布教
翌朝トキは、目を覚ますといつも通り学校の支度をし、洗面台に向かった。
自分の顔を見ると、いつもとパーツが違うことに気づいた。どこかパズルのピースが一つ欠けているような、そんな違和感がある。だが、そのピースを探すには時間がかかりそうだった。学校に遅れることを心配したトキは、鏡を見るのをやめて朝食を取るためにリビングに向かった。
トキは野菜が嫌いだった。しかし、今日の食卓にはこれでもかというほどの野菜が並べられている。
「なんで野菜ばっかりなの」
トキが母親に不満を投げかけた。
母はその不満を受け止めても、こちらには何も言い返してこなかった。仕方なく野菜を口に運ぶ。どの野菜もシャキシャキと新鮮ではあったが、鼻にいつまでも残る独特な匂いと青々とした色が、トキの食欲を無くさせた。
すると、テレビのニュースで「AIが世界を変える」という特集が始まった。
最初はよくある胡散臭いビジネスの話だろうと思った。だが、画面に映し出された解説者の顔を見て、トキは息を呑んだ。テレビに出てきたのは、幼馴染であるメイの父親、増田幸一だったのだ。
増田はそのニュースの中で、やたらと「平等」という言葉を繰り返していた。
AIに全ての判断を委ねることで、人間の性格も地位も、全てを平等にしようという計画らしい。
それを聞いた瞬間、トキの胸が高鳴り、鳥肌が止まらなくなった。
自分が何も考えず、ただ流されるだけで動ける世界。それはなんて楽なのだろう、と思ったのだ。ニュースを見終えたトキは、弾むような足取りで、学校へとスキップしながら向かった。
しかし、学校に着くと現実は違っていた。教室では、今朝のニュースを見た人間たちが多数派を占めていた。
「あんな計画、絶対おかしいよ」
「あんなものに喜んでいる人、本当にいるのかな」
周囲からは否定的な意見ばかりが飛び交っている。
それらを耳にするたび、トキは冷や汗が流れるのを感じた。自分は普通ではないのだろうか。みんなが嫌がるものを素晴らしいと思ってしまう、異常者なのだろうか。
教室という閉鎖的な空間の中で、トキに出来ることは、ただ静かに息を潜めることだけだった。
学校が終わると、本当はすぐにでも自宅というシェルターに帰りたかった。だが、トキはどうしても確かめたいことがあり、メイの元へ向かった。
「ねえ、メイ。メイのお父さんに、会わせてもらうことはできないかな」
突然の相談だったが、メイは「もちろんいいよ」と快く受け入れてくれた。
メイの自宅に着くと、そこにはテレビの画面の向こうにいたはずの増田が待っていた。映像で見るよりも遥かに背が高く、温和そうな雰囲気をまとった男だった。
「朝のニュースを見ました。あの計画に、とても興味があります」
トキは胸の昂りを隠せないまま、一気に想いをぶつけた。
「それは嬉しいよ。正直、世間からは胡散臭いとか思われてないか、心配していたんだ」
増田は優しく笑った。トキは心の底で「最初は自分も胡散臭いと思った」ことを思い出し、少しギクっとしたが、それが顔に出ないように慌てて別のことを考えて誤魔化し、笑顔を作った。
「……だったら、トキ君。うちの会員にならないかい?」
増田が穏やかな声で提案してきた。
突然の誘いに少し身構え、迷いが生じたが、トキは自分の直感を信じてそれを受け入れることにした。
「ありがとうございます。嬉しいです」
トキが答えると、増田は「ありがとう、嬉しいよ」と言った。しかし、その喜びの表情の裏で、彼の目が全く笑っていないような、奇妙な違和感が胸をかすめる。
「会員の仕事だけど、基本的には『布教』だよ」
増田は、やはり笑顔のない顔でそう告げてきた。
布教――。
これは、宗教なのか。
トキは内心で激しく驚いていた。だが、自分が何も考えずに生きられる理想の世界が手に入るのなら、そのくらいの対価は安いくらいだと思い直し、そのまま受け入れた。
トキはまだ気づいていない。自分が今、どれほど危ない橋を渡り始めているのかを。




