第百五話 フィロフィーの最高に無駄な三ヶ月の戦い ①
話は少し遡る。
三ヶ月前、フィロフィー=セイレンは自分が生きて王都を出られたことを、実は誰よりも驚いていた。
なにしろ王女をひとり暗殺し、女王も死ぬとわかっていて看過したのだ。これほど重い罪もそうはない。
しかも計画的なものではなく、巻き込まれて仕方なくやったため、隠蔽工作にはかなり穴があり――
――結果、毒をワザと飲んで倒れた事はすぐにばれ、一時は砦の座敷牢に入れられていた。
フィロフィーは特務憲兵の尋問にあーだこーだと言い訳しつつ、内心ではほとんど諦めていた。
ワザと毒を飲んだことが知られた以上、芋づる式にミルカの暗殺も暴かれるだろう。晒し首になるのと魔石を産む機械として一生幽閉されるのなら、一体どっちが楽だろうか。
――そんなことを考えながら、死刑囚になった気分で座敷牢での日々を過ごす。
……しかしいつまで経っても死刑宣告どころか、囚人用の地下牢に移されることさえなく――およそ二ヶ月の拘束を経た後、フィロフィーはとうとう釈放された。
結局、毒をわざと飲んだこと以外はバレていなかったのだ。
そして服毒事件だけがバレただけなら、それほど問題にはならない。あくまでも毒を持ち込んだのはミルカであるし、フィロフィーはむしろクリンミル王女を助けている。地下牢ではなく座敷牢に入れられるくらいには罪が軽い。
最終的にフィロフィーは、厳重注意といくつか厄介事を押し付けられるだけで済んでしまった。
とは言え、この時押し付けられた厄介事の一つがレモナなので、これはこれで大変な目に合うのだが……それはまた別の話。
フィロフィーは釈放されたことを喜びつつ、あの拙い隠蔽工作でどうして助かったんだろうという疑問を持つ。
何か裏があるのではと思って調べてみたが――ただただ幸運が重なっただけだった。
タイアの活躍で事件がスピード解決したため、捜査期間が短く捜査員も少なかった事。
一部の王女が錯乱状態で話が聞けず、フィロフィーの怪しい言動が知られずに済んだ事。
オリン新女王が妹達に「テンがミルカを毒殺した」と伝えた事。
死んだ三人が全員病死と発表されて、箝口令が敷かれた事。
座敷牢で一心不乱に片手鍋を撫でるフィロフィーを見て、キャスバインが匙を投げた事。(フィロフィーは暇つぶしに魔導鍋二号を作っていただけなのだが)
これら複数の要因が重なった結果、奇跡的にフィロフィーの隠蔽工作は成功していた。
フィロフィーは自分の豪運に感謝しながら、合計で三ヶ月近く拘束されていた王都に別れを告げ――
* * * * *
――その三ヶ月後には別の組織に捕まることになって、そんなに運が強いわけでもないなと悟った。
(前回で運を使い果たしていたのでしょうか?)
『てか、悪さばっかりしてるから呪われたんじゃないか?』
(人聞きの悪いことを言わないで下さいませ。ミルカ様は向こうからわたくしを殺そうとしてきたのですし、テンさんは敵国の間者でした。アークロイナ女王に至ってはわたくしが殺したわけではない上に、ブリジスト様の――)
『そいつらは自業自得として、ヒドラは?』
(…………呪いなど迷信ですわ。それとも古代では呪いのメカニズムが解明されていたのですか?)
十七番がピンチを迎えていたその裏で。
フィロフィーはグリモと不毛な言い争いに興じていた。
グリモというのはフィロフィーと契約している悪魔である。本当の名前は別にあるらしいが、名乗らないのでフィロフィーがグリモと名付けた。肉体を封じられているグリモは精神だけが本に宿っていて、その本はウサギ人形の中に隠されている。
そして、フィロフィーは頭の中でグリモと話す一方――
「……ですので、タイア様が女王を殺したトリックに気づいたのですわ」
「そうか。となると、そのタイア王女になるのか」
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ」
――現実世界では偽喫茶店でグックスと向かい合って座り、半年前の事件の事情聴取をされていた。
昔はグリモと話し込んでしまうと目の前にいる人間との会話が疎かになったが、拘束中何度も行われた尋問をグリモと相談しながら乗り切った結果、両方と同時に話すという新たな特技を手に入れている。
「それで、君はなんで毒を飲んだんだ? 十番は『わけがわからない』としか書いてなかったが」
「表向きは『タイア様たち王族の名誉を守るためにやった』ということにしていますが……実はクリンミル様に恩を売り、城の書庫にある古文書を見せて貰おうと考えていたのですわ。そもそもわたくしがエルフ化の技術を手に入れたのは、古文書の解読ができたからですので」
「なるほどな」
「……ですが結局、タイア様に服毒がバレたせいで、色々とおかしなことになってしまったのですが」
「そこでもまたタイア王女か」
「はい、全てはタイア様なのです」
保身のため、フィロフィーは全ての功罪をタイアに押し付けた。
『ヒドラより狐の呪いの方がありそうだな……と、冗談は置いといて。この尋問ちょっと変じゃないか?』
(ですわね。最初はキャスバイン様と比べるから楽に感じるんだと思いましたが……)
グックスは色々と質問をしてくるものの、疑ってないのか興味がないのか、追求や反論はしてこない。尋問官としては機能していないのだ。
王都では心眼の異名を持つ男に問い詰められ続けたフィロフィーにしてみれば、グックスの事情聴取は生温く、気楽に答えられて助かるのだが……それ以上に、何故こんな事情聴取をするのだろうかという疑問が浮かぶ。
現在、十七番は神院へ荷物を取りに行き、バーグラは指名手配中のグックスに変わって外に出ているため、フィロフィーの側には彼しかいない。
今グックスの質問に一生懸命答えても、きっと後でバーグラにももう一回似たような質問をされるだろう。
あまりお喋りが好きなようにも見えないし、グックスの目的がよくわからない。
「それでその、タイア王女なんだが……強いのか?」
「え? はい、まあ。わたくしに作らせた魔導書を沢山読んでいますし、それがなくても剣術を習い、体力や魔力にも秀でています。実践経験もそれなりにはありますわね」
「そうか……参考までに聞きたいんだが、タイア王女を暗殺するにはどうしたらいい?」
「……本気でタイア様を暗殺するつもりですか?」
「いや、あくまで参考までに、だ」
「そうですか」
『おいご主人……』
(わ、わかってますわ!)
流石のフィロフィーにも冷や汗が浮かぶ。
どうやらここからが彼の本題であるらしい……のだが、まさかフィロフィーのでまかせを信じた結果、タイアの暗殺を考え始めたのだろうか?
これでタイアが暗殺されては洒落にならない。
「えっと、かなり難しいとだけお答えしますわ。わたくしにはあの方を暗殺する方法が思いつきません。触らぬ神に祟りなしかと」
「風呂やトイレの時なら?」
「タイア様は裸で戦う事を躊躇する方ではありませんから」
「寝込みを襲うのは?」
「耳が良いので気づかれますわ。特に夜は物静かなので見つかりやすいですわね」
「毒殺ならどうだ?」
「タイア様は解毒魔法も使えますから」
「打つ手なしか…………いやまて、解毒魔法?」
「はい。女王が毒殺されたのを見て、解毒魔法は手に入れておきたいという話になりまして。わたくしは釈放祝いにユニコーンのフルコースを食べさせられましたわね」
「ユニコーンは絶滅したんじゃないのか!?」
「いえ、今も生きてはいるのです。ただヒドラのように昔とはだいぶ違う姿になっているため、ただの小型の馬だと思われているのですわ。そもそもユニコーンというのは魔石を体内ではなく、頭部にツノとして形成する魔物なのですが――」
「あ、待ってくれ。すまないがその話はまた今度聞かせてくれ。今はタイア王女について聞きたい」
饒舌多弁に魔物の説明を始めたフィロフィーを、グックスは慌てて制止する。
(話題転換はしてくれませんか)
『こいつ、本気でタイアを殺すつもりか?』
(うぎゅ……そんなことになったら、本当に狐の呪いにかかりますわね)
フィロフィーはどうにかこの会話を切り上げようとしていたが――
「あとは、そうだな…………例えばだが、透明になれたらタイア王女を殺せるか?」
「それは…………面白い仮定ですわね」
――グックスの目が一瞬光るのを目撃して、もう少し掘り下げることを決める。
「その様な魔法があるのですか?」
「いや、例えばの話だ」
『ご主人、透明化の魔法はいくつかあるぞ。光学的に透明になるだけのやつから、薄い壁ならすり抜けるような厄介なやつまである』
「……具体的な条件によりますわね。その透明状態はずっと維持できて、壁をすり抜けたりもできるのでしょうか? 服や武器も透明になりますか?」
「いや、ただ見た目が透明になるだけだ。長時間は無理だし、建物をすり抜けたりもできない。服や手に持った武器を透明にすることはできるが、魔力消費が余計に激しくなる」
「では難しいでしょうね。タイア様は獣並みの知覚を持ってますから、やはり少しでも物音がすれば気づくでしょうし」
「訓練していて、気配や足音を完全に消せたら?」
「匂いも完全に消せますか? タイア様は嗅覚は特に鋭いのですが」
「……いや、ある程度は抑えられるが完全な無臭にはなれない、と仮定する」
「となると……透明化なしでの戦闘能力次第ですわね。ある程度まで近寄ることは可能でしょうが、刃物を突き立てられる距離までは無理でしょう。最後に奇襲して、勝てるだけの実力があるかどうかですわ」
「そうか…………おそらく無理だろうな」
残念そうに俯いたグックスを見て、フィロフィーはやっとタイアの暗殺を諦めてくれたかと思い、心の中で胸を撫で下ろす。
――しかし顔を上げたグックスは、さっきまでよりも一層真剣な目をしていた。
「君にひとつお願いしたいことがある。このあと君は十七番にも似たような質問されると思うんだが……その時に少し嘘を吐いて貰いたい」
「嘘? ……というか十七番って、ジーナさんにですか? バーグラさんにではなく?」
「そうだ。バーグラ様には真実を伝えてくれればいい。だが十七番は駄目なんだ」
「なぜ嘘をつく必要があるのでしょうか?」
「…………それがあいつのためなんだ。聞かないで貰えるとありがたい」
「――申し訳ありません。言いにくいのですが、わたくしはグックスさんよりジーナさんの方を信頼しています。理由も教えて貰えずに嘘はつけませんわ」
「そうか……」
グックスはしばらく、苦虫をすりつぶしたような顔で悩む様子を見せていたが、やがて決心したのか口をひらく。
「わかった、話そう。先に結論から言うと――あの馬鹿がタイア王女を暗殺しようとして返り討ちにされるのを防ぎたいんだ」
「えっ、馬鹿?」
そして、グックスから語られる真実は――
「……………………」
『……まぁ、あれだ。ドンマイ?』
――フィロフィーのこの三ヶ月間の戦いが、いかに無駄で無意味だったのか、それを突きつけて嘲笑う物だった。