札幌真南高等学校 2/5 佐々木洋介の家
その日の夜。
佐々木洋介は玄関を開けて家に入るとすぐ、両親の話し声が耳に入ってきた。普段は静かなリビングから、今夜は異様な雰囲気が漂っていた。母の声は怒りに震え、父の声も険しくなっている。両親がこんなにも感情を剥き出しにして意見をぶつけ合うことは、ほとんどなかった。
「あの法案が発表されてからというもの、世の中がどれだけ危険になるか分からないっていうのに、なぜ会社は警備を要求してくるの?そんな命がけの仕事を、強制するなんて…!」母は震える声で父に詰め寄っていた。
父親が務める警備会社から、配属先の映像制作会社の本店・東京に強制招集が発せられたのだ。
「分かっているさ。でも、パージ後の生活の為にも断るなんて出来ないだろ。断ればその後の仕事は保証されない様なものさ。分かってくれよ…!」父もまた、苦渋の表情で訴えた。
母は目を伏せ、唇をかみしめていた。その視線が洋介に気づいた瞬間、口を閉ざし、父もまた洋介の視線に気づくと、黙り込んだ。両親は、どうしても聞かせたくなかった葛藤を、息子の前にさらしてしまったことに、気まずさを感じているようだった。
「私だって病院から医者看護婦は総出であたれと言われているのよ!私だって家庭の為には断るのは難しいのよ!そうしたら洋介はどうするの!あなただって連れて行くなんて出来ないでしょう!」
どうやら両親はパージの夜に半強制的な仕事を課せられており、事の原因は自分にあるようだ。
洋介は少し躊躇しながら、二人の前に進み出て言った。
「安心して。教育機関は国が特別に警備をしてくれるんだ。親が家を空けざるを得ない家庭もあるだろうと、生徒だけの避難所として開放するらしい。追って学校から正式な連絡があるって、先生たちが話してたよ」
一瞬、時間が止まったかのような静けさが訪れた。
両親は目を見合わせ、信じられない思いとともに、それが本当であることを願うかのような表情を浮かべた。特に母は、安堵と不安が入り交じった顔をしていた。
父が少し声を絞り出すようにして言った。「だが…でも。…洋介はどうしたいんだ?」
洋介は静かにうなずき、微笑んだ。
「そりゃ二人と一緒にいたいけど、仕事じゃどうしようもないだろ?何が起きるか分からない無秩序な夜になるんだったら人が集まって少しでも生存率が高まりそうな安全な場所にいる方がいい。それよりも、二人の方が心配だよ。危険な日に働かなきゃいけないなんて…」
その言葉に、母は目に涙を浮かべ、父もまた感慨深げに息をついた。二人はお互いに目を合わせ、小さな家族としての絆を確かめるようにしばらく見つめ合っていた。洋介はそんな両親の姿を見て、胸が少し痛んだが、それを見せないように視線をそらした。
母は涙を拭きながら、洋介の肩に手を置き、微笑んで言った。「洋介、ありがとう。あなたが自分からそう言ってくれるなんて…。お母さん、安心したわ。本当に強い子に育ってくれて…」
父もまた、微笑んで頭を軽く下げるようにして言った。「ありがとう、洋介。お前がそうやって家族を気遣ってくれるなんて、親としてこんなに誇らしいことはないよ」
洋介はその言葉に対しても、ただ静かに微笑んだ。家族の愛情が溢れるその場面は、確かに温かいものであった。だが、彼の心の中には別の思惑が潜んでいた。両親に安心してもらうために語った言葉は、すべて嘘だったのだ。
本当は、教育機関が国から特別な警備を受けるなんて話はない。帰宅途中にSNS上で繰り広げられた論争の中の一句だ。避難所として生徒だけの場所が設けられるという話も、どこにも聞いたことはなかった。だが、両親の前で嘘をつくことによって、彼は一人で自由に動ける時間を手に入れた。
そして、その嘘を使って得た「自由な時間」は、彼がある計画を実行する為のものだった。
洋介の胸には、密かに燃え上がる計画への情熱と、家族の前で嘘をついたことへのわずかな罪悪感が同居していた。だがその罪悪感さえ、彼が遂行しようとしている「目的」の前では些細なものだった。
両親は自分の安全を確信し、愛情を胸にそれぞれの職場へ向かうだろう。そしてその瞬間から、洋介はただの高校生ではなく、何かを求める「別の存在」として行動を開始することになるのだ。
リビングの空気が少し落ち着いたところで、洋介は両親に微笑みかけ、優しく言った。
「ありがとう、お父さん、お母さん。俺は大丈夫だから、二人も気をつけてね」
その言葉を受け、両親は再び感極まりながら、息子の存在を愛おしく感じ強く抱きしめ合った。家族としての絆がこの危機の中で強まったようにさえ思えた。洋介の微笑みは優しく、確かに愛情を示していたが、その心の奥底には冷徹な計算が潜んでいることに、彼らは気づかなかった。
やがて夜が更け、札幌の街にも静かな闇が訪れた。
彼の中で鼓動を強める「計画」に対する期待感と、自由を手に入れた夜への興奮が、少しずつ抑えられなくなっていくのを、洋介は感じていた。




