第十話「回復活性魔導」
リコーら4人は、街道のはずれに取り残された薄暗い廃屋に身を寄せていた。崩れかけた壁が冷たい夜風を遮るだけの、荒れ果てた空間だ。
「いきなり露骨に攻めてきた感は否めないけどさ。それを言うと、問答無用で斬りかかったスオス殿とどっちが物騒か、なんて話にもなるかな……?」
ムロヤは床の裂け目に視線を落としたまま、膝を抱えるように両腕を組み、不服そうに唇を尖らせた。
対してスオスは、ピクリと片眉を跳ね上げると、細めた双眸をムロヤへと鋭く向けた。
「あの男との問答なんて、最初から時間の無駄だろ。結果的に敵だったわけだし、何の問題もないね。……それにしても、国境でも、途中の村でも見逃されたのか、単に情報の伝達に遅れがあったのか……あるいは、わざわざあの場所を選んで襲うことに意味があったのか。いずれにせよ、聖国はリコーを裁判にかける手間すら惜しんで、早々に殺したいらしいね」
スオスは自身のこめかみを人差し指で軽く叩き、低く鼻を鳴らした。
その傍らで、リコーは音を立てる壊れかけの椅子に浅く腰かけ、椅子の肘掛けに肘をつき、組んだ指先に顎を乗せた。
「あの、マティスと名乗った男についてですが。ムロヤはどう見ました?」
リコーに水を向けられたムロヤは生唾を飲み込み、自身の両掌をひっくり返してじっと凝視した。
「……魔導具の『起こり』は、かろうじて感知できた。つまり、やつが何らかの魔導具を用いていることは間違いない。確定だ。……だが……っ」
ムロヤは歯噛みしながら頭を激しく横に振り、自分の髪を両手でかきむしる。自分の中であふれ返る矛盾した恐怖と疑問を、うまく言葉の形に整理できずにいた。
言い淀むムロヤから視線を外し、リコーは不敵に笑うと、首を傾げた。
「――では、スオス殿はどう見ました?」
スオスは組み上げた両腕を胸の前で固く縮め、廃屋の煤けた壁に背中をあずけたまま、冷めきった瞳で屋根の隙間から覗く月影を見つめていた。
「どう見たもこう見たもない。……ただただ意味不明で不気味な幽霊でも見た気分だ」
吐き捨てるように言いながら、スオスは右手を強く握り締め、掌の皮膚の感覚を叩き起こすように指をゴキゴキと数度折ってみせた。
「最初の物理打撃……『質量の塊』とでも呼んだらいいのかな。あれはまだいい。硬くて見えない塊が飛んでくるだけだ。いくら威力が上がろうと、俺の身体能力と勘があれば、最悪でも直撃は避けられる」
スオスは眉間を深く寄せ、痛む額の傷口を乱暴に手甲でなぞった。
「……だが、あとのやつだ。お前を吹き飛ばした『謎』の攻撃。あれは物理的な軌跡も、魔力の発光も、一切の予兆がなかった。間合いを詰められた気配もない。お前の身体の『内側』で直接爆発?したみたいに見えた。俺が知っているどんな魔導の感覚とも違う。俺も何度もくらったが…あれは……攻撃という概念そのものを直接叩きつけているような、そんな感覚だ」
「なるほど。スオス殿の野性的な直感でも、正体を暴くには至らず、ですか」
リコーは椅子の背にもたれ、小さく揺らした。手の中で魔力結晶を転がす指を止め、楽しげに目を細めてみせた。
「ムロヤ。あなたが言葉を詰まらせている理由もそこにありますね? 『起こり』は感知できたのに、発動した現象の理屈が、現代魔導学の理論で説明できない」
「……ああ」
ムロヤは自身の両掌を正面からじっと見つめたまま、苦々しく顔を歪めて深く息を吐き出した。
「魔導具ってのは、魔力結晶に刻まれた『式』に従って魔力を現象へと変換するシステムだ。だから、どんなに複雑な魔導具でも、魔力が流れて式が起動するプロセス――『準備段階』が必ず存在する。」
ムロヤは自身のこめかみを強く押し込み、脳髄に思考を強制した。
「だけど……その後の現象!頭がおかしくなりそうだ! 不可視の『質量の塊』だって、はっきり言って解明不能もいいところだ!ましてや『直接攻撃』……?!距離や障害物を完全に無視して対象を穿つなんて、魔導というか、物理現象の基本原則を根底から否定してる。あんなの、魔導具じゃなくて『奇跡』か何かだろ……!」
「おっとムロヤ。それ以上はいけません。奇跡などという曖昧なもので思考停止しては」
リコーは口の端をニヤリと吊り上げ、怪しげな光を瞳に宿して二人を見回した。
「あれは、間違いなく魔導具、あるいは人造アーティファクトです。――聖国が秘密裏に研究開発し、実用化に至らしめた、神の遺物に匹敵する空前絶後の魔導具です。その事実自体は、大変恐ろしい。しかし、ムロヤ。あなたはそれを、一瞬とはいえ、打ち破ったではありませんか」
リコーは皮手袋に包まれた細い人差し指を立て、マティスが去り際に浮かべた歪な表情を思い返すように首を傾げた。
「マティスは魔導具を同時に扱っていた。おそらく、『複合』に近い形で。しかし、マティスが攻撃しようとしたその刹那、スオス殿が肉薄し、自動的な防御殻へと、おそらく強制的に切り替わったあの隙間の時間。あなたの放った弾丸が届いた。……つまり、あのレベルの超技術であっても、いや、あのレベルだからこそ『攻撃』と『防御』を完全に同時並行で発動することはできない。それが、聖国の技術的限界であり、私たちの勝機ということです」
「……勝機、ね」
スオスは鼻で笑うと、組んでいた腕をゆっくりと解き、腰の剣の柄に手甲を載せた。
「で? その勝機とやらを拾うために、俺たちはあの化け物が手ぐすね引いて待ってる白都へ、予定通り突っ込むってわけだ」
「もちろんです」
リコーは平然と言い放ち、滑らかに椅子から立ち上がると、足元に置いてあった旅の荷物を軽く肩へとかけた。
「敵の『切り札』の性能と弱点が一つ割れただけでも、大収穫じゃないですか。それに……私が探している『魔導の効かない戦士』も、おそらくあの不気味な白都の最奥にいる。引き返す理由なんて、最初からどこにもありませんよ」
そう語るリコーの瞳には、死線をくぐり抜けたばかりとは思えない、底知れぬ好奇心と野望の火が揺らめいていた。
「あのー……」
カーラーはまるで申し訳なさそうに、わずかに震える手を数センチだけ挙げて声を細らせた。
「……あのマティスとかいう人、わたしのことすごく鋭い目で見ていたような気がするんですが……気のせい、でしょうか……?」
「カーラーちゃんを……?」
スオスは怪訝そうに眉をひそめ、腕を組んだままわずかに首を傾げた。
「……リコー。たしか聖国ってところは……」
ムロヤが言いかけた言葉を続けるように、リコーが手を叩く。
「ええ。回復活性魔導の聖地です。ただでさえ希少な魔導士の中でも、最も代えがたい適性である『回復活性』。聖国は、その数少ない使い手を他国からあの手この手で積極的に囲い込んでいることで有名です」
リコーはさながらどこかの学術都市の講義でもするかのように、指先を空中で回しながら語ってみせる。
「名目は、多くの回復魔導士を育ててきたことにより培われた、専門知識に基づいた適切な指導と、異端の搾取からの保護――ですね。しかし、貴重な回復魔導士を自国に独占しようとするその姿勢を非難する声の方が、諸国では圧倒的に大きいでしょう。何せ、国家の命運を握る王族たちの『決定的な切り札』になりますからねえ、回復魔導の使い手は」
リコーはスオスを一瞥し、それから青い顔で気圧されているカーラーをじっと見据えた。
「そういう意味では、聖国ではない王国に、スオス殿と、カーラー殿という素晴らしい回復活性魔導の使い手がいることは、聖国にとっては非常に面白くない状況なのでしょうね」
「え? スオス殿もか? いや、リコーそれはおかしいだろ。だってさっきの戦いではスオス殿は……」
ムロヤが怪訝そうにスオスを振り返ったが、スオスはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「……まあ、いまさらか。たしかに、俺は回復活性魔導が使える……けど、よく知ってたな。……もう、隠す意味がないから言っとくけど、俺の回復魔導じゃ自分のケガは治せない。理由は…王国で聞かされたような気がするけど忘れた。カーラーちゃんと一緒に旅することになった理由の一つが、それだ。っていうか、もし俺が自分で自分を回復できたら、カーラーちゃんを連れずに一人で旅をするに決まってるだろ。……今はもちろん、カーラーちゃんを旅の道連れにしてよかったと思ってるけど」
「な、なるほど……?」
ムロヤが納得したような、していないような顔で首を傾げる。リコーはクスクスと笑い、再びカーラーへと体を向けた。
「話を元に戻しましょう。マティスは、カーラー殿の回復活性魔導を見て、それからカーラー殿に興味を示したのですか? それとも、最初から?」
リコーの射るような冷徹な視線がカーラーを捉えた。そのあまりの温度のない目に、カーラーは小動物のようにびくりと肩を震わせ、両手で自分の肩をぎゅっと抱きしめた。
「た、たぶん……リコー殿を私が回復させた、あと……からだったと……思います。じ、自信はありませんが……っ」
カーラーは怯えたように目を泳がせ、視線を足元の床へと落とした。
「ふむ……」
リコーはカーラーからスッと視線を外し、顎に手を当てたまま、深く思索の海へと沈んでいった。




