プロローグ
世界は聖術でできている、誰かが言った。
そしてその世界の終末に、頂点に君臨する者たちが衝突するなど、誰も思いもしなかっただろう。
「『泡沫の夢、秘匿の軍勢、招来せし叡智の霧陣』」
透き通り、それでいて微かに血の滲んだ声が詠唱を紡いだ。
裾が破けた藍色のローブをたなびかせ長大な白杖を掲げてそこに純白の光を灯した。
少女の命に従い、辺りを包み込んでいた濃霧が竜胆色の雷を捕捉する。
「『駆けろ雷鳴、唸れ雷雲、幾千の時を越え再び轟雷の槍と成れ』、“藍色鳩羽”ッッ!!」
紫の術式が雷を帯び、主人を雷速の一本鎗に昇華させた。
音も光も置き去りにして濃霧を切り裂いてゆく。
「“ブリュム・リミテール”!!」
ふっ、と音がした。
爆発音なんて生ぬるいものではない。
物理など超越した、より根源的な恐怖を呼び起こしてくる音だ。
霧は、視界をぼかすのではない、物体を曖昧にするのだ。
音の発生源は紫電の男が今しがた槍を構えていた場所だ、それを包んでいた霧が空間ごと消え去った。
それは始まりにすぎなかった、縦横無尽に飛び回る男を撃ち落とさんと霧で満たされた空間に穴が連なって空く。
「チッ、空間ごと消しにきおったか!!」
紫電の男が食いしばって漏れ出た声は、ブロンドの聖女に届くことはなかった。
代わりに彼女に届いたのは数瞬前の雷光の軌跡だった。
あまりの速度に聖女は紫電を正確に捕捉できない、だが微かな情報だけで十分だった。
ふっ、連続して空間の消失する音。
「ぐっ!?なんで当てれんねや!?」
青紫の軌跡にほんのひとさじの深紅が混じった。
胴体が僅かに霧の聖術に巻き込まれ、えぐり取られたのだ。
右へ、左へ、上空へ、エッジの効いたカーブを描き紫電は追撃を回避し続ける。
「落ちなさいっっっ!!」
額の汗を裾で拭い、聖女は叫んだ。
その黄金の瞳に映るのは狂気か矜持か、はたまた愛する人を傷つけられた憎しみか。
ひとつだけ言えることは、その決意は冷たき刃の様に研ぎ澄まされ、紫電を切り殺そうとしていた。
少しずつ、着実に照準を定めていく。
軌跡に混じる鮮血の割合が増えていく、それに反比例するように速度が光に追いつかれていく。
なぜだ、なぜいつも自身の道には理不尽が立ちふさがるのだ
あの時も今も、ただ恩義に報いようとするだけなのに邪魔が入る
「……クソがぁぁぁっっっ!!!」
紫電が少しずつ色を変えていく。
まるで、忘れ去られた自身の本来の色を取り戻すかのように。
その瞳の奥に映るのは、聖女とは対照的に明確だった。
何千年もの間蓄積され続けたかのような、憎悪と憤怒の闇だ。
紫電の咆哮に微笑むかのように、彼の身体が聖なる輝きを放つ。
奇跡、そう呼ぶべき理不尽に、霧の聖女は目が眩んだ。
そして、紫電はかつて猛威を振るった雷の姿を取り戻した。
片や愛された強者、片や嫌われた強者。
両者の均衡を崩したのはひとりでは覆しようのない奇跡だった。
世界は聖術でできている、誰かが言った
そんな中で僕は聖術を使うことはできなかった
でも、今振り返ればそれで良かったのかもしれない
「いくら最年少の四聖、霧の聖女サマとはいえ分が悪かったんとちゃうか?」
紫苑の雷を宿した槍は辺り一帯を包み込む濃霧を切り裂き、その根源である少女へと到達した。
鋭い切っ先は長く艶やかなブロンドを一房はらりと落とし、狙いを首に定める。
「怖くないんか?死ぬのが」
少女の口元には少量の血が滲んで、額には汗も見える。
対して本来の姿を取り戻した紫電は、鼓動を雷鳴の様に轟かせ涼しい顔で佇んでいた。
圧倒的劣勢、生物としての限界と恐怖を感じる。
だが、少女は心の底からの微笑みを見せた。
「何を言ってるの?私は死なないわ」
霧の聖女、フェルミア・N・ニヴルヘイムの余裕は崩れなかった。
紫電の槍は一瞬たじろいだ。
「彼ともう一度巡り会うその時まで、私は死なないわ、ノクレミナスの名に誓って死ぬわけにはいかないの」
ずっと先を進む彼女の背を追いかけるだけだったから
一生追いつくことのできない背中を追いかけ続けたから
愛する人を支えることしか僕にはなかったから
もしも僕が普通に聖術を扱えていたら、彼女との再会など不可能だったから
「残念やけど、お前は再会なんてできずにここで死ぬんや、バケモンが」
紫電を纏った槍が首筋に肉薄する、音よりも速い速度で繰り出される突きだ。
だが少女は微笑みを崩すことなく、少しも臆することはなかった。
彼女は知っていた、愛する人が必ず来てくれることを。
ね、ヴェル?
ガキン!!
金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴る。
突如襲いかかってきた衝撃に槍の男は吹き飛ばされる。
辺りに広がる霧が、襲撃したそれの影を覆い隠した。
もしかしたら、キミはそれでも待っていてくれたかもしれない
どれだけ僕の歩みが遅くても、道の果てでキミは待っててくれたかもしれない
けど、それはキミの愛してくれた僕じゃないから
だから、僕は聖術を使えなくて良かったと思う
例えそれが長く険しい道のりだったとしても
キミの進んだ道とは別になったとしても
僕は異端がいい
「………お待たせ、フェルミィ」
目の前に立つ彼の言葉に、少女は酷く安堵した。
この名に誓った約束を果たす日がとうとう来たことが、嬉しくて仕方なかった。
「本当に、待ったわ、ヴェル」
霧が晴れていく。
少女の前には夜空のような黒髪を揺らす少年の姿があった。
灰色の稲妻が走る剣が宿す、聖術とまた別の力が混じりあったそれは、まさに異端だった。
「8年近く妻を放置するだなんて、悪い旦那様だこと」
「悪かったって…でもフェルミィだって僕のこと普通に置いてったじゃないか」
「私についてこれないヴェルが悪いのよ?ずっと待ってたのに会ってくれなかったし……」
少女はぷくーっと頬を膨らませて拗ねていることをアピールした。
乱入してきた少年は苦笑を隠せなかった。
世界の行方のかかった局面とは思えないほどに、2人だけの空間に入り込んでしまっている。
だが裏を返せばそれだけリラックスして戦いに臨んでいるということ。
「ごめんよ、でも今度こそ……」
「ええ、今度こそ……」
少年の横に、少女が並び立つ。
まるで何年も前から続く言葉を知っていたように、2人の紡ぐ言葉は重なった。
___一緒に行こう___
2人の左手には、銀色の暖かな輝きが光っていた。
道が分かれたとしても、その終着点でこうしてまた会えるから
僕は異端がいい
「ここで全部……全部決着を着けてやるッッ!!!」
「夫婦仲良くぶち殺したるわ!!お前の親父みたいになッッ!!!」
異端の剣と紫電の槍が衝突する。
片や王に全てを捧げた忠臣、片や生まれてくるはずのなかった異端。
互いの気迫だけで空間がびりびりと震えるようだった。
一度はその槍に敗れ、心を打ち砕かれた
それでも、負ける気は到底しなかった
キミが隣にいてくれるから、一抹の不安も消え去っていく
これは、異端《僕》が聖女《愛する人》の隣に辿り着くまでの物語だ。
読んでいただきありがとうございます!!
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