表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
23/105

第二十三話 ワルワレワカメ事件 ①

 フィロフィー達を乗せた馬車は、サラム領の東の海沿いにあるワルワレ港に到着していた。


 港街であるワルワレは街全体がなだらかな斜面に作られている。西にある街の入り口付近からは、東の海に向かって海抜が低くなっていく街の様子を見下ろす事ができる。

 津波を避けるためか役所や宿屋などは海抜の高い入り口側に集中していて、坂の中腹に市民の住宅、そして海の近くには漁師達の小屋が建っている。それらの建物によって街全体にグラデーションの変化がついている事が、ワルワレの街を美しくするのに一役買っていた。

 この港街を初めて訪れた者は、誰もが街の美しさに入り口で立ち止まるとも言われている。


「おおおおおお! 人と建物が多いっす! あ、奥のあれが海っすか!?」


 そしてここにも 一人、ワルワレの街に感動してはしゃぐ者がいた。

 ケニーである。


 宿を取ったフィロフィー達は魔物や魔石の情報収集のため、馬車を降りてワルワレの街を歩いていた。

 数分しか人の姿を保てないタイアは例によって犬の姿になっている。……が、多少はこの姿にも慣れた様で、フィロフィーに抱かれる事もなく自分の足で街の坂道を歩いていく。

 犬の姿に慣れたというより、四足歩行に慣れたのかもしれない。


「あら、ケニーは海は初めて?」

「そりゃそうですよ。セイレン領から出た事なかったですからね」


 一応セイレン領にも海は存在するが、万年雪が積もる雪山を越えていかなければたどり着かない。

 セイレン領の領民に、セイレン領の海を見た事がある人間は一人もいない。


「わたくしも初めてですわ」

『あたしも』

「二人は赤ん坊の頃に海峡を渡ってるんだけど――ま、覚えてないわよね」

『へ? そうなのか?』

「ふふ、スミルス達から聞いてない? 二人とも生まれはドミ大陸で、そっから海を渡ってこのイトラ大陸に来たのよ。団長が王様にさせられた時にロアード傭兵団のみんなと一緒にね」


 そう言って、アキは昔を思い出して遠い目をする。団長ロアード副団長スミルス達と共に海を渡ったあの日から、かれこれ十年経ってしまった。

 団長が突然キイエロ王国に呼び出され、団員も王国の騎士にして貰えるという話が舞い込んできた時、傭兵団はこのイトラ大陸ではなく隣のドミ大陸で活動していた。海峡を渡るべく大型船へと乗り込んだ時はタイアとフィロフィーはまだ産まれたばかりで、それぞれの母親――フィロフィーはセルフィー、タイアはブリジスト――に抱かれていた。

 船が大きく揺れる度にタイアが泣きだし、それをタイアの母ブリジストが高笑いしながらあやしていたのを覚えている。そのあやし方が豪快で時にはタイアを天高く投げたりして周囲を心配させていたが、あれで泣き止んでしまうタイアもタイアだと笑ったものだ。

 その一方でフィロフィーは何があってもクヒクヒと笑い、スミルスとセルフィーが手のかからなすぎる我が子にあきれ顔をしていた。


 期待と不安が入り混じる航海だったが、あの時が傭兵団の幸せの絶頂だった。その後に団員達の淡い期待はことごとく裏切られ、アキは数人の仲間と共に商人として再スタートする事になったのだが、自分がこうしてかつての赤子達と旅しているのには感慨深いものがある――


「港の人って生魚食べるんすか!? あそこの乾燥ワカメってやつ、ワカメてんこ盛りで激安っすよ!? あ、村へのお土産にお塩買っていっていいっすか?」


 一人、関係ないオマケがついてきているが。


「うるさい!」

「ぎゃんっ!?」


 子供達を差し置いて大騒ぎする青年を、アキはボディーへの一撃で黙らせた。


「観光に来たんじゃないのよ。いくら馬車が速くなったからって、遊んでる暇なんて……」


 第一王女の戴冠式が差し迫っていて、遊んでる暇はない。

 しかしここまでずっと張り詰めて旅をしてきたのも事実である。

 しばらく収穫の少ない旅路が続きピリピリしていたが、バーバヤーガから手に入れた浮遊魔法のおかげで馬車の速度が上がり、日程には大きく余裕が生まれた。それに制限時間付きではあるが、一応タイアを人間の姿に戻す魔法も手に入れている。


 アキがケニーを拉致して連れてきたのは、フィロフィーが成人する前に社会勉強させつつ鍛えてやろうと思っての事だ。それでもケニーは今日までずっと、女性達を護ろうと頑張っていた。時間のある時にはアキが師事してタイアと一緒に鍛えてやり、野宿の際は夜通し見張りに立ち続け、お調子者ながらもなんだかんだと役に立ってくれている。

 そんなケニーが変化の魔法という一応の収穫を得て少し気を緩め、そしてこの街の美しさに少しはっちゃけたとしても悪い事はあるまい。フィロフィー達と遊ばせてやるのも、社会勉強のうちだろう。


 アキは大地にうずくまってピクピクしているケニーを見て、ほんのちょっぴりやり過ぎたと反省した。


「まったく、しょうがないわね。

 こっから船に乗ってコジュン島に向かうんだけど、今日一日位はのんびり観光しましょうか。タイア様もそれでいいかしら?」

『そ、そうだな、うん。たまにはケニーもねぎらってやらないとな』


 タイアはいまだ動けぬケニーを眺めながら、コクコクと頷くのであった。



 *   *   *   *   *



「ケニーのせいだわ」

「ケニーさんのせいですわね」

『うん、ケニーが悪い』

「それはあんまりでしょう!?」


 次の日の朝、港のチケット販売所前で責められるケニーの姿があった。女子三人のキツい視線に晒されて、ケニーは思わず視線をそらす。

 もっともそのうち一匹はつぶらな犬の瞳だったが。


 ワルワレの街からコジュン島へは大型船による定期便が出ているのだが、その定期便はつい昨日出発したばかりであった。次の便は十日後になる。


「そ、そりゃはしゃいだのは僕っすけど、昨日一日遊ぼうって言い始めたのはアキさんじゃ――」

「さて! いつまでもケニーを責めていても仕方ないわね。今後の予定を考えましょう」


 アキは二度手拍子を鳴らし、強引に話を変える。ケニーはそれ以上の追求は無意味だと悟り、アキをジト目で睨みつけつつも口を噤んだ。


『そもそも、なんでコジュン島に行くんだ? ネコマタみたいな有力な魔物がいるとか?』

「ええ。むしろ私としては、コジュン島が大本命のつもりだったから行かない手はないのよね。

 あそこには人間と動物を合わせた様な魔物がいっぱいいるのよ。コジュン島にはメロウやウオビトがいて、そこから少し離れた小島にはセイレーンがいるのよね」

『おお、なるほど。……で、どんな魔物なんだ?』

「あ、わたくしが説明しますわ」


 首を小さくかしげるタイアに、フィロフィーが魔物の説明を始める。


「メロウは上半身が人間、下半身が魚になっている魔物で友好種に認定されていて、コジュン島の観光産業に携わっているそうですわ。昔はコジュン島以外の場所にも住んでいましたが友好種認定される以前の頃に乱獲されて、今はコジュン島にしかいないとか」

「きゃん」


「ウオビトはメロウよりもっと魚に近い見た目で、頭はそのまま魚のようですわね。下半身は人間に近い形をしてますが、銀色の鱗に覆われていて手足には水かきやヒレがありますわ。

 知性は低いので人魚みたいにコミニケーションは取れません。臆病な性格で無害種ですが、大量発生すると漁場の魚を食い荒らされて困るのだとか。たまに漁船の網に引っかかって漁師さんを困らせるそうですわ」

「きゃふ」


「セイレーンは頭と胴体は小柄な少女に見えますが、両腕が鳥の羽になっていて足には鉤爪を持っていますわ。人間を襲う事のある有害種ですが、普段は魚やアザラシなどを食べているそうです。

 コジュン島に住んでいたものは駆除済みで、コジュン島から少し離れた所にあるモカナ島に住んでいますが、あまり長時間は飛べないのでコジュン島にまでは来ないそうです。たまにうっかりモカナ島に近づいた船が襲われますが、近づかなければ会うことはないそうですわ」

「わふっ」


 フィロフィーの丁寧な説明に、タイアは鳴き声で相づちをうつ。


『随分と詳しいな』

「昨日のうちに調べておきましたわ。魔物の専門家を名乗る以上、ある程度の知識は必要ですから」

「他にもウォークフィッシュとかケルピーとか色々といるんだけど、本命はその三種類ね。

 次の便まで待つとなると、コジュン島でも半月くらい滞在する予定だったから――」

「コジュン島でタイア様を元に戻せなければ、諦めてそのまま王都に直行するしかないですわね」

「その場合は団長が五分くらい人間に戻れるだけで許してくれるかどうかね……」


 迫り来るタイムリミットに、アキはこめかみを抑えた。


「出費が痛いけど、漁師にコジュンまで船を出してくれるよう頼みましょうか」


 アキはそう言うと、チケット売り場に併設されていた漁業組合の役場へと移動する。

 そしてフィロフィーの魔物の研究者という肩書きを使って漁業組合に掛け合ったのだが、


「残念ですけど、今はいくらお金を積まれても船は出せないんですよー」


 という若い女性職員の返事にまたも行き詰まった。

 女性職員の言い方はつっぱねる様なものではなく、困った顔でいかにも残念そうな言い方をする。


「今は? 規則で決まっているの?」

「いえ、普段ならむしろ金額次第ではかなり歓迎するんですけど……」


 アキの質問に、女性職員は少し言い淀む。


「実はワカメが邪魔で、小型船では沖に出られないんですよね」

「ワカメ?」


 続く女性職員の台詞に、三人と一匹はまったく同じ方向に首を傾げる。


「まあ、皆さんそういう反応をするんですが、最近ワカメの様な魔物が沖に出るんですよ。

 私も直接視察して来たんですが、船を沖に出すと海底からワカメがぶわーっと集まってきましてね、こうぐりゅぐりゅって船に纏わりつくんです。甲板に登ってはこないんですけど、うねうねっとしてなかなか気持ち悪いですよ。

 投網などで一生懸命駆除してるんですが、次から次へと湧いてきまして。おまけに沖から離れると動かなくなってただの食べられるワカメに戻るんですよね。

 そんなに力強いワカメではなくて大型船なら質量にものをいわせて突っきれるんで、次の定期便を待っていて下さい」


 身振り手振りを加えながら一生懸命に説明してくれる女性職員のおかげで、アキはその光景を鮮明に想像することができた。それはあまり想像したくない光景であったが。

 それ以上にアキに嫌な顔をさせたのは、女性職員の「食べられるワカメ」という一言である。


「あの、もしかして昨日僕らの食べたワカメって……」

「おだまり、ケニー」

『ま、まあ、普段フィーの食べてる物に比べればましか』


 アキ達はワルワレのあちこちで売られていたワカメ料理を思い出す。ケニー達は初めてワルワレを訪れたので気にしてはいなかったが、アキはいつの間にワカメが特産品になったのだろうとは思っていた。おまけに妙に値段が安いので、帰り道に行商として仕入れて行こうかとも思っていたが、後のクレームが怖いので考え直す事にした。



「あ! 今のはオフレコでお願いしますね」

「……了解したわ」


 本来は言ってはいけない事なのか。その割にはペラペラと喋っていたが、この若い女性職員が余程経験の浅いうっかり者なのか、あるいは公然の秘密なのか。


(と、いうことですが、グリちゃんわかりますか?)

『うーん、食べられるって事はワカメとは別に魔物がいて、普通のワカメを操ってるんじゃないか? イワメティエプみたいな感じで』


 一方でフィロフィーはグリモに聞いてみるものの、グリモにも思い当たる魔物はないようで、そんな曖昧な返事しか返ってこない。


「そうですわね。確かに昨日ワカメを食べた時には特に魔力の蓄積なども感じませんでしたし、ワカメを操っている魔物が近くにいると考えるのが妥当、でしょうか」


 フィロフィーがポツリとつぶやく。

 刹那、その呟きが聞こえた漁業組合の女性職員が目を光らせ、フィロフィーの肩をガッチリと掴んだ。


「お嬢さん! お嬢さんは魔物の研究者って言いましたよね!?」

「え!? ええ、そうで……」

「今の話を詳しく――いえ! ワカメ退治をお願いできませんか!?

 あ、ちょっと待ってて下さい! お父さん呼んできますんで!」


 フィロフィーの返事を待たず、女性職員は奥へと駈け出す。

 呆然とするフィロフィー達の耳に、女性職員が「おとうさーん」と叫ぶ声や「ロミット、職場では組合長と呼べ」と怒鳴る男の声が聞こえてくる。

 そんなやかましい限りの女性職員を完全に無視して自分の仕事をしている他の職員達。 



 フィロフィー達は彼女、ロミットの事情を少し察した。


 そしておそらく、このワカメ退治をする流れから逃げられないであろうという事も察した。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ