第百ニ話 拉致の日
レモナと話した翌日、十七番はフィロフィーを誘ってイセレムの街にやって来ていた。
ちょうど安息日だったため、十七番が「相談したいことがある」と伝えると、フィロフィーは二つ返事でついてきた。
毎日忙しそうにしていたフィロフィーは、森にヒドラ探しに出かけた時を除けば、神院の敷地から一歩も外に出ていない。イセレムの街を見るのも久しぶりなため、街並みを物珍しそうに眺めている。
そんなフィロフィーだからこそ、十七番は安心して彼女を誘うことができたとも言えよう。「この先に安くて落ち着ける店を見つけた」と説明して、段々と人通りの少ない方へと案内していく。
「こちらです、フィロフィーさん」
「あの、ここですか?」
「はい」
「…………そうですか」
そうして大通りからは外れたところにある、喫茶店風の店に連れてきたのだが――フィロフィーは店を見るなり体を強張らせて立ち止まり、背負っているリュックサックの肩紐を握りしめた。
「あの、中にどうぞ?」
「…………」
十七番は喫茶店のドアを引いて促そうとするが、フィロフィーは直立したまま動かない。
(特におかしな点は無いと思いますが……)
確かに、商いをするには不向きな場所の店ではあるが、地元民向けに路地裏に構える飲食店だってあるし、建物に喫茶店としておかしな点もない。入り口には『営業中』の看板もかけてある。
自分が何かミスをしたのだろうかと不安になり、十七番はドアノブを握る手に嫌な汗をかく。
「…………あ、すいません。わたくし喫茶店というのが初体験なので、少し躊躇してしまいまして」
「そ、そうでしたか。慣れると落ち着ける場所になりますよ」
「はい、ぜひ体験させてもらいますわ」
フィロフィーは照れたような素振りを見せた後、笑顔で喫茶店の中へ入っていく。
(……杞憂でしたね)
十七番は小さく唇をなめた後、喫茶店の『営業中』の看板をこっそり裏返して扉を閉めた。
そうして店の中に入った十七番とフィロフィーは、金髪のウェイターに奥の席へと案内された。
なお、そのウェイターは金髪のカツラをつけたグックスである。目下指名手配中なので変装しているのだが、あまりにも似合わない七三分けの髪型に、十七番吹き出しそうになるのを堪えた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません。それで、早速本題に入っても良いでしょうか?」
「ええ、もちろん。相談事との事ですが――やはり、レモナ様に執事になって欲しいと頼まれたのを、断った件ですか?」
「うっ、フィロフィーさん知ってたんですね」
「すいません。事前にレモナ様から、勧誘していいかと許可を求められてましたから。結果も教えてもらっていますわ」
十七番はそっと周囲をさぐる。
店内には他の客は当然いないが……店員はすぐ近くにいた。
十七番が恐る恐る彼の方へと視線を向けると――案の定、彼は片眉をピンと吊り上げ、十七番を睨んでいる。
(……聞かれましたね)
彼に昨日の話はしていなかった十七番は、彼の責めるような眼差しから目を逸らした。
ただ、執事の話を断った事を、間違いだとは思っていない。
王都の拠点を引き払った以上、兄の時の様な充実した援助は望めないし、仲間と連絡をとる方法がない。それ以前に、十七番には兄の様な人の心を操る術がない。単身この国に残った所で、できる事はほとんどないのだ。
あの一瞬、冷静になった十七番は、そう判断してレモナの手を握らなかった。
……ただ、それはそれとして、レモナを追い詰めるのが嫌だったとか、兄妹で同じ女性を騙したくないという思いがあったのも事実ではある。
それでバーグラやグックスに対しても後ろめたさを感じていたため、知られずに済むなら黙っておこうと思っていた。
「執事の話、もし気が変わって引き受けるのでしたらわたくしに遠慮する必要はありませんわ。勿論、とても残念ではありますが、それ以上にレモナ様に幸せになって欲しいとも思ってますから」
「……フィロフィーさんはやっぱり、レナさんの素性を知っていたんですね」
「はい。隠していてすいませんでした。
――それと、改めて自己紹介もいたしましょうか。わたくしのフルネームはフィロフィー=セイレン、北国のセイレン領の貴族ですわ。あと、領主はお父様です」
「……オドロキマシタ」
「全然驚いた様に見えませんが……まあ、王女様の後に辺境貴族の娘が出てきてもそんな反応になりますわね……」
「す、すいません」
「いえ、いいんです。『これまでの無礼を〜』みたいなやり取りも、面倒なので無しでお願いしますわ」
(そんなに私の反応は悪かったでしょうか?)
十七番は何が悪かったのか聞いてみたいと思ったが、薮蛇になりそうな気がしてやめた。
「では、お言葉に甘えますが――私はやはり、レナさんの執事になるつもりはないんです」
「そうですか。 ……では、今日の相談とは何なのでしょうか?」
「はい、執事になる以外の事で、レナさんに何かしてあげられないかと考えまして。私に執事を頼むくらいですから、よほど追い詰められているのですよね?」
「ジーナさんはもう十分過ぎるくらい、レモナ様を支えて下さいましたけど……」
「ですが、昨晩の彼女の顔を思い出すと、このまま彼女と別れてしまうのは心配になるんです」
「そう、ですか。良いお友達になられたのですわね」
『友達』という単語が、何故か十七番の胸をチクリと刺す。否定したい衝動にも駆られたが……それを抑えて無言で頷き、姿勢を正してフィロフィーに向かい合う。
「だからフィロフィーさん、お願いします。どうしてレナさんが心を病んでいたのか、教えて貰えませんでしょうか?」
「それは……王都で少し、悪い男に騙されたのですわ。それで人間不信に――」
「その話を、より詳しく聞きたいんです。――その、彼女を騙した悪い男というのは、どうなったのですか?」
「そ、それは……」
十七番はもう一度「お願いします」と頭をさげたが、フィロフィーは表情を暗くして俯いてしまう。
「……ごめんなさい、ジーナさん。それについてはオリン女王から箝口令が敷かれてて、ジーナさんでもお教えする事ができないんです」
そんなフィロフィーの拒絶の返答を聞いて。
――十七番は笑った。
「――安心しました」
「……はい?」
「だって、教えられないという事は、知ってはいるという事でしょう?」
――困った様な、あるいはほっとした様な顔で笑った。
その瞬間、喫茶店の窓の外の雨戸が全て閉められ、店内が急激に暗くなる。
続いてドアから黒づくめの男――バーグラが入ってきて、内側から喫茶店ドアに鍵をかけた。
グックスもいつのまにか腰に剣を差し、フィロフィーのすぐ後ろについている。
「え? え!?」
「慌てないでフィロフィーさん。そのまま座っていてください」
「ジーナ、さん?」
狼狽えるフィロフィーを落ち着かせようと、十七番は落ち着いた声で話しかける。
そうしているうちにフィロフィーは、グックスとバーグラ、そして十七番の三人に、三方から囲まれる形になった。
「あの、これは一体……」
「驚かせてすいません。フィロフィーさんを私達の国に招待させて貰いたいのです。 ……私達の、テルカース帝国に」
「なっ!? ジーナさ――」
「大声は出すな。手荒な真似はしたくない」
背後にいたグックスが、フィロフィーの肩に刃物をあてる。
首から数センチの所で光る刃物に、フィロフィーの顔が青くなる。
「大人しく御同行願えますかな、『賢者』殿」
続けてバーグラには、丁寧な台詞とは裏腹のドスの効いた声で凄まれ、フィロフィーはぐっと口を閉じた。
(すいませんフィロフィーさん。 ……でも、これでようやく目的が果たせる)
その光景を見つめる十七番の内心に、罪悪感と安堵の思いが入り混じる。
十七番のそもそもの目的は、兄十番の死の真相を確かめることだった。最初は城を出たレモナに透明化を使って接触すれば済む話……だと思っていたが、気づけば複雑な状況に陥って、何ヶ月もの時が経ってしまった。
中々前に進めない状況に、ずっと焦りを感じていたのだ。
最初に自分を拾い上げてくれた少女を拉致しなければならないのは心苦しくて仕方ないが――しかしフィロフィーから兄の話も聞けるのであれば一石二鳥なうえ、レモナや他の人にはこれ以上何かする必要はなくなる。
まだフィロフィーから何も聞き出してないにも関わらず、孤児院に帰ってきたかの様な、そんな安心感を感じてしまった。
しばらく誰も口をきかないまま、お互いに様子を伺う状態が続く。
そして、そろそろフィロフィーを連行しようかという頃合いに、フィロフィーが恐る恐る口を開きはじめた。
「あのぅ、もしかして――」
グックスがわざと刃物を揺らし、カチャリと音を出して威嚇する。
フィロフィーはピクリと反応するが、それでも喋るのはやめない。
「皆さんはテルカース帝国の人間で――」
バーグラが懐からそっとハンカチを取り出す。
そのハンカチはなんらかの薬品で濡れていた。彼女を殺すつもりはないため、麻酔薬でも染み込ませてあるのだろう。
「わたくしのテルカース帝国への亡命を、手伝いに来て下さったのでしょうか?」
さらに続いたフィロフィーの言葉に。
「…………は?」
十七番は、ひどく間の抜けた声を出した。