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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
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第二十一話 ネコマタの森 ③

 フィロフィー達がエホライ領の兵士達と共にキャンプ地へと戻ってくると、出迎えたのはケニー一人だった。どうやらフィロフィーの救援要請に、ここにいた兵士総出で駆けつけてくれたらしい。

 兵士におぶられたアキを見て、ケニーは血相を変えて駆け寄って来る。


「アキさん、無事っすか!?」

「ちょっと足をくじいただけよ。……で、ケニー、あなたは一体ここで何してるのかしら?」

「え? 何って、お留守番ですけど」


 何しろエホライ領の森の奥で起きた事件である。案内役のフィロフィーは連れていくにしても、よそ者のケニーを連れていくよりは一人でも多くエホライ領の兵士を連れて行く方が合理的だ。そんな老兵士の判断により、ケニーは兵士のかわりにお留守番を言い渡されていたのだった。


「ケニー殿、異常はないかの?」

「はい、こっちは何もありませんでしたよ」

「うむ。――今日はもう遅い、詳しい話は明日しよう」

「ありがとうございました。それじゃ、僕ももう寝ますんで」

「…………」


 そう言って老兵士は兵士達のテントへ戻っていき、ケニーはやれやれといった顔で自分のテントの中へと引っ込む。

 ケニーにしてみればアキは足をくじいただけで、タイアも血を流しているわけでもない。瀕死のネコマタやらよくわからない魔物の死体やらは運び込まれてきたものの、兵士達には怪我一つない。

 この状況でアキとタイアが死闘を繰り広げていた事を察して気を使えと言うのは、あまりにも酷な話だろう。それはアキとタイアにもわかっている。


「ぎゃんっ!?」


 それでもタイアが腹いせにテントに体当たりして、ケニーは潰れたテントの下敷きとなった。



 *   *   *   *   *



 次の日の話し合いは兵士達のテントの中で行われた。そこには昨日アキ達が見たのとは別のネコマタが同席している。

 昨日のネコマタは尻尾が二本ある以外は普通の猫と変わらない見た目だったが、今日現れたのはそれより一回りは大きい。あれでまだ若いネコマタだったらしい。

 ネコマタは人間の姿にならないと喋れないらしく、話し合いが始まる直前に人間の姿へと変化した。兵士達から借りた服を着ていて、その場に座るとアキに向かって深々と頭を下げた。


「初めにお礼を言わせて下さい。息子を助けてくれて本当にありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 ネコマタのお礼の言葉を、アキが微笑んで受け取る。彼は昨日怪我したネコマタの父親で、この森に住むネコマタ達のボスだった。息子の方は重症のため別のテントで寝かされているが一命はとりとめたらしい。


『この状況で「息子さんを仕留めて食べる気満々でした」とは例え口が裂けても言えないっすね』

『おだまり、ケニー』


「それで、まずはこの森で何が起こっているのか教えていただきたいのですが」

「うむ。下手に詮索されても困るので話すが、今から話すことは絶対に余所で話さんでくれよ」


 その注意にフィロフィー達が頷くのを確認し、老兵士は森の秘密を語り出した。



 そもそもこのエホライ領の森林地帯は昔からネコマタ達の生息地で、現在も数百匹が森で暮らしている。彼らは森の木の実を食べたり獣や魔物を狩ったりと原始的な生活をしているものの、人間に近い知性ももっている。

 かつてネコマタとエホライ家がこの森の利権をめぐって争った時もあったが、基本的にはネコマタは人間を積極的に襲う魔物ではない。当代の領主はネコマタ達と和解して、そして契約を交わすことになった。

 領主はネコマタ達を友好種として森での安住を約束するかわり、ネコマタは街道沿いの魔物退治をしっかりと行い、街道を行き来する人間の安全確保をするという契約だ。

 このキャンプ地に宿を建ててネコマタに運営させる計画もあり、ネコマタの友好種認定も問題なく通る――はずだった。


 ところが最近になって事件が発生した。

 最初に何匹かのネコマタが突如として消えた後、旅人や行商人達が森でいなくなる事例が出てきたのだ。おまけに信憑性の高い情報として、老婆に襲われ命からがら逃げだした人間がいるという報告が出てくる。

 そこから領主との契約を良く思わないネコマタが離反して、人間に化けて暴れているのではないかという話になった。


「――それからわしら兵士はネコマタ達と協力して犯人捜しをしておったのじゃが……」

「犯人はネコマタではなくて、バーバヤーガだったわけですね」

「うむ。正直なところ昨日まではネコマタの仕業だと思っていてのう、危うく紛争になる所だったのだ。お嬢ちゃん達のおかげで敵の正体がわかり、ネコマタへの疑いを晴らす事ができた。あらためて感謝するぞ」


 そう言って老兵士が頭を下げると、傍にいた兵士達とネコマタもそれに続いた。


「こちらこそ、援軍がなければ死んでいました。本当にありがとうございます」

「うむ。……それはそれとして一つ聞かねばならないんじゃが、お嬢ちゃん達はなぜあんな場所に?」

「ええ、実はこちらのフィロフィーちゃん、こう見えて魔物の研究者なのよ。各地の魔物の調査をしているんだけど、森の魔物の調査をしたいって話になりまして」

「なるほどの。どうりでバーバヤーガについて詳しいわけじゃ」

「――え?」

「いやなに、救援に向かう道すがらでバーバヤーガがどのような魔物なのか詳しく教えて貰ったのだよ。しかも『魔石持ち』まで一目で見抜いたのだから大したものだ」


『ほ、本当なのフィロフィーちゃん!?』


 アキが驚いて思わず念話で話しかけるが、フィロフィーには念話は使えない。一つ会釈を返されて終わる。

 フィロフィーを魔物の専門家に仕立てるのは以前から考えていた設定だし、実際にフィロフィーは魔物にもそれなりに詳しい。バーバヤーガの事もセイレン家の屋敷にあった魔物図鑑を見て知っていた。

 ただしゾーヤを魔石持ちだと見抜いたのは、やはりグリモの力である。


 昨日の夜、フィロフィーはグリモがバーバヤーガの姿を確認した時点で引き返し、アキがフィロフィーに救援要請をしたときには既にキャンプ地に向かって走っていた。そのおかげでギリギリ救援が間に合ったし、老兵士も敵の情報を詳しく得ていた事でためらいなくあの場に飛び込む事ができたのだ。

 タイアとアキが助かったのは決して運に恵まれていただけではなく、陰にグリモの功績があった。


「生態調査とサンプル集めの一環ですわ。わたくしとしては予想外にバーバヤーガのサンプルが手に入って助かりましたけれど、できればネコマタのサンプルも欲しいところですわね」


 そう言ってネコマタに視線をうつす捕食者フィロフィーに、ネコマタは怯えて身をすくませる。

 二体のバーバヤーガの死体は一体はフィロフィーが貰ったが、もう一体と臼と杵は証拠品として領主のもとに運ばれる事になっている。死体は今は腐らぬよう、ケニーがまとめて魔法で凍らせてある。


「お、お嬢ちゃん? 今話した通りネコマタは友好種になる予定での」

「うひゅひゅひゅひゅ、もちろんわたくしも友好種に手をだしたりはしませんわ」


 不気味に笑うフィロフィーに、老兵士も少したじろいだ。


「……な、なら良いが。

 それで今後じゃが、わしらは改めてバーバヤーガの討伐任務に入るが、お嬢ちゃん達はわしらの事は気にせず先を行かれるのが良かろう。

 ただ、今回の一件はどうか内密にしてもらえんかの? もちろん謝礼も出そう」

「口止め料も込みって事ですね」

「そう思ってくれて構わぬ。受け取ってくれるかの?」


 相変わらず老兵士の物腰は柔らかいが、その目は今は笑っていない。

 たとえネコマタの犯行ではなかったとしても、森に危険種が現れ未討伐というのはエホライ領にとって表に出したくない情報だろう。ささやかに噂が流れているだけの現状でも行商人などが少なくなっているのに、フィロフィー達に言いふらされてはたまらない。

 返答次第では殺されかねない状況だ。


「もちろん。そもそも謝礼なんかなくったって言いふらすつもりはありません」

「それは良かった。報酬はこの先の領主様の住む街の方で……」

「あ、待ってください。口止め料はいりませんけど、私達もバーバヤーガの討伐に参加しますわ」


 フィロフィーは右手を挙げて発言し、交渉していたアキと老兵士を遮った。


『フィー、これ以上ここにいてもしょうがないだろ。いくらなんでも友好種は殺さないぞ』

『フィロフィーちゃん、友好種を殺すのは罪のない人間を殺すのと同じよ。ここは諦めて……』


「わたくし、これでも本気で魔物の専門家を目指しているのですわ。目の前に危険種の脅威がありますのに、その対処に協力せずして何が専門家でしょうか」

「ふむ、確かにお嬢ちゃんの知識には助けられたが……もしや何か策がおありか?」


 フィロフィーはタイア達の念話は無視して強引に話を進めてしまう。そこには説明したくてもできないという事情もあったが。


「準備に十日ほどいただければなんとかしますわ。ただし、その準備にバーバヤーガの死体を二体とも譲っていただきたいのですが」

「ふむ、奴らを殲滅できるなら死体くらいはいくらでも譲るが……本当になんとかできるのか?」

「お任せ下さいませ!」


 結局、フィロフィーはタイア達をそっちのけで話を強引にまとめてしまった。


「……それで報酬の追加ではないのですが、ネコマタさん達にお願いがあるのですが」



 *   *   *   *   *



「お前達、焼きが回ったみたいだね」

「そりゃゾーヤの方だろう? 復讐したいなら一人で勝手にしてきなってば」

「だから違うって、何度言ったらわかるんだ! こっちからしかけなきゃ危ないって言ってんのさ!」


 森の奥、湿地に囲まれた島の上で、言い争う二人の老婆の姿があった。その様子を更に五人の老婆が眺めている。島には小さな小屋が三つ建てられているが、老婆達はもれなく屋外にいた。

 大声を張り上げているのは、十日前に老兵士が取り逃がしたバーバヤーガのゾーヤである。それに対する老婆は地に着いた臼に腰かけて、ゾーヤの主張を聞き流している。


「チーム制にしようって言ったのはゾーヤだろう? 今までそれで上手くいってたのに、チームの仲間を失った途端にってのは虫が良すぎないかい?」

「だから、かたき討ちに付き合えって言ってんじゃないんだよ。本当にあいつは、あの小娘は危険なんだ! あいつが何かする前に手を打ちたいんだよ」

「はいはい、そんな見え透いた嘘はやめときなって。

 まったく、人間が魔物を食えるわけがないんだよ。人間を食べていいのは魔物の特権だけどね」

「本当に、本当に見たんだってば!」

「百歩譲って、それは人間に変身したネコマタだよ。

 そりゃ仲間を殺されたんだ、私達だってむかっ腹はたつけどさ。だからってあんな兵士だらけの所に突っ込むわけにはいかないんだよゾーヤ。落ち着くまで小屋でもうしばらく休んでな、腹が減ったらそこのネコマタ達を好きに食っていいからさ」

「この…………ちっ!」


 ゾーヤはそれ以上言い返せなかった。周りにいる他の仲間達がゾーヤに冷たい目線を向けている事に気づいたからだ。ゾーヤは臼を浮かせてその場を去る。

 その島から少し離れた場所に、更に小さな小島があった。ゾーヤはそこに着地して、先ほどまで仲間達と話していた島を眺める。


 バーバヤーガ達がここに暮らし始めたのは半年ほど前の事だった。仲間が元々住んでいた土地でしくじり、ゾーヤが仲間達を率いてここまで逃げてきたのだ。合計で九人のバーバヤーガがこの場所にまで辿りつき、三チームに分かれて森の動物やネコマタ、そして人間を狩っていた。

 今はゾーヤがチームの二人を失って、合計七人になっているが。


 この川と湿地の多い森は、バーバヤーガの天下だった。この隠れ家は湿地の奥まった場所にあり、周りは深い沼地で囲まれている。そこは空を飛べない人間やネコマタには見つかる心配のない、あるいは見つかった所で簡単には到達できない場所である。宙に浮ける彼女達の隠れ家にはぴったりだった。


 しかし、ゾーヤは既にこの場所の安全性を信じてはいない。

 爪を噛み、そして銀髪緑眼の少女の事を思い出していた。


「あの娘、何をするつもりだ? くそ、どうやってここにたどり着く?」



 ゾーヤは数日前の事を思い出す。

 ゾーヤは仲間を殺された憎しみから、いてもたってもいられずに度々偵察に出ていた。特にアキ達がキャンプ地を離れたら仲間と総出で襲いかかろうと考えていたのだが、何日経ってもキャンプ地から出て行く様子がない。


 更には自分を探して森の奥へ踏み込んでくるだろう思っていた兵士達も動かない。ネコマタは自分たちの集落に立てこもって出歩かず、兵士達は街道沿いの警備に徹していた。

 不審に思ったゾーヤは危険を承知でキャンプ地近くまで偵察にいき、そして目撃したのだ。

 ゾーヤの仲間の死体を美味しそうに食べる、銀髪緑眼の少女の姿を。

 衝撃を受けつつも観察を続けていると、アキ達が見張りに立っていたが、その視線は森ではなくキャンプ地の兵士の方を気にしている。少女がバーバヤーガを食べている姿を兵士に見られたくないのだろう。

 それなら森を出てからゆっくり食べればいいものをわざわざ森にとどまっているのだから、まだこの森に何か用事があるということだ。

 考えつく中で最悪なのは――残るバーバヤーガ全ての捕食。


 ゾーヤは何か恐ろしい事が起こっていると直感し、この土地から逃げるかあるいはあの娘を奇襲で殺すかするべきだと主張したが、仲間たちは取り合わなかった。仲間を殺されたゾーヤの妄想だと笑う。

 仲間は湿地の隠れ家に自信があった事、森にいるエホライ領の兵士が少ない事もあって、ほとぼりが冷めるまで隠れ家で息をひそめる方針に決めてしまった。食糧ネコマタがまだ残っている事もその決定の背中を押した。


「見間違いなんかじゃない、見間違いなんかじゃないんだよ……」


 つぶやいてゾーヤは首を振る。

 このままだとあの女達はいつかここに攻めてくる。そんな不安が拭えない。


 ただし空の飛べない人間やネコマタが、簡単にはこの場に来れないことも事実だ。

 沼の水は汚くぬかるんでいて、泳いでくる可能性は低い。周囲には背の高い水草なども多いので、船で来るのも難しいだろう。可能性があるのは冷気の魔法で氷の道を作るか、沼の水草を炎の魔法で焼き払って強引に船で進むかだが、どちらも魔力の消費が途轍もないことになる。

 どこかから大勢の魔法使いを集めてくれば、それも可能かもしれないが。


 ゾーヤが物思いにふけりながら島を眺めていると、仲間達がそれぞれの小屋に戻っていくのが見えた。そろそろバーバヤーガ達が就寝している時間だ。


(魔法使いを呼んでるとすれば、今日明日攻めて来ることはないだろうけど……明日説得できなきゃ私だけでも逃げるかねぇ)


 ゾーヤはため息をつき、そして臼を浮かせ――



 そして次の瞬間、島が火に包まれるのを目撃した。

 

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