第9話 泣き虫の勇気 ②
「きつく叱っておいたからもう安心よ? もちろんヨーンもね」
稽古帰りにシーカは何度もそう言った。朝からずっとそればかりだった。
ご機嫌にハミングをして、ジオはそれに合わせて嬉しそうに唄っている。
「おい」
と、大人と子どもの中間の声が私たちを呼び止める。
「昨日、弟が世話になったみたいじゃねえか」
十数人がぞろぞろと私たちを囲んだ。往来で、しかも白昼堂々としたこの事態に、周囲の大人たちも驚いている。
「兄貴、あいつらが俺を殴ったんだ」
「おう。チビスケども、覚悟しろよ」
「……あのさ、ご覧の通りのチビスケだよ? あんたらが割り込むのは筋違いじゃないの?」
「半端な覚悟で喧嘩なんかするんじゃねえ。一発ぶん殴るだけで勘弁してやっからよ、歯ァ食いしばれ」
問答無用で歩み寄る彼の前に立ちはだかったのは、なんとギラつくシーカを抑えてのジオだった。
「……どういうつもりだ」
「手を出した二人も悪いけど、事情が、事情があるんです」
彼は弟をちらりと振り返り「聞いてるよ」とジオの肩を軽く押して脇にずらした。
「問い詰めたからな。だからお嬢ちゃんはいい。だがメンツがあるからよ、そこの二人はぶん殴る」
「だ、駄目です!」
「どいてろ」
「メンツが大事なら弟にケジメ取らせろよ」
「よしなさい円。言っても無駄よ。どうせボコボコにされないとわからないんだから」
「はっ。その木刀でか? やれるもんならやってみろ」
その言葉を合図にシーカが無造作に間合いを詰める。抜き打ちすると切っ先は男の脇腹に命中し、くぐもった悲鳴とともに跪いた。
「私にだってメンツがある。友達を泣かされたままじゃいられない」
「あいつを殴った時点でケリはついているけどね。そもそも筋でいうならジオがやらなくちゃ」
ジオの腕を取って引き寄せる。彼女の実に勇敢な行動と、シーカの殺気に当てられてか、圧倒的な数的不利にも昂っている。
「……うん。筋は通せって教官が言ってたもん。だから、私もやるよ」
やる気になってんじゃァん。
と、シーカの上がる語尾に思わず笑みがこぼれた。それを鬨の声として、地を蹴った。
「事情はメッサーさんから聞きました。あなたたち、一緒に部屋にお出でなさい」
帰るとすぐにシスター・デインから呼び出しをくらった。
「メッサーって誰っすか」
「あなたたちと揉めた兄弟のお父様です。まったく、ロイスの慌てようといったら、天変地異でも起きたのかと」
これはお小言じゃ済まなそうな雰囲気だ。でも、泣き言も言い訳もしない。それは二人も同じだった。
部屋で待っていたのは五十過ぎのおっさんだった。日焼けした腕も首も太く、まばらにあごひげが生えている。
「ようチビスケども。うちのと喧嘩したんだって?」
まあ座れとソファに顎をしゃくった。
「驚いたぜ。ま、木偶の坊にはいい薬になっただろうな」
「ジェム、なんてことを言うのですか」
「シスター、いいのさ。シスター・ロイスが説明してくれただろ? あいつらが悪いよ。こんなチビスケ相手に群れてメンツだなんて馬鹿馬鹿しい。それに、その子たちは見たところ無傷じゃないか」
「ジオがあざを消してくれたんです。私はほっぺ、円は膝と腕」
「それは稽古でできたやつね。殴られたのはお前だけ」
と、不真面目な合いの手にシスターは目つきを険しくした。対照的にメッサーさんはにこやかだ。
「叱らないでやってくれよシスター。友達のためにしたことだ」
「そうはいきません。前後も含めてきっちり説明してもらいますからね。まったく、あなたたちときたら……。ジオ、あなたが付いていながらどうして喧嘩なんて」
「あ、あの、あの……二人は悪くないっていうか、いやちょっとは悪いんですけど」
と、ヨーンと自分に起きたことを丁寧に説明し始める。とはいえそれはきっかけであり、
「それで私がシーカを誘って仕返しに」
と、相手の数から人相、周囲の騒がしさ、さらにはノックダウン数までを克明に述べた。渋くなる一方のシスターの表情に、少しだけ誇らしくなる。まさか自分の記憶力がこれほどいいとは思わなかった。
「呆れた。円ったらそんなの数えていたの?」
シーカは見直したと言わんばかりに私の頭を撫でた。というよりもこの中に何が詰まっているのかという手付きだった。
「……安易に仕返しなんてせず、まずは私たちに相談しなさい。ジオがいるからって無茶はしないでちょうだい」
はぁいと声が揃い、それはどこかコミカルで、シスター・デインは呆れたようにためいきをつく。
「ジェム、あなたも子どもたちに馬鹿なまねはしないよう注意をお願いしますよ」
「わかっているよ。それじゃ失礼する。チビスケたち、元気があってよろしい」
「ジェム!」
「わはは。じゃあなシスター」
なんだ、あいつらはジオを泣かせるバカタレだったけど、父ちゃんの方はいい人じゃん。
「はあ、まったくもう」
「ねえシスター、私たちはなにも弱い者いじめをしたわけじゃないのよ? あいつらが悪いんじゃない」
「シーカ、それにあなたたちは賢い子です。だからこそ暴力に対しては慎重になりなさい。何が正しいのかではないのです」
シスターはそんな難しいことを言った。きょとんとしていると、罰として夕飯後から就寝までの院内の清掃を命じられた。
「円ちゃん、シーカちゃん」
ほうきを持って廊下を掃いていると、ジオがその手を止めた。
「ありがとう。ヨーンちゃんのために喧嘩してくれて。それと、こんなことになってごめんね」
「お前のためだよ」
あんたのためよ。とシーカの声と重なった。
「お礼なんていらないよ。怪我も治してくれたしさ」
「それにジオだってあいつらをぶっ飛ばしたじゃない。円、何人だった?」
「四人。お前は八人」
「円は?」
「……二人」
だってシーカが想像以上暴れるんだもん。
「あのね、私、もっと頑張るよ。勉強もたくさんするし、二人を守れるように剣もたくさん練習するから」
ああ、もうジオったら。じーんとくるようなこと言っちゃって。
「じゃあ私はもっと強くなるわ。ジオがもう泣かなくていいようにね」
「お前はほどほどにしておけよ。ジオが守ってくれるって言ってんだから」
「あんたも頑張りなさいよ」
「ほどほどにね」
なんて笑って見せるけど、こいつらの宣言に心が熱を持っている。強くなりたい理由が明確になったからかもしれない。
(狼やチンピラが相手ならまだいいが、怖いお兄さんとかが出てきたら)
そう考えるとなおのことだ。
「ほどほどに頑張るよ」
でも煮えきらない態度を取ってしまう。なんだか燃えたぎるこの胸中が恥ずかしくて、うまく眠れるか心配になるほどだった。