、王座争いで権威が落ちていたキイエロ王家に、乞われる形で輿入れした。


 結婚後のリーグルとアークロイナの関係は良好で、二人の間には五人の子供が産まれたが、いずれも女の子だった。

 当時は男しか国王になれず、アークロイナに子供が産まれなくなると、貴族の娘カリナが側室に入る。

 カリナはすぐに妊娠したが、リーグルはその出産を待たずして病死してしまう。


 そこで強引に呼び戻されたのが、娘のタイアが産まれたばかりのロアードだった。

 当初、彼は帰国をかなり渋ったが――傭兵団の仲間達の強い後押しもあって、国王の座に就くことを決心する。

 後にリーグルとカリナの子供も産まれたものの、その子もまた女の子で、ロアードには男児が望まれた。


 国王就任後のロアードは、王家の権威を回復するべくあわただしい日々を送った。

 時には出兵することもあり、傭兵団の仲間もそれに続いたが――子共が産まれたばかりのブリジストとセルフィーは、王都で子育てに専念していた。


 そんなロアード達を、悲劇が襲う。

 ロアードが北に出兵している間に、リスティ城にいたブリジストが暗殺されてしまったのだ。


 失意のロアードが別の女性と子供を作ることはなく、その代わりに強権をふるい、女性でも国王になれるように法を改正した。

 加えてロアードは、タイアを国王にしないために(・・・・・・)一計を案じる。

 後妻を拒んでいたロアードだったが、形だけアークロイナと再婚することで、兄リーグルの娘達が継承権上位になるように仕向けた。さらにアークロイナを国王に据えて、その継承権を確実なものとした。


 なお、ロアードはここから執政となって活動するので、無責任に役目を放棄したわけではない。

 むしろ王都をアークロイナに任せたことで、ロアード自身は以前よりも軽い足取りで各地を巡れるようになった。彼は地方を練り歩いて領主達の離反を防ぎ、数年かけて王国の権威を復活させる。

 在位こそ一年足らずのロアードだったが、退位後のほうが活躍した名君として今も人気を博している。


 それ以降もアークロイナが女王として君臨する一方で、ロアードは執政として陰から国を支え続けた。

 ロアードが完全に隠居となって研究室に籠り始めたのは、比較的最近の話である。




 しかし、この物語はロアードとアークロイナが手を取り合って国を治める美談ではない。


 ブリジストを殺した容疑者がアークロイナである以上、ここまでの話はロアードが娘のタイアのためにすべてを我慢した物語であり――


 ――そして女王アークロイナが成長したタイア(と、フィロフィー)に出会ったことで、この物語は終わりを迎える。



 *   *   *   *   *



 その出会いに、タイアは硬直した。

 お手をした犬の姿で硬直した。


 自身にとって宿命の敵とも呼ぶべき相手に、よりにもよって最も貧弱なチワワの姿で出会ったうえ、最上に恥ずかしいポーズを見せてしまった。

 この猛烈に痛ましい事件を、タイアは生涯忘れられないだろう。

 誰かと握手するたびに思い出しては身悶えしそうになるのだろう。


 穴があったら入りたい。

 穴がないなら今すぐ堀ろう、目の前にいるチャコのお腹にでも。


「バンケツ、この城はいつからペットを自由に持ち込めるようになったのですか」

「ち、違うのですぞ女王陛下。この犬は元々はロアード様が実験動物として取り寄せたものですが、用意した者が何を勘違いしたのか、貴族向けのペット用の犬を持ってきてしまいましてなぁ。賢すぎて動物実験にはとても使えぬということで、ロアード様がこちらのご令嬢にお譲りする事に決めたのです」


 バンケツがすらすらと並べた嘘は、とっさに思いついたものではない。研究室を出る前にスミルスやロアードと共に決めておいた設定だ。

 すでに隠居の身であっても、ロアードは絶大な人気と強い影響力を持っている。ペット連れを咎められた時にはロアードの名前を出して、余計なトラブルを避ける作戦だった。

 基本的にはこの城で、ロアードの決めたことを覆せる人間などいない。


 ――ただ一人、女王アークロイナを除いては。


「あのロアードが、一介の貴族の娘に贈り物をするなど考えられませんが。――あなた、名前は?」

「初めまして女王陛下、わたくしはフィロフィー=セイレンと申しますわ」

「…………」


 フィロフィーが名乗ると、アークロイナはフィロフィーを見下ろす目を細めた。


「女王陛下、バンケツ様のおっしゃられたことに間違いはありませんわ。先程お父様と……」

「よい。なるほどセイレンの娘か、理解した」


 アークロイナは何か考え込むようにしばらく目を閉じて、目を開くと再びバンケツに視線を向ける。 


「タイアも、来ているのだな?」

「え、ええ。今はロアード様やセイレン卿と歓談している最中でして」

「そうか。後で挨拶に来るよう伝えておきなさい」

「……はっ、承りました。では、我々はこれで」


 バンケツはその巨体を縮こまらせて歩き始め、フィロフィーもタイアを抱いてそれを慌てて追いかける。


「待ちなさい」

「な、何でしょうか!?」

「その犬、賢いとおっしゃいましたね」

「……ええ、それはもう! まるで人間の言葉を全て理解しているかのように賢いですぞ」


 しかしアークロイナにすぐ呼び止められてしまい、逃げることは叶わなかった。

 タイアに気付いた様子はないものの、何故か興味を持たれてしまう。


「ふむ、それほどですか。その犬をそこに座らせなさい」


 一体何が彼女の興味を引いたのか、アークロイナはタイアの頭を撫ではじめる。

 タイアはキツい香水の匂いにむせそうになるのを我慢して、鼻のあたまに大粒の汗を浮かばせつつも硬直した。

 その一触即発の光景に、チャコとミルカが二人同時に喉を鳴らす。


「なるほど、私に撫でられても嫌がりませんね。てっきり噛みつかれたり引っ掻かれたりするかと思いましたが」

「な、ななな何故そのように思うのですかな?」

「あー、違うんだよバンケツ。お母様は小動物に嫌われやすくて、大体いつも近づくだけで吠えられたりしてるから」

「チャコ、余計な事は言わなくてよろしい」


(そりゃ、こんだけキツい香水の匂いさせてれば嫌がられるだろ)


 人間の鼻ならばいい匂いに感じるであろう香水が、獣の嗅覚を持つタイアには、今からでも吠えたてたいくらいにひどく臭い。


 タイアはとりあえず四人に『そろそろ助けて』と念話を送る。

 フィロフィー以外の三人には目を逸らされ、フィロフィーにはいい笑顔で首を横に振られた。


「ミルカ、ジゴ薬は持ち歩いていますね?」

「え? はい、持っていますけれど」

「よろしい。少し貸してください」


 アークロイナは唐突にミルカに話しかけると、彼女からジゴ薬の入った袋を受け取って、それをタイアの鼻先に近づけた。

 先程ミルカからうっすら感じた生薬の匂いが、より強烈にタイアの鼻へとたどり着く。


「匂いは覚えましたか? ……テン、これをここから見えないところに埋めてきてください」

「かしこまりました」


 アークロイナは薬の袋を、背後に控えていたテンという名の若い執事に渡した。

 走り去っていくテンを見て、タイアは自分がこれから何をさせられるのかを理解する。


「探してこい」

「わふっ」(何であたしがこんな事を……)


 テンが隠したジゴ薬を、タイアは匂いを頼りに見つけ出す。

 何となく身も心も犬になったかのようでみじめな思いになりつつも、タイアは嗅覚を使って与えられた宝探しクエストを難なくこなした。


 それから場所を変え品を変え、三回ほど宝探しを繰り返し――



「……なるほど、確かに賢い」


 アークロイナにがっしりと抱きかかえられた。



 一同の背に戦慄が走る。


 タイアはいまだかつて、これほど狐になりたいと思った時はなかった。

 このチワワ化は元々は狼化の魔導書の失敗作で覚えたもので、狐化と比べて全ての面で、極端なまでに貧弱だった。

 今アークロイナがタイアを害するつもりで強く握りしめたなら、簡単に骨は折れて内臓が潰れるだろう。


 実は正体がタイアだとばれていて、事故に見せかけて締め殺されてしまうのではないか――そんな不安がこみあげてくる。



 流石にそんな事態にはならなかったが――続くアークロイナの宣言が、タイアを更なる恐怖と絶望に叩き落とす。



「この犬、戴冠式が終わるまで私が借りることにします」


 今度こそ、その場の空気が完全に固まる。



「ああ、それとチャコとミルカに命じます。部屋に引きこもっているヘリーシュを、今夜のパーティーに必ず出席させなさい」


 最後に一言言い残し、アークロイナはタイアを抱えてこの場を立ち去ろうとして振り向く。

 それを止めようと、慌ててミルカが回り込む。


「お、お母様!」

「ミルカ、貴方は特にさっさと室内に戻りなさい。最近はジゴ薬の量が増えているのでしょう?」

「それはわかってますけど、その犬はロアード様がフィロフィーちゃんにって……」

「少しのあいだ借りるだけです。……バンケツ、セイレンの娘、問題ありませんね?」

「それはその……」

「え、ええ。あとで返して頂けるならば」

『いや、問題あるだろ!? あるってば! 助けて!』


 タイアの悲痛な叫びはフィロフィーとバンケツ、それにチャコとミルカにも届いていたが、この場でこれ以上アークロイナとやりあえる人間はいない。


「あ、ですがお待ちください女王陛下」


 ――と思いきや、ミルカの横を通り過ぎたアークロイナを、フィロフィーが呼び止めた。

 タイアのつぶらな瞳が僅かに潤む。


『フィー、お前……』


「その犬、名前はコクリさんですわ。かなりのレベルで躾けられておりまして、トイレは人間用の個室に一匹で放り込めば問題ありません。恥ずかしがるのでドアは閉めてあげて下さい。

 それと食べ物は贅沢を覚えているみたいで、ドッグフードは嫌がって人間の食べ物ばかり食べるのでご注意くださいませ」

「ふむ、変わってますね。面倒はなさそうですが」


『お前って奴はー!』


 今度こそアークロイナはテンと共に去っていき――見送るフィロフィー達の脳内に、念話による悲痛な叫びがキンキンと響く。


「フィ、フィロフィーちゃん? 今のは?」

「はい。この状況でタイアのためにできる最大限の努力をしたはずなのですが……何故か怒ってましたわね」


 そう言って小さく首を捻るフィロフィーを、他の三人が引きつった顔で見つめていた。

 

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