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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第三章 無色透明な愛情
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第百一話 選択の神

 

 それからしばらくは穏やかな日々が続いた。

 フィロフィーによるヒドラの飼育は上手くいっているようで、十七番が追加でヒドラの捕獲を頼まれることはなかった。別の仕事もなかったので、十七番は以前の様に神院の巫女見習いを続けている。


 今日の巫女見習いの仕事は神院内にある灯篭とうろうの掃除である。十七番は自分の腰くらいの高さの灯篭を、手にしたボロ布で磨いていた。

 神院内にある大小さまざまな灯籠は、神々が集会の時に座る座席、ということになっている。灯篭と言っても普段は灯りをつけず、年に一度の『神々の総会』と呼ばれる日にだけ一斉に点灯するらしい。

 その『神々の総会』は来月で、それを楽しみにしている巫女見習いも多くいる。


 ……が、十七番がその光景を見ることはないだろう。

 今はバーグラが色々と手筈を整えている最中なのでおとなしくしているが、その日(・・・)は間近に迫っている。


「ジーナさん、そのくらいで十分ですよ」

「え?」


 黙々と灯篭を磨いていた十七番ジーナは、通りかかった熟年の巫女――見習い巫女の教育担当であるルチルに声をかけられた。

 ルチルの声に顔を上げると、近くには彼女しか居なかった。一緒に近くの灯篭を掃除していたはずの、他の巫女見習い達の姿がない。

 慌てて周囲を見渡すと、彼女達は遠くの灯篭の掃除へと移っていた。十七番はそこでようやく、自分が同じ灯篭を延々と磨いていたことに気づく。


「……すいません、ついボーっとして」

「いえいえ、それだけ綺麗に磨いてくだされば、トシラト様も満足して下さいますでしょう」

「トシラト様?」

「その灯籠にお座りになる神様ですよ。……そうですね、今のジーナさんには一番そのご利益が必要な神様かもしれません」

「え?」

「トシラト様は選択の神様ですから。人の進退去就を司るので、主に商人や貴族の間で信仰されている神様ですけれど、ジーナさんのように身の振り方を悩んでいる方にも力を貸してくださいますよ」

「――っ!?」

「うふふ、聞いていますよ。ジーナさんは故郷に戻るかこの国に残るか、ずっと悩んでいらっしゃるのでしょう? こんなお婆ちゃんでよければ相談に乗りますよ?」

「…………えっと」


 一瞬、正体がバレたかと思って身構えてしまった十七番は、少し恥ずかしく思いながら構えを解く。


「あら、それで悩んでいたのではないのですか? ……あ、もしかして、恋のお悩みかしら!? そういえばジーナさん、この前バンケツさんと――」

「違います、悩んでませんから!」


 年甲斐もなく声を弾ませ始めたルチルに対し、十七番は言葉を遮るように声を出した。


「あらあら、照れなくてもいいのに」

「本当に、悩んではいないんです」

「そうなのですか?」

「はい…………答えは初めから出ていますので」


 十七番の答えに、ルチルは微笑みながら「余計な詮索をしてしまいましたね。それでは、ジーナさんの決断にトシラト様のご加護がありますように」と小さく祈り、そのまま神院の奥へと歩いていった。


(――否。私は何も悩んだりしていない。やるべき事は、決まっている)


 十七番は頭を小さく振り、トシラト神の灯篭を無言でさする。

 あれだけ磨いたにもかかわらず、隙間に残っていた黒っぽい苔が十七番の中指を汚した。


「……神の啓示のつもりですか? 異教の神には頼りませんよ」


 そんな言葉を呟いて指についた苔を拭い、他の巫女見習いに合流しようと歩き始め――しかし目の前に不意に落ちてきた木の枝に、その足を止めた。

 枝を拾い上げて確認すると、先端に削ってある場所があり、そこには数字の『一』の一文字が刻まれている。

 空を見上げると、鳥型の魔物がアジトの方へ飛び去って行くのが見えた。


「……ほら、今日で終わりです」


 十七番は枝の先端を押し潰して数字を読めなくしてから投げ捨てて、今度こそ見習い巫女達のほうへと歩きだした。



 *   *   *   *   *



「お姉様、ハーブティーが入りましたよ」

「ありがとうございます」

 

 夜、仕事を終えて神院の女子寮の自室に戻った十七番は、レナからハーブティーを受け取った。彼女が完全に回復しても十七番は同室のままで、夜にレナと一緒にお茶を飲むことは、今日まで十七番の日課になっていた。

 すっかり回復したレナは、出会った頃とは見違えるほど美しい女性へと変貌した。目のクマが消え、薄化粧をするようになれば、元々容姿端麗だった素顔が更に際立った。誰とでも優しい微笑みで話す彼女は、他の巫女見習いからの人気も日に日に上昇してきている。

 これが彼女本来の姿であり、出会った頃は重度の心の病気だったのだろう。初めて出会った時にこの姿だったなら――それでいて、もう少し胸が小さかったなら――ひと目で彼女がレモナ王女だと気づけたのではないか、と十七番は思っている。


「今日のハーブティーは肌荒れに良いって妹が絶賛していたものですが……いつも綺麗なお姉様には必要ないかもしれないですね」

「そんなことありません。むしろレナさんにこそ不要なのでは?」

「うふふ、ありがとうございます」


 レナは小さく笑いながら、ティーカップに口をつける。

 姿勢は正しく、音を立てず、気品を感じるレナの立ち振る舞いに、十七番は女性ながらに見惚れてしまった。


(やはり、キイエロ王国の王女なのですね……)


 そう納得させられる動きを見せつけられて、十七番は胸が詰まる思いがした。



 ここに来る前の十七番にとって、キイエロ王国は祖国の戦争に横から介入してくる忌々しい敵国でしかなかった。

 テルカース帝国がグレア王国に宣戦布告してから早数年、国力では圧倒的に勝っているにもかかわらず、いまだに拮抗状態が続いているのは、キイエロ王国がグレア王国に物資や義援金を送り続けているからに他ならない。

 安全圏からグレア王国を操って、代理戦争をさせている卑怯者の国。それがプロパガンダの上に形成された、キイエロ王国に対するイメージだった。

 中でもキイエロ王国の王族のことは、人間の皮を被った化け物くらいに思わされていたのだが……目の前にいる女性を見て、そんなイメージを持ち続けていられるわけがない。



(お兄ちゃんは、どんな気持ちでレモナ(レナ)さんと付き合っていたのでしょうね……)


 任務として近づいたとは言え、彼女との蜜月の日々を兄はそれなりに楽しんでいたのではないだろうか? 鼻の下を伸ばした兄の顔が容易に想像できてしまい、少し不愉快な気分になる。

 ……いや、もしくは今の自分の様に、罪悪感を抱えていたのかもしれない。

 そんな風に考えれば考えるほど、十七番のモヤモヤは広がっていく。


「ところで、ちょっとお姉様にお願いがあるのですが」

「何ですか、レナさん」


 話しかけられ、レナを見つめすぎていたことに気づき、十七番は身体の向きをレナから少し逸らしてハーブティーを啜り――


「私の執事になってもらえませんか?」


 ――そのおかげで、吹き出したハーブティーをレナに吹きかけなくて済んだ。


「大丈夫ですかお姉様!?」

「くふっ、はっ……執事? なんのことですか?」

「いえお姉様、流石に誤魔化しきれてませんよ?」


 十七番は目を丸くする。

 取り繕う事に失敗した十七番をみて、レモナが小さく吹き出して笑った。


「あはは、やっぱり私の正体に気づいてましたね。そうだと思ったんです」

「……どうしてですか?」

「だってお姉様、前はレモナ王女の噂話に興味深々だったのに、今はその話題が出ると無関心を装いつつ私のことをチラ見してるじゃないですか」

「う……」


 十七番は言葉に詰まる。

 言われてみればそんな行動をとっていたことに思い至り、十七番は迂闊すぎる自分に身悶えした。


「…………やっぱり、レモナ王女様なのですね」

「様は要りませんよ、お姉様……あ」


 レモナは言って悪戯っぽく笑うが、十七番には愛想笑いをする余裕もない。

 レナの正体については確信を持っていたことだ。それを見透かされていたことは問題ではあるが、間者であることが暴かれてなければこの際構わない。

 ――それよりも、『執事』になってくれと頼まれたこと、それが十七番を軽いパニック状態にしていた。


「その様子だと『執事』が何をするのかもわかっているみたいですね。 ――どうか、私のことを助けると思って引き受けてもらえませんか?」

「何故、私に? 外国人ですし、執事らしいことなんてできませんよ?」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。バンケツにだってなんだかんだ務まりましたから」

「…………は?」

王族わたしたちって護衛や使用人は基本的に選べないんですが、一人の執事だけは心の拠り所として自由に選べるんです。だから私はお姉様――いえ、ジーナさんにそれをお願いしたいんです」

「――っ」

「この先も、私を支えてくださいませんか?」


 レモナは十七番に、握手を求めて右手を差し出した。



 十七番はその手を見つめながら考える。


 これは、千載一遇の機会ではないか?

 兄の任務は王族に取り入り、キイエロ王国にグレア王国への支援をやめさせる事だった。そのためにアークロイナ女王に近づいたが、女王が実はただのお飾りだったために散々苦労することになり――ついに任務を遂行できなかった。


 ここで十七番がレモナの申し出を受ければ、兄の任務をそのまま引き継ぐ事ができる。兄の汚名をそそぐチャンスだし、バーグラだってそっちを優先しろと言うだろう。執事としてリスティ城の深部にまで潜り込めれば、透明になれる自分なら、兄よりも上手く立ち回れるはずだ。


 何よりも、十七番はレモナに絶大な信頼を寄せられている。それこそ、いともたやすく操れそうなくらいに。

 であれば。


 十七番はレモナの右手を掴もうとして――――自分の右手の中指が汚れているのに気が付いた。

 さっきハーブティーを吹き出したときに、どうやら汚してしまったらしい。


 十七番はレモナの右手を掴むことなく、拳を握ってひっこめる。


「ごめんなさい、その話はお引き受けできません」


 十七番ははっきりと、レモナの目を見て答えを告げる。


「…………そうですか。わかりました、大丈夫ですから気にしないで下さい」


 そう言うと、レモナは寂しげに笑った。

 

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