第百三話 亡命の日
「わたくしをテルカース帝国へ亡命させて下さるのですね?」
「…………」
フィロフィーがもう一度尋ねてくるが、十七番達は固まったままだった。
十七番が決意を決めて正体を現し、グックスが武器を向け、バーグラがこれから拘束しようという瞬間――フィロフィーから出てきた言葉がまさかの『亡命』である。
実務的には『拉致』であれ『亡命』であれ、フィロフィーをテルカース帝国に連れて行くという事で変わりはないのだが……無理矢理連れて行く拉致と、本人の意思で国を出る亡命とでは、その意味合いは百八十度変わってくる。
「あの、違うのですか? ジーナさんはテルカース帝国の方なのですよね?」
「…………」
グックスに剣を首元に当てられているにもかかわらず、フィロフィーは刃のある方へと首を傾げる。
不用心すぎるフィロフィーの仕草に、グックスは顔を顰めて剣を少しだけ遠ざけた。
「えっと、わたくしを迎えに来て下さった、のですよね……?」
「…………」
フィロフィーが更に念押しをしてくる。
三人が何も答えないので、だんだんと不安になってきたのだろう。
フィロフィーが暴れたりしないよう、バーグラではなく知り合いの十七番が話を進める予定だったのだが……十七番が対応するには話が拗れてきているし、フィロフィーを見る限りそんな気遣いは不要に見える。
困った十七番がバーグラに視線を向け、彼は小さく頷くと、十七番の隣に座った。
「君は帝国への亡命を希望しているのか?」
「はい、今でも希望していますわ」
「今でも? ……まあ、いい。それで亡命を希望する理由は?」
「それはもちろん、テルカース帝国でわたくしの研究を完成させるためですわ。援助していただけるというお話ですし」
「研究? 援助?」
要領を得ない回答に、バーグラは眉間に皺を寄せる。
会話は一応成り立っているものの、フィロフィーの言葉は何かが足りない。というよりも、フィロフィーと十七番達との間には、どこか前提条件にズレがある。
「その、研究に援助してもらえるという話は誰から聞いた?」
「誰って、王宮にいたテン様なのですけれど――」
そして、遂に。
フィロフィーの口からずっと求めていた名前が出てきたことで、十七番は息を飲んだ。
動揺したのはバーグラやグックスも同じらしい。彼らがフィロフィーに向ける感情も、敵意から困惑へと変わっていく。
「――あ、もしかして皆様は、王都に居たテルカース帝国の方々とは別口なのでしょうか? テン様というのは王都のリスティ城に潜入していたテルカース帝国の間者で、今から三ヶ月程前に――」
「いや、その説明は不要だ。我々は間違いなく十番、君の言うテンの仲間だし――そして、彼に言われて君に会いに来ている」
バーグラがフィロフィーの思い違いに乗っかったのを見て、十七番は思わず吹き出しそうになった。
(まあ、その方が楽なのはわかりますが……)
せっかくフィロフィーが好意的な態度なのに、馬鹿正直に「無関係に攫いに来ました」と言って不信感を抱かせる必要もあるまい。ここからテルカース帝国までの道のりは長く、無理矢理連行するよりも、勘違いしたフィロフィーが自主的に付いてきてくれる方が楽なのは間違いない。
バーグラはグックスに目で合図を送り、脅しに使っていた剣も収めさせた。
「ジューバン? ……十番? なるほど、そういう系統の名前、コードネームだったのですわね」
フィロフィーはフィロフィーで、何やらぶつぶつと呟いている。
「手荒な歓迎をしてすまなかった。実は十番からはいくつかの短いメッセージを受け取っただけで、詳細は殆ど聞けていないのだ」
「そうでしたか。確かにあの後、テン様はすぐに亡くなってしまいましたものね。なるほど、それでわたくしの意思の確認のために一芝居打ったというわけですわね」
「…………ああ、その通りだ」
一体何がその通りだなのか、十七番にはわからない。
それはきっとバーグラにもわからない。
「それよりもだ、十番がテルカース帝国の人間だと知っているのか?」
「はい……あ、キイエロ王国にはバレていませんから大丈夫ですわ。わたくしにだけこっそり教えて下さったのです。もちろん王国も薄々気づいてはいるみたいですが」
「…………重要な任務でリスティ城に潜入していた十番が、自分の正体を明かしてまで君をテルカース帝国へと誘った、と?」
「そうなりますわね」
バーグラの眉間の皺が深くなる。
十番は女王の傀儡化という最重要任務についていたのだ。それが貴族の少女一人を勧誘するために正体を明かすなど、信じられる話ではない。
「(十七番、どう思う? しばらく一緒にいて、彼女に亡命したがっているような様子があったか?)」
フィロフィーがその場しのぎの嘘を付いているのではないかと疑ったのだろう。バーグラに耳打ちされ、十七番は考えこみ。
「(そんな様子は…………その、沢山ありました)」
答える十七番の頬を冷や汗が伝った。
そう、言われて見れば思い当たる節はあったしあり過ぎる。
フィロフィーが新しく即位したオリン女王に怯えていたのは間違いない。いったい何をやらかしたのか、ヒドラの繁殖は失敗すれば罰があり、手柄はすべて神院に取り上げられてしまう立場にある。それに十七番が来るまでは、狂乱状態のレモナに同行する唯一の女性従者だった。その苦痛は想像に難くない。
……それ以前に、父親のスミルスが「フィロフィーを連れて国外に逃げたい」と声にして嘆いていた。もはやストレートに。
「(……なぜ報告しなかった)」
「(すいません、こんなことになるとは思わず……)」
バーグラに睨まれて、十七番は目をそらした。
「あ、あの、もちろん最初からテン様に誘われたわけではなく……と言いますか、むしろその、初めは殺されそうになったのですが――」
剣呑な空気に気づいたフィロフィーは、しどろもどろになりながら弁明を始める。
……もっとも、いまや殺気の矛先は、フィロフィーではなく十七番に向いているのだが。
「えーっと、話すと長くなるのですが……まずはミルカ様の説明からしないと話がわかりませんわね」
「いや、その説明はいい。こちらもミルカ王女が女王を殺そうと考えていたことや、君がミルカ王女の毒を飲んで入院していた話まではテンから聞いている。掻い摘んで話してくれ」
「それでしたら――ミルカ様が女王陛下を殺したあと、わたくしはテン様に、亡くなられた女王陛下の部屋に呼び出されたのです。そこでなんやかんやあった末に、テン様に『君には罪人として死んでもらおう』的な事を言われまして」
ようやく聞けると思った十番の話が、ものすごい勢いで省略された。
「それで?」
(『それで?』じゃなくて、もっと良く聞いてください!)
十七番はツッコミを入れないバーグラに抗議の視線を送ってみたが無視される。
「その時、テン様はわたくしを殺して、女王殺しの黒幕にするつもりだったみたいなのですが――わたくしは自分の研究がキイエロ王国にバレたから殺されるのだと勘違いして、つい色々と口走ってしまいまして。
そしたらわたくしの話に興味を持ったテン様が急に態度を柔和させて『その研究をテルカース帝国で完成させてみないか』と」
「――ああ、たしかに十番が君の能力を見たのであれば、多少の無理をしてでも君を手に入れようとする可能性はあるか」
グックスが納得した様に頷くが、フィロフィーは目をパチパチさせている。
(今の説明で納得しちゃうの!?)という、彼女の心の声が聞こえてくるような気がした。
「……あのー、わたくしの研究内容を既にご存知なのですか?」
「人工的に魔石を生み出す研究のことだろう、『賢者』殿?」
反撃のつもりか、珍しくニヤリとして言うバーグラに、フィロフィーは喉を鳴らして目を丸くした。
そもそもフィロフィーを拉致する事になったのは、彼女が人工的に魔石を作れるとわかったからだ。
望遠鏡や鳥型の魔物を使って十七番の監視をしていたグックスが、たまたまフィロフィーがグレイウルフを食べて魔石を生み出している光景を見たのである。
それからグックスの目的も、十七番の連れ戻しからフィロフィーの拉致に変わった。延々と監視してたのも頻繁に魔物を送ってきたのも、十七番ではなくフィロフィー捕獲のためだったらしい。
しかし傭兵団がやたら強くて手が出せない上に、人相書きの出回っていたグックスはキイエロ王国の兵士に見つかってしまい、神院到着前にフィロフィーを捕獲することはできなかった。
結局、神院に引きこもったフィロフィーを、信頼を得た十七番が傭兵団から切り離して連れ出す作戦になった。
「…………シ、シシ、知ってらっしゃったのデスワネ。 エエ、説明の手間が省けて助カリマスワ」
明らかに動揺した様子のフィロフィーを見て、ここまでやり包められていた十七番は少しだけ愉快に感じてしまう。
「――ですが、わたくしの研究はその事とはまた別なのですわ」
フィロフィーはコホンッと咳払いをして仕切り直した。
「ほう?」
「この能力自体は見つかって殺される様なものではありませんし、亡命する必要はありませんもの」
「ふむ、たしかにそうだが…………つまり君は、キイエロ王国に見つかったら殺されてもおかしくない様な後ろめたい研究をしている、と?」
「ええと、まあ、なんと言いますか……それをお話しする前に、いくつか確認してもいいでしょうか? テルカース帝国の、というよりテルカ教についてなのですが」
唐突に宗教の話になり、バーグラとグックスの顔が強張る。
宗教というのはデリケートな話題だ。仮にもフィロフィーは見習い巫女だし、返答を間違えればフィロフィーが豹変するかもしれない――と、二人は警戒しているのだろう。
「バーグラ様、フィロフィーさんは宗教家ではありません。建前上、領地の雪山の神を崇めていると言ってました」
しかし十七番はフィロフィーが無宗教に近いことを聞いている。このタイミングで話題を振る理由はわからないが、楽な気分でフィロフィーからの質問を待った。
「テルカース帝国は人類至上主義で、魔物を家畜以下の邪悪な存在だとしていますね? そのため魔物を取り込んで巨大化したキイエロ王国とは相容れない存在になっている」
「ああ、その通りだ」
「テルカ教は救済型の一神教で、終末になると神様が降臨して、敬虔な信者を『救済者』という不老不死の存在にしてくれる――ということを信じている」
「ああ」
「プロパガンダの一環として『エルフは実はテルカ教の救済者だった』『最後のエルフはテルカ教の流布を恐れたキイエロ王国によって監禁されて殺された』という噂を市井に流していますわよね?」
「……そういう話があることは聞いている」
『最後のエルフ』というのは四十年ほど前に死んだ、キイエロ王国が保護していたエルフ最後の生き残りのことである。
エルフは人間から進化するらしく、テルカ教でも他の魔物とは区別されている。
――エルフがすでに絶滅したからこそ、死人に口なしとばかりに使っている節もあるのだが。
いったい今の質問に何の意味があったのか。フィロフィーは「安心しました」と言って胸を撫でおろしている。
――それからキョロキョロと他に客のいない店内を見回し、自分のピンクのリュックサックを持ち上げて膝にのせる。
十七番はリュックサックの口から顔を出しているウサギ人形と目が合った気がした。
「実はこの鞄の中に、わたくしの研究成果である『エルフ化の禁薬』が入っているのですが……取り出してお見せしても良いでしょうか?」
「……………………」
フィロフィーの、悪戯が成功した子供のような笑顔の前に、三人は再び硬直した。