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鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮は神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座する、相模国一宮で国幣中社です。

 祭神は応神帝です。

 神徳は、武家社会の守護として、安全祈願や戦勝、豊穣などに顕れるようです。


 祭神の応神帝は第十五代の天皇です。

 奈良時代から平安時代の始め頃に八幡神と習合しています。

 武家社会、特に源氏の崇敬が篤く、鶴岡八幡宮は河内源氏の頼義が由比郷に勧請して創建しました。

 頼義の長男は「八幡太郎」を名乗った義家で、その次男・義親は朝廷に逆らって誅されたものの、源氏の内紛を収めたのは義親の四男・為義でした。

 為義は摂関家、長男の義朝は鳥羽法院側に接近した為に対立を深め、鳥羽法院が崩御した後に勃発した保元の乱では為義が崇徳院、義朝が後白河帝側に分かれて合戦に及び、後白河帝側が勝利しました。

 義朝は父と弟たちの助命に奔走しましたが許されず、自らの手で父たちを処刑し、左馬頭に叙任されています。

 その保元の乱から四年後、内裏では後白河院と二条帝の近臣同士が反目するようになっていました。

 特に、保元の乱で勝者となった信西に対する反発は強く、二条帝派と後白河院派の双方から疎まれていました。

 対して院の恩寵を受けた信頼は、義朝の武力を背景に平清盛が不在の隙を衝いて、信西を殺害し実権を握りました。

 この時、義朝は播磨守、嫡子の三郎頼朝は右兵衛権佐に任じられます。

 ところが吉野から戻った清盛の軍勢が圧倒的多数であった為に義朝親子は都落ちします。

 東国に向かう途上、頼朝は近江で捕縛され、義朝は裏切りに遭い頓死、長子の義平も清盛暗殺に失敗して処刑されてしまいます。

 伊豆に流された頼朝は力を蓄え、後白河法院の皇子である以仁王の平家追討の令旨に呼応して、韮山を攻め取りますが、援軍との合流が遅れて平家軍に惨敗し、安房へ退却します。

 そこから在地勢力を糾合し、房総、武蔵を制圧して鎌倉に入ります。

 この時、必勝祈願として八幡宮を由比郷から、現在地の小林郷北山に奉遷しました。

 以後、武家の崇敬を集め、戦国時代に焼き討ちに遭うも北条氏綱が再建し、江戸幕府の庇護を受けて隆盛を極めました。

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