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きみおもふ  作者: 豆蔵。
9/13

よん、土蜘蛛-2



 今宵も見事な月となった。

 淡い青の光が、格子窓から、座敷に斜に差し込んでいる。

 小袖を通した茶々は、座敷にあぐらを掻いて座っていた。一段高くなった場所で、忠が酒をちびちびと呑んでいる。前には、焼いた茸が置いてある。それを肴に彼は、ほろほろと扇で火照った頬を扇いでいた。

 管弦を弾く音と共に、統領が舞を披露している。

 艶やかな姿とはかけ離れた、繊細な仕草が見るものを虜にする。

 茶々は酒を呑んではいなかったが、それでも不思議と気分が良かった。

 時折見せる表情がまた美しい。流し目に茶々を見、紅に彩られた唇から歯を覗かせて笑う。女よりもずっと、女らしい。

 ただ、一つ気にかかる事があった。

 露草がまだ、座敷に現われない。

 茶々が屋敷を訪ねた時、彼は茶々を出迎えた。忠のいる座敷に通したのも露草だ。

 統領を呼びに行くと云って彼は下がったが、現われた統領と芸者の中に、露草の姿がなかった。

 すぐ来ると伝えて欲しいと統領に言付けたきり、彼は姿を現さない。

 一幕終わって芸者が下がり、膳が用意されてようやく、茶々は訊ねた。

 「あの、露草は…?」

 「なんせ座敷に立つのは初めてだからね、準備に手間取っているんだろうよ」

 忠に酒を注ぎながら、統領が答える。

 茶々は黙り込んだ。

 もしも露草が、土蜘蛛を追って屋敷を出たとして、外には狛が張っている。彼には、露草が店を出れば匂いを辿って追うように云ってある。

 だのに何故、こんなに胸が騒ぐのか。

 「あの、俺…」

 茶々が席を立とうとした時、不意に忠が、口を開いた。

 「ここの所、都が想像しいですな。なにやら、辻斬りが後を絶たないとか」

 「嫌だねえ、忠さん。酒の席でそんな話は」

 「いやいや、もう七人の被害者が出ていると云うじゃないか。この話題を口にせずには、都に居られない」

 「そりゃそうだけれども…」

 困ったような顔で、統領が茶々を見る。

 酒の席で、子どもの前で。統領の心配が窺えて、茶々は首を横に振った。

 立ちかけた腰を落として、茶々は忠を見る。

 「命を軽んじる行為は、許せませんね」

茶々の言葉に、

 「何故?」

 忠は首を傾げた。

 「人は他の生き物を軽んずる。喰う必要もないのに殺す。人の世に邪魔だからと、ただそれだけの理由で命を奪うじゃあないですか。挙句の果てに、人は人を殺す。――常々思いますよ、人は、増えすぎたんです。奴らのせいで、動物も、妖も、棲む世界をどんどん奪われていく」

 妖? と、聞きなれない単語に、統領が訊ねると、

 「私のような生き物です」

 忠は、あっさりと答えた。

 そして、

 「のぉ? ――茶々殿」

 笑う。

 一変して、空気が張り詰めた。

 冷たい汗が、背筋を流れる。

 「なぜ、わたしの名を?」

 「そなたは妖の世界で有名ですからなあ。巷では安部清明などという童子を恐れるものも増えているようだが……鵺と狛犬を従えた貴様の敵ではありますまい」

 にやにやと品のない笑みを浮かべながら、忠が様子を探るようにして、云う。

言葉遊び。

 妖が好む手法だ。

 本来、妖は闇に潜む生き物。その性質からか、真っ向からやり合う事よりも、相手の隙を窺い、突く方を好むものが多いようだ。忠もそういう類なのだろう。

 だが、茶々も伊達に多くの妖と関わって来たわけではない。

 相手がそのつもりなら、こちらは出し抜くまで――茶々は、跳ぶように高鳴る心臓を宥めながら、静かに言葉を返す。

 「ええ、安部の者と同等に置かれるなんて…屈辱ね」

 云いつつ、茶々はちらりと統領を見た。

 彼は茶々と忠の不穏な空気を読むように黙って話しを聞いているが、出来る事なら、何気ない素振りでこの部屋から出て行って欲しい。

 しかし茶々の願いは届かず、統領は部屋を出て行く所か、ゆっくりと茶々の方へとにじり寄って来た。茶々を庇うようにして、前に座す。

 「統領」

 驚いた茶々が名を呼ぶと、彼は横顔で微笑んだ。

時間が長い。

 息を詰めて、茶々は統領の背中越しに忠を見据えた。

 いざとなったら統領を押しのけて前に出られるよう、膝を立て、腰を浮かせる。

 忠を出し抜く等とはいってはいるが、実際問題、それはかなり難しい。呪を唱える時間があれば話は別だが、その隙を作るまでの力技を茶々は持っていない。

 ここまで来れば、狛の助けはないと考えるのが妥当だ。彼はきっと、露草を追っている事だろう。

 どうする、と、ひやり肝が冷える。

 それでも、相手に呑まれた先は茶々の死だ。統領を巻き込む危険性が高い今、精一杯の虚勢を張ってでも耐えなければ。そうすれば道が切り開かれると、淡い期待を胸にして。

 茶々も笑う。

 「――土蜘蛛と、供託していたのね?」

 全ては初めから仕組まれていたのだ。

 「さしずめ、土蜘蛛は辻斬りを、あなたはあたしを喰えればいいって所かしら?」

 「それは…、どういう意味だい?」

 押し黙っていた統領が、窺うような声を上げる。

 茶々はふふんと嘲笑うと、

 「妖たちの世界に通じる迷信よ。力を持った人間を喰えば、永遠の命を手に入れられる。 ……戯言ね」

 現に、云うばかりで為しえた話は一つもないではないか。

 それでも、忠のようにすがる妖が多いのもまた事実。そうして迷信と云うのは広がって行くに違いない。

 「………そんな迷信が…」

 統領が小さく呟く。

 忠はゆうゆうと風を仰ぎながら、

 「それを試してみるもの、いいじゃあないですか」

 そう云って、片方の眉を持ち上げた。

 「しかし、お主は一つ勘違いをしておるよ、茶々殿。 ……この件に、初めから土蜘蛛は関わっておらぬ」

 「何ですって?」

 眉を潜めた茶々に、忠はさぞ愉快気に、

 「あの山は、お主が作った呪によって、悪しき妖は足を踏み込めぬよう作ってある。そもそも、薬師丸と狛が居る中、正面突破はほぼ不可能。ならば、姫君に屋敷から出て来て貰うしかあるまい。薬師丸と狛が離れた状態で、な。それを成す為に、四年前の辻斬りは格好の餌であった」

 つまり、辻斬りも忠が仕組んだ事となる。

 ならば。

 「…露草があった土蜘蛛は…?」

 彼が想いを寄せている男は、一体誰なのか。

 茶々の疑問を笑い飛ばすように、忠は鼻に皺を寄せると、息を噴出した。

 そうして、にんまりと笑む。

 「あの情けない男こそ、本物の土蜘蛛。 …奴はもう、人斬りでもなんでもない。弱い男よ」

 ほほほ、と、癪に触る笑い声が座敷に響いた。

 「それを利用した。土蜘蛛を臭わせる事件が起これば、奴は再び京の地へ戻ってくる。そこで奴をも殺せば……」

 ぼん、と煙が湧き上がる。

 茶々と統領は、そろって息を詰めた。

 その奥には、忠とは別の姿がある。

 暗い影を背負った男だ。目の下に濃い隈がある。色あせた紺の直衣に、よれた袴。色のない瞳が、気だるげに茶々を見る。

 だらん、と立っている姿は、糸の切れた人形のようだ。

 だが男は、笑いを堪えるように、腹を抱える。

 そうして壊れた人形のように、両の口端を三日月のように持ち上げて笑んだ。

 「薄汚い人間を如何程殺そうが、茶々を喰った俺を、陰陽寮の奴らがどうにかできるはずもない。 ――そうして俺が、人斬り土蜘蛛だ」

 「なんと醜い!」

 忌々しげに吐き捨てた統領に、忠はやんわりと微笑んだ。

 愛しい人に囁くように、声を潜める。

 「そなたの美しさの前では、誰もが醜いであろうよ、統領。なに、お主を殺しなどしないさ。朽ち果てた人の上でお前を愛せば……お前の美しさもさぞ際立とう」

 ぞわりとした産毛を押さえるように、統領が己の身体を抱いた。

 彼の緊張が、空気を振動して伝わってくるようだ。

 だが茶々は、

 「糞ね」

 一蹴するように笑い飛ばした。

 「…なに?」

 「やる事が三流なのよ。どうせあなた、その姿で人を斬ったんでしょう。斬られた人たちは、土蜘蛛にやられたと思い込んだ。露草が見たのは、その怨霊よ。あなたは、恨み辛みを全て土蜘蛛に被せた。その上で土蜘蛛を斬って上に立とうなんて、所詮下端の発想よ、下衆が」

 「茶々様」

 「こういう奴らに綺麗な言葉を使う必要なんてまったくないわ。この下衆、外道、屑、糞ったれ、三流悪党」

 つらつらと出て来る言葉の数々は、一体どこから浮かんでくるのか。

 子ども染みた悪態を述べる茶々に、統領はほとほと困ったような表情を浮かべた。あらかたの緊張が解けたのか、再び忠を見据える。

 茶々と統領の視線を真っ直ぐに受けながら、忠は、

「まあ、よい」

と、刀の鞘に手をかけた。

茶々は統領を後ろへ追いやるように、前へ出る。言葉遊びに飽いたらしい。実力行使と云う事だ。

 さて、どうするか。

 苦手な分野を前にしたように、茶々は苦笑いを浮かべる。

 それでも、身体は引かない。胸を張って、虚勢を張る。

「すでに準備は整った。土蜘蛛は今頃、薬師丸との戦闘でかなり疲弊しているはず……その隙を突かれるなどとは思いもしないであろう。お主を食えば――」

ゆうらりと、男が刀を抜いた。

茶々は固唾を呑む。

「狛も足止めしている。助けが来るなどとは、思わぬ方がよい」

「あなたこそ、わたしの式を甘くみない方が身の為よ」

忠が地を蹴った。

狛、と茶々は祈るような気持ちで目を瞑る。

その時、何かが茶々を押しのけた。

驚いた茶々が目を開くと、茶々を押しのけるようにして、統領が忠と対峙している。

「統領…!」

金がぶつかる音がした。

茶々の瞳に映ったのは、忠の刀を受け止めている統領の姿。彼の手には、小刀が握られている。

あ、と云う間の出来事だった。

統領が出て来た事に驚いたのか、彼が刀を受け止めた事に驚いたのか、忠に出来たほんの僅かな隙に、統領は勢いよく足をしならせると、忠のこめかみを蹴り飛ばした。

深紅の唐衣がなびく。

鞠のように床を跳ねた忠が、壁にぶつかる。ずるずると崩れ落ちるように倒れたのは、人ではなく、鼠であった。畳み一枚もある鼠が伸びている。

「どうやら、妖も人も急所は同じようですね」

 あっさりと云ったその声は、何故か聞き覚えのあるもので、茶々は耳を疑った。ポカンした茶々が見ているのは、統領の背中のはず。

 それが、統領が徐に後ろへ伸ばした手で留めていた髪をほどくと、驚くほど彼の姿と重なって見えた。そんな、馬鹿な、居るはずもない。

 「――神威…?」

 訊ねると、振り返った人が悪戯に笑う。

 「こう見えて俺は、歴代の影の中では一番を謳われた男でして、ね。上手いものでしょう。大抵の輩はボロを出す中で俺は斬られてみせましたから、優秀中の優秀です」

 先ほどまでどう見ても統領だった男は、そう見えたのが不思議なほど、神威そのものだった。口調も、仕草も、慣れ親しんだ男のものだ。

 鼠が土蜘蛛に化けた時より度肝を抜かれた。

 な、と、茶々は開いた口が塞がらない。

 「な、なななななな何で、あなたがとうりょ、統領…!?」

 言葉にならない茶々に、神威はまさかと肩をすくめて答える。

 確かに茶々は、彼と統領がすれ違う様を見た。赤霧と呼ぶのを聞いた。

 混乱で頭を抱える茶々に、神威は笑む。

 「屋敷を追い出されてすぐ、ここを訊ねたんですよ。俺なりに露草を張ろうと思ったのですが…そこで今晩、あなたがあの男に招待されていると聞きまして。 ……赤霧に頼んだんですよ。ちょっとの間だけ統領の姿を貸して貰えないか、とね。彼は今頃、別の部屋で呑んでいますよ」

 「つまり、そこで舞を踊ったのも…」

 「俺です」

 そんな馬鹿な事があってたまるか。

 茶々はふらりと眩暈を覚えた頭を抑えた。

 「負けた……」

 女的に。

 統領だと思っていたからこその天晴れが、一気に悔しさへ染まって行く。感動を返せ、と、茶々は奥歯を噛み締めた。

 一方神威は、余裕綽綽と微笑む。

 「まあ、下衆だの外道だの云うお姫様には勝ったかもしれませんね」

 「ぐぬ…!」

 腹立たしい事この上ない。

 こんな屈辱を味わうくらいなら、鼠と息を殺して睨みあっている方がまだ良かったわ、と、茶々が内心地団駄を踏んでいると、ふと、神威は浮かべていた笑顔を消した。

 「茶々様」

 「…なによ」

 突然真面目な顔になった神威を、茶々は睨みつける。

 謝ったくらいでは、許されない恥をかいてしまった。

 だが、神威の言葉は、茶々の予想に反する。

 「あなたを護りたいのは、目に見えぬ世界の者たちばかりではない事を、お忘れなき用」

 「……」

 「深くは聞かず、この姿を貸してくれた統領。俺をこの座敷へ連れて来てくれた露草。皆、あなたを想っての事です。狛の事、薬師丸の事、鬼灯の事を信じるのは大変すばらしい。 ………ですが、目に見えぬ者たちばかりではなく、目に見える者も、少しだけ信じてみてはいかがですか?」

 神威の言葉に、茶々は瞳を伏せる。

 そっと伸ばした手で、神威の着物に触れると、浮かんできた何かを堪えるように顔を俯かせて、小さく笑った。

 「馬鹿みたい」

 「茶々様」

 「こんな格好してまで、何で来るわけ? あんな危険な事をしてまで、何であたしなんかを護ろうとするの? あたしは、護って欲しいなんて頼んでない…!」

 「じゃあ、薬師丸や狛たちには、頼んだのですか?」

 「っ」

 「頼まれたから、頼んだから、護り護られるわけではないでしょう」

 逃げるように踵を返す茶々の手を神威が掴む。茶々は叩くようにして、その手を退けた。押し問答するように、双方の手が行き交う。

 「じゃああたしは云ったはずよ。あたしに関わらないで!」

 「あなたが泣いて云ったからと、鵜呑みにしてあげるほど、俺は人間が出来ていないんです」

 「じゃあ、何て云えばいいの! 何ていえば、あなたは…っ! あなたはあたしを過去にしてくれるの!?」

 「それは違う、茶々様、俺は…」

 神威が続けようとした言葉は、轟と云う鳴き声に遮られた。

 首を巡らせれば、格子窓の向こうに狛がいる。犬の姿をした彼は、小さな窓から覗き込むように目を動かすと、ぐるぅ、と低く唸った。

 『痴話喧嘩してる暇はないぜ、茶々』

 「狛!」

 「まさか土蜘蛛が討たれたのか…!?」

 駆け寄ろうとした二人を制した狛は、大きな爪で殴るように、格子窓を壊す。壁に、窓の形をしたままポッカリと穴が開いた。

 彼は、月夜を背に飛んでいる。

 美しい白い毛並みは、今日はところどころ赤く染まっていた。見れば、顔にもいくらか小さな傷がある。腹には大きな噛み傷。引っかき傷は無数にあった。見ているだけで痛々しい。

 しかし彼は気にも留めていないように、乗れ、と、唸った。

 『露草は、土蜘蛛の代わりに死ぬ気だ』

 茶々と神威が、動きを止める。

 茶々は冷え冷えとした空気を吐き出すように、ゆっくりと息を吐き出した。

 「なん…ですって?」

 聞き返された言葉をもう一度言う気は、狛にはない。

 『乗れ、茶々』

 月が、傾き始めた。


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