第二十二話 ネコマタの森 ④
ゾーヤの目の前で、自分たちが根城にしていた三つの小屋が燃えさかった。火は一瞬にして全てを飲み込み、三つの巨大な炎が夜の湿地を赤く照らす。
「な、なんで――」
ゾーヤは戸惑いの言葉を漏らす――が、それは小屋が燃えた原因がわからなかったからではない。
「なんでお前達がそこにいるんだ!」
いつの間にか島にフィロフィーや子狐タイアが上陸していた事が、ゾーヤに恐慌をもたらした。
彼女達に今まで気づかなかった理由はすぐに解った。服も髪も黒いローブで隠し、毛や顔を炭か何かで黒く塗っていたからだ。今は炎の光が彼女達の真っ黒な姿を照らしだし、ゾーヤにもその不気味な姿が確認できている。
しかし、そもそもどうやってこの島にたどり着いたのか、それがゾーヤには理解できない。
――と、その時小屋の一つから仲間が飛び出してきた。それは先ほどゾーヤが言い争った相手で、別チームのリーダーだった奴だ。
しかしゾーヤが無事を確認して喜ぶ暇もなく、一緒に上陸したらしい若い兵士に剣で首をはねられていた。
「ああ、くそぅ……」
ゾーヤは拳を握りしめる。ここ最近は例の件で激しく言い争ってはいたが、仲が悪かったわけではなかった。最近は白い目で見られることもあったものの、彼女は特に魔石持ちのゾーヤの力を理解して顔を立ててくれていた。
そうしてショックを受けている間にも別の小屋から仲間が飛び出し、そこに子狐の放った火球の魔法が直撃すると大地に倒れた。
ゾーヤは悔しさのあまり手が震えたが、今から救援に向かっても手遅れだとわかっていた。助けに向かうことは諦め臼から降りて小島の草むらに伏せ、隠れて島の様子を見る。
そのまましばらく燃える島を観察していると、例の銀髪緑眼の少女が動き、ネコマタを閉じ込めておいた木箱へと近づいていく。そして木箱の蓋を開けて中身を確認し、満面の笑みを浮かべて蓋を閉じた。
その笑みにゾーヤは自分の血の気が引くのを感じる。
やはり、ゾーヤは間違っていなかった。
あの銀髪緑眼の少女の目的は魔物を食べる事だったのだ。その食欲はゾーヤ達バーバヤーガだけでなく、ネコマタ達にも向いていたのだろう。
思えば十日前の夜、あのアキという人間は、バーバヤーガではなくネコマタの事を探していたのではないだろうか。ネコマタを狩るため夜の森にエホライ領の兵士の目を盗んで入り、そして偶然自分たちと遭遇して戦闘になってしまったのだとしたら。
――あの時、瀕死のネコマタを譲っておけば、この事態は避けられたのだろうか?
「いや、今はそんな事考えてる場合じゃないよ……」
ゾーヤは静かに首を振る。
小屋が炭となって焼け崩れ始めると、若い兵士が冷気の魔法で消火を始めていた。
となればこのままここに隠れているのはまずい。アキにはゾーヤが魔石持ちである事がばれている。ゾーヤの仲間達の死体を検分されれば、魔石を持ったバーバヤーガの死体がない事に気づかれる。
今のうちに逃げなければ。
不幸中の幸いと言うには不幸に過ぎるが、消火作業を始めた小屋からは白や黒の煙がもうもうと立ち上り周辺の視界を悪くしている。子狐が嫌そうに鼻を触っているのは煙の異臭が気になるからか。ならば匂いで気づかれる事もあるまい。
ゾーヤは臼を浮かせ、ゆっくりと島とは反対方向に進みだす。
――そうして小島をすこし離れたところで背中に殺気を感じ、右に大きく旋回しながら振り返った。
直後、ゾーヤのいた場所を氷塊が飛んでいく。
ただ振り返っていたら直撃していた。
「あら残念。別に正々堂々リベンジとかするつもりとかないし、今ので倒れてくれて良かったのに」
そう言って笑っているアキは水面の上で、ゾーヤと同じように臼に乗って浮いていた。
彼女が乗っているのは殺されたチームメイトが使っていた臼だった。
「なるほど、どうしてバーバヤーガが臼なんかに乗ってるのか疑問だったけど……これは浮遊魔法をかけるには丁度いい重さと大きさね。納得したわ」
アキは一人で勝手にうんうんと頷いている。
その様子にゾーヤは感情を爆発させそうになるが、どうしてもアキに聞いておかなければならないため、堪えて口を開いた。
「あんた……どういう事だい、それは? どうやって浮いているんだい?」
「別に? ただ、あなたの仲間の魔石で魔導書を作っただけよ」
「はんっ、この期に及んで嘘は無しだよ。あいつらは魔石持ちじゃなかったさ」
「だったらあなたに隠していたんじゃない? ほら、現にこうして私は浮いてるじゃない」
アキはニヤつきながらそう言うと、意識的に臼の上下の動きを少し激しくしてみせる。
ゾーヤは苛立ちが抑えきれず、手に持っていた杵で水面を叩いた。はねた水しぶきがゾーヤの袖を濡らす。
仲間達とは昨日今日の付き合いではない。特に一緒にいる事の多かったチームメイトの二人には、間違いなく魔石なんてなかったはずだ。ならば一体どうやって――
その時ゾーヤの脳裏に浮かんだのは、銀髪緑眼の少女が美味しそうに仲間を食べる光景。
あれがただの悪食ではないとしたら……
「そうか、あの銀髪の小娘か! それでお前たちは……」
「――へぇ」
ゾーヤの導き出した答えに、急にアキが笑みを消して目を細める。
「そう言えばあなた、フィロフィーちゃんの食事の時に偵察に来ていたんだったわね」
「……あたしの偵察に、気づいてたのかい?」
「もちろんよ。だってそのおかげでこの場所がわかったんだもの」
アキのその返答に、ゾーヤは全身の鳥肌が立つのを感じた。
偵察に気づかれていた。
帰りにつけられていた?
ああ、そうか、子狐だ。小柄で知性を持つあれが浮遊魔法を覚えたならば、ゾーヤの匂いを手繰り、身を隠し、水面を走り、ここまで辿りついてしまう。
つまり、ゾーヤが、呼び込んだ。
「あ、ああ、ぁぁぁああああ!」
ゾーヤは怒りと憎しみと恐怖と後悔から、叫び声が堰を切って出てきた。
そして杵を振り回しながら、アキの方へと突進する。
「火よ!」
アキは向かってくるゾーヤに火球を放つ。
「氷ぃぃいい!」
ゾーヤはその火球より遥かに大きな氷塊を生み、アキへと一直線に放った。
十日前にも同じような応酬をして、火球の後ろにいたアキは、ゾーヤの思わぬ魔法にピンチを招いた。今回はお互いに手の内がわかっているのだから、その時と同じ結果になるはずがない。
ゾーヤは左右どちらかに避けたであろうアキの姿を探す――が見つからない。
ならば、上か下か。
「下だ!」
バーバヤーガの浮遊魔法は無条件に空が飛べるわけではない。魔力さえあればどこまでも高く飛べるものの――念話の魔法が遠くの人間に話しかけるには莫大な魔力を必要とするように――高度を上げれば上げるほど指数関数的に魔力の消費が激しくなる。そのため一時的に高く飛ぶ事はあっても、基本的には地面や水面から十センチ位の場所を浮かぶ事しかできない魔法だと思っていい。
そのバーバヤーガの浮遊魔法の欠点を当然把握しているゾーヤは、アキが浮遊魔法を解除して水面に潜ったと推測した。
ゾーヤは水面に向かって複数の氷の粒を打ち込む。
それぞれが水面に小さなしぶきを上げて飲み込まれていく。
――が、アキの浮かんでくる様子はない。
「まさか!?」
ゾーヤは背筋に凄く冷たいものを感じながら、慌てて上を見上げた。
――星空が綺麗だった。
「……はぁ? そんな、馬鹿な、どこに!?」
『ん? 強いて言うなら、正面かな?』
その声がどこから聞こえたかはわからなかったが、ゾーヤが反射的に振り向くと、背後には巨大な冷気の塊が迫っていた。
先ほど感じた背筋の冷たさは恐怖から来るものだけではなかったのだと、ゾーヤは最後に理解した。
種を明かせばアキの目的はただの囮で、本命はこっそりとゾーヤの背後に回っていたタイアだった。
アキは前回とまったく同じに火球の真後ろにいたが、しかし氷塊とぶつかる衝撃に備えて後ろ向きに全力で飛び、そのまま氷塊を受け止めながらフェードアウトしたのである。
アキは最初にゾーヤに言ったように、一対一のリベンジなどにこだわりはなかった。
なにしろ元一流の女傭兵は、そうして今日まで生き残ってきたのだから。
* * * * *
「それにしても、この浮遊の魔法は本当に便利だな」
「そうっすね。便利なのは最初からわかってましたけど、まさかこんな使い方があるとは思わなかったっす」
ネコマタやエホライの兵士達に見送られた一行は、馬車は森を抜けて街道を進んでいた。今は御者席にアキ一人が座り、他の三人は荷台に座っている。
荷台の一人、タイアは人間の姿をしている。
「あははははは! さあ思う存分走りなさい、ア号! ウン号!」
「アキさん、それは酔うから勘弁してください!」
御者席に座るアキのテンションは異様に高い。
ケニーの嘆願は聞き届けられることはなく、アキの掛け声にア号ウン号と呼ばれた馬達は荷馬車ではありえないスピードで走り始めた。
バーバヤーガの魔石からは、浮遊魔法の魔導書を作る事ができた。それは物を宙に浮かす事ができる魔法で、高さ・重量・移動速度によって魔力の消費量が変化するが、特に高さに対しては魔力の消費が激しくなる。
フィロフィーは二体のバーバヤーガを十日で食べ終え、魔石を使って浮遊魔法の魔導書を作成したのだ。最初に作ったのは紙の魔導書だったが、アキたっての願いで後日木版魔導書を作る予定になっている。
アキは今、浮遊魔法を荷馬車にかけている。馬車は重量がある為に浮くには至っていないのだが、極端に軽くする事によって馬に負担をかけずに走らせていた。
商人であるアキにとって、念話と浮遊魔法は人生を変えるほどの魔法だ。当然バーバヤーガの死体で食べられそうな部分は全て回収し、凍らして馬車に積んでいた。
肉の詰まった氷漬けの樽を、タイアがなんとも嫌そうに見つめる。
「なあアキ、やっぱりこの魔物、少し捨てていかないか!?」
「ぜーったいに駄目よ! 捨てたら私もう協力しないから!」
「大丈夫ですわタイア様、わたくしが頑張ってすぐに食べますから!」
速度の出ている馬車の上で、フィロフィー達は声を張り上げて会話する。
人間の姿のタイアにとって、念話ではなく自分の喉で喋るのは数ヶ月ぶりの事だった。
ただし、念話は念話で利便性が高い。
『まあ、この上ネコマタの死体まで運ぶことにならなくて良かったっすね』
『それには同意するわ。……正直フィロフィーちゃんなら絶対に殺ると思ってたもの』
『あ、やっぱり? あたしも目を放したらネコマタにナイフを刺すんじゃないかとヒヤヒヤしてた』
例えば、フィロフィーに聞かせられない会話をする場合には。
タイアが人間の姿に戻っているのはネコマタの魔石で作った魔導書を使ったからだが、フィロフィーはネコマタを食べてはいない。バーバヤーガを討伐し捕まっていたネコマタを解放した事に対する正当な報酬として、ネコマタ達から魔石を買い取らせて貰ったのだ。
エホライの森には長年ネコマタが住んでいて、現在でも数百匹が暮らしている。ネコマタは強い魔物ではなく、魔石の生成率は確かに低いが、決してゼロといわけではない。世代交代をする中で、稀には魔石持ちのネコマタが発生する。
そうした魔石は知性のある魔物にとっては先祖の残した大切な遺産で、簡単には譲って貰えない。今回はバーバヤーガの討伐で恩を売り、どうにか相場で買い取らせて貰えたのだ。
――もっともタイアの業は深く、世界はタイアがそうやすやすと人間に戻る事を許しはしなかった。
「それでタイア様、久しぶりの人間の体はどうですか?」
「ん、嬉しいけどすっごい疲れる。魔力切れる前に元の姿に戻るぞ」
「そうですか……」
そしてフィロフィーが相づちを打つのと同時に、タイアの姿が唐突に消える。
タイアの着ていた服が重力に逆らうことなく落下して、その中から子狐の姿に戻ったタイアが顔を出した。
ネコマタからは変化の魔導書を作る事ができたのだが、それは狐化や狼化とは大きく異なる魔法だった。
狐化などの変身魔法は変身時にのみ魔力を消費するが、ネコマタの変化魔法は変身している間ずっと魔力を消費する。
そして本来の姿よりも、形や質量が違うほどに魔力の消費は大きくなった。加えて本来の姿よりあまりにもかけ離れたものには変身できない様で、小さな虫や鳥になって空を飛んだりはできないし、象に変身して敵を踏み潰すような使い方もできない。かろうじて蝙蝠の姿にはなれたものの、その能力まではコピーできない様で、超音波を感じ取ったり空を飛んだりは出来なかった。
今現在、タイアの本来の姿は子狐で、その姿は人間の姿とは質量も形も大きく違う。タイアの魔力では犬や猫には二時間でも三時間でも変化できるが、人間になれるのは五分が限界だ。
これではとても、人間に戻ったとは言えない。
「タイア様、今からでも戻ってネコマタを狩りますか? 今ならバーバヤーガのせいにできますわ!」
「……きゅふ」
フィロフィーの提案にタイアは一瞬悩んでしまったが、それでも悲しく鳴き声を上げて首を左右に振る。
確かにネコマタから魔石を買い取ったが、その魔石は大きなものを一つではなく、小さなクズ魔石を手のひらいっぱいに乗る位に貰ってきていた。ネコマタという弱い魔物がつくる魔石は、小さいものがほとんどだからだ。
本来、クズ魔石には不純物が多く、魔導書づくりに適さないとされている。しかしそこはフィロフィーの能力で一度全部を吸収し、そして再度純度の高い大きな魔石に作り変えた。
……が、不純物の量はフィロフィー達の予想よりも多かった。その体積は三分の一程度になってしまい、ギリギリ魔導書づくりができる程度の大きさにしかならなかった。当然ケニーやアキの分はない。
せめてフィロフィーの作った魔導書が木版魔導書だったならば、タイアはもう少し長い間変化できたかもしれないのだ。
「本当に良いのですか? 引き返すなら今ですわよ?」
「…………きゃう、きゃう、きゃぁう」
尚も囁き続けて惑わす魔王に、勇者は必死の抵抗を続けるのだった。




