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最終話「三人」

ちょっとだけ長いです。

リン平原。そこは両国を繋ぐ広大な大動脈である。

一つは、帝国へ。

そしてもう一つは、王国へ。


リン平原の、王国の入り口たるヤーカークーンの低地。今まさにおびただしい数の鋼と熱気によって、地平の彼方まで埋め尽くされていた。

大軍勢。その無数の矛先が向くのは、平原の向こう側にそびえる帝国の防衛線――コールウォー砦。あるいは、そのさらに奥深くに位置する帝国の心臓か。


肌を刺すような冷気の中、全軍の先頭に立つ男が、腹の底から響く怒声のような大音声(だいおんじょう)を張り上げた。


「見よ、このヤーカークーンを埋め尽くす我が精鋭、我が同胞たちよ! 私は今、感無量である。実に、感無量であるのだ!」


中央軍総大将、ザンリード。

彼の口から放たれるのは、古き時代の英雄を彷彿とさせる、堅苦しくも異常なまでの熱を帯びた演説であった。


「諸兵、聞けッ! 永きにわたり、我ら誇り高き王国は、あの悪逆無道なる帝国の専横に耐え、辛酸を嘗め続けてきた! 忘るるな、八年前の大飢饉を! あやつらは己が飢えを満たすため、平原の境界を侵し、我が祖国の優しき大地を踏みにじったのだ!  一時は我が軍も苦境に立たされた。然れど、我らには智慧と、不屈の闘志があった!  我らが誇る参謀長、リークライトの手腕により、侵略者どもを広大なるリン平原の真ん中――帝国の牙城たるコールウォー砦の手前まで、文字通り叩き伏せ、押し返したのだ!! そして此の刻、屈辱の歴史はついに完全なる終焉を迎える! 諸君らと共に、悪の枢軸たる帝国をあの砦ごと討ち果たし、我が祖国の悲願を成就せしめる。この無上の誉れ、至高の栄誉が、私の魂を貫き、血潮を沸き立たせ、無限の勇気と力を呼び覚ましているのだ! 勝利の旗印は、既に我らの手にある! いざ征かん、諸兵!  忌まわしき帝国の砦に、我ら正義の鉄槌を下す時ぞ!!」


地鳴りのような応酬が、幾万の兵の喉から炸裂し、ヤーカークーンの低地を激しく揺るがした。天を突く無数の槍。そして何より、今回の戦において王国が用意した「切り札」が、重々しい車輪の音を立てて前線へと引き出されていく。

新兵器、大砲。

黒光りする無骨な鉄の筒は、火薬の力で巨大な鉄球を撃ち出し、城壁すらも粉砕する悪魔の器であった。一門、また一門と地平に並ぶその数、実に十門。勇者の単騎特攻に頼るまでもなく、コールウォー砦を物理的に消し飛ばし、平原を更地にするために用意された、一切の言い逃れができない圧倒的な暴力の結晶。


王国の準備は、ここにすべて完了した。

大軍勢を率いるのは、三人の猛将。

己の凡庸を知り、真摯に人を愛し、それゆえに天才たちから絶対の信頼を寄せられる『不抜の堅石』『看破の鷹眼』、中央軍総大将・ザンリード。

王国の武芸『アルテ』のすべてを体得した天才にして、右翼を担う『万象無双』『神速の白蓮』、右軍将軍・コスカ。

千の雷と万の礫を操り味方からも恐れられる、左翼を担う『万雷万礫』『焦土の魔軍』、左軍将軍・アラカイ。


「ーー全軍、進発ッ!!」


ザンリードが引き抜いた指揮剣が、陽光を反射して鋭く閃く。その号令が平原に轟くや否や、十門の大砲が重々しいきしみを上げ、万の軍靴が狂おしく大地を蹴った。王国が誇るその絶対の正義は、絶望的な地響きを立てて、魔導士リコーが待ち受ける盤面へと進軍を開始した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ヤーカークーンの低地を揺るがすような、狂信的で熱烈な進軍の足音。

それらの一切が届かない、王都から遠く離れた長閑な丘の上で、その少年は寝転がっていた。


「いい天気だなー」


抜けるような青空を見上げながら、王国の最高戦力たる「勇者」――スオスは、欠伸交じりにそう呟いた。

その声には、祖国が今まさに国家の存亡を賭けた大戦を始めようとしている緊張感など、微塵も含まれていない。ただ純粋に、陽だまりの暖かさを楽しむだけの無邪気な響きだった。


彼の背後で、遠慮がちに足音が止まる。

治癒士の少女、カーラーであった。彼女は硬い表情のまま、躊躇いがちに口を開いた。


「お、王国は大軍勢を、砦に向けて出発させたそうですよ……」


百門の大砲。地平を埋め尽くす精鋭たち。

王国が総力を挙げたその事実に、カーラーの声は微かに震えていた。しかし、報告を受けたスオスの反応は、ひどく淡白なものだった。


「……そっか」


草をいじりながら、スオスはそれだけを返した。

風が吹き抜け、二人の間に沈黙が降りる。スオスの横顔はあまりにも平穏で、単騎で砦の城壁を粉砕した化け物と同じ生き物とは、到底思えなかった。


「スオス殿」

「んー?」


たまらず声をかけたカーラーに、スオスはのんびりとした声で振り返る。


「……どうもしないのですか」


味方が大軍を動かしている。かつて自分自身が落としそこねた、因縁の砦へ向かって。それなのに、この少年はただ空を眺めているだけなのだ。

カーラーの問いに対し、スオスは不思議そうな顔をして小首を傾げた。


「どうもしないねー。そもそも僕は、もともと『どうでもいい、なんでもいい』の人だしね」


からっぽの言葉。

祖国への忠誠も、戦いへの情熱も、彼の中には最初から存在しない。ただ「圧倒的な暴力」という機能だけがそこにポンと置かれているような、空しいほどの虚無。


「……」

カーラーは言葉を失い、ただ息を呑んだ。


「でもまあ」


不意に、スオスがゆっくりと身を起こした。

先程までの気の抜けた雰囲気が、ほんの一瞬だけ、薄氷のように冷たく張り詰める。


「命令があったら……行くかなー、帝国」


スオスは膝を抱え、遠く、コールウォー砦があるであろう北の空へと視線を向けた。

その口元に、無邪気で、残酷で、ひどく楽しそうな笑みが浮かび上がる。


「リコー、殺したいしね」


それは、大義名分でも国家の命令でもなく、彼自身から発露した数少ない個人的な感情。

かつて自分に向けられた忌まわしき毒と、盤面をかき乱す見えざる手。その中心にいるであろう魔導士の存在を、勇者という名の理不尽な獣は、決して忘れてはいなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


深夜の兵舎。策謀の残り香を求めて工作員の私室。リコーは魔導ランプの光を頼りに、王国の通信魔道具ー小型の術式盤ーを弄っていた。


「……リコー。本気で王国を欺けると思っているのか?」

胃の辺りを押さえながら、ムロヤが顔をしかめる。

「相手は、間違いなく王国の俊英だ。通信の癖、暗号の鍵、魔力の波長。少しでも不自然な点があれば、偽情報だと即座に見破られるぞ」


「ええ、その通りです。この手の道具は『本人確認』を『正確な手順』で行う必要があり、それを私は知りません」

「…だめじゃねえか」

リコーは黒手袋の指先で、術式盤のダイヤルを滑らかに回していく。


「でも、一回だけ使える手があります。そのような確認や手順を飛ばして通信しても、全く不自然ではない、たった一回しか使えない方法が。彼らの『利口な頭脳』でも無条件に信じてしまう、信じてしまいたくなるもの……」


「それは、『死の直前に遺した絶筆』です」


リコーは用意していた箱から、ツボのようなものを取り出し、布をとった。工作員の、首であった。


「なっ!?」


「首に魔力を流すと、一瞬だけ()()()()()()()()()()が出現するんですよ。覚えておいてください」

リコーが工作員の首と、術式盤に同時に魔力を流し込むと、カタカタと音を立てて暗号文が生成され、王国の参謀本部へと不可視の電波となって飛んでいく。


「何を送った……? まさか、嘘の迎撃態勢でも送ったのか?」


「いいえ。私が送ったのは、王国の考えうる、もっとも厄介な手札を、彼ら自身の手で捨てさせるための猛毒です」

リコーは三日月のような笑みを浮かべ、送ったばかりの偽装報告書の内容を歌うように語り始めた。


【特級工作員より最終報告】

本官は帝国特務に露見し、致命傷を負った。本電が最終通信となる。奴らが隠蔽する『勇者無力化兵器』の真実、および敵の罠情報を緊急打電する。

一、勇者制圧は毒物に非ず。コールウォー砦の地下に眠る『魔力脈の暴走』による地形破壊に起因する。勇者が放った城壁破壊の衝撃が地下脈を誘発。その莫大な魔力逆流により無力化された。

一、敵は現在、我が軍を砦周辺に誘引し、地下脈の連鎖爆発によって一網打尽とする『自爆の罠』を展開中。

一、起爆条件は、地上からの『一定規模以上の物理的・魔導的衝撃』。敵の作戦書を傍受した。大規模な攻城兵器、および一斉魔導爆撃の振動が大地を揺るがした瞬間、我々の足元で地形破壊が連鎖起爆する。

一、警告。砦への最大火力の投入は自滅を意味する。使用兵器の規模・選定には細心の注意を求められたし。――祖国に栄光あれ。


「…………正直、たった一回しか使えない手札で送る内容なのかどうか、わからん」


内容を聞き終えたムロヤは、リコーを見つめた。


「王国は、強力な攻城兵器か、大規模な魔導爆撃を用意するしか、どのみち道はありません」

リコーは、自らの推論を淡々と語る。

「この報告を受けた王国はどうするでしょうねぇ。王国は帝国と違い、兵の質量で戦線を押し潰そうとしますから。密集陣形にとって、足元がまるごと吹き飛ぶかもしれない恐怖は、さぞ耐え難いものでしょう。結果、彼らは用意したどんな強力な兵器だろうと、使うことを躊躇わざるを得なくなる」


リコーは知らない。王国が「大砲」という新兵器を用意していることなど、欠片も知らない。

しかし、リコーが仕掛けたこの「平原に激しい衝撃を与えてはならない」という広範な縛りは、王国が帝国の城壁を粉砕するために用意した最高峰の物理兵器『大砲』の存在を、戦う前から封殺してしまう可能性のある一手であった。


「さて、毒は注入されました」

リコーは楽しげに肩を竦めた。


「対するこちらは、莫大な資材と増援によって修復され、かつてないほど強固に生まれ変わったコールウォー砦。指揮を執るのは、迷いを捨てて『帝国の盾』として死ぬまで抗うことを決めた、バーナード指揮官。もちろん、もう少し、手心は加えますが…」


リコーは立ち上がり、窓の外――月明かりに照らされたリン平原を、愛おしそうに見下ろした。


「ああ、早く見たいものです。歩兵は突撃の末、血の海を這い進むのでしょうか。魔導の餌食になり、体がちぎれて風に舞うでしょうか…一体どれほどの凄惨な死体畑を、この目にできるのでしょうか!」


リコーの計略はとりあえず完遂された。

彼は大砲の存在を知らずして、情報操作で王国の脳髄に楔を打ち込んだ。暗い部屋の中、魔導士リコーの狂おしい笑い声だけが、夜の闇に深く溶けていった。


第二幕 完

とりあえず、ここまでにしておきます。続きは早くても来週です。

ここまで読んでいただき、感謝します。

良ければ感想や評価、批判、質問。なんでもどうぞ。

2026/8/31 大砲の数を修正。

2026/9/1 修正漏れを修正。

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