魔界の車窓から・4
列車に揺られること数時間。
すっかり居眠りしてしまった私だが、
「うわあ牛!」
「……」
肩を借りてよっかかっていたはずの隣の男が凶悪かつここでは窮屈そうな牛ヅラになっているのを見て、一瞬で眠気が吹っ飛んだ。
「ごめんごめん、びっくりしたんだって」
ジークはやや不機嫌になりながら、ピアスに魔力を込めて、もとの人間に近い姿へと戻っていった。あ、違う。だから、あっちが本体か。
列車なのに何故か途中、山を登ったり海の底を走ったりと忙しかったお陰で、もうだいぶ疲れた気がする……。
「あれ?ジークが牛に戻ったってことは……もう着いた?」
「ああ。降りるぞ」
そんな実感は全然ないまま、いつの間にか、私たちは魔界へ入り込んで来たらしい。ジークの姿が変わるってことは、周囲の魔法の環境が変わったってことだものね。
私はジークにしがみつきながら、恐る恐る周囲を見渡す。真っ黒な車内から、私たちと同じように降りていく人々は――
「に、人間じゃない……!」
「魔族だしな」
獣人でもないのに頭だけマジ羊のスーツ男とか、腕が六本生えてる蜘蛛みたいなドレス姿の女の人とか、スプライト族よりも背の低い人とかが、ふっつーに歩いている。人間界のひとびとがどれだけ一貫性を持った見目をしているか思い知らされた。
「……魔族は恐ろしいか?」
「うーん……ビックリはしたけど……喋ったらどうせみんな、ジークやヒルダさんみたいな感じでしょ?」
確かに何も知らずにこの人たちの姿を目にしたら、ジークが危惧するように、恐怖するかもしれない。けど現に私は、そうじゃないって知っている。無理解や未知が恐怖たりえるのだとしたら、今の私には何ら関係のない話だ。
「ちょっとヘンな人くらいなら別に平気かな」
「サラッと失礼だな」
ツッコミがちょっと私に似てきているジークであった。でもその横顔はどこか、安心したようだった。やっぱり故郷の雰囲気は落ち着くのかな。
――でかっ。
ジークが“門”と呼ぶ魔界の入口。
コキュートスから異次元へ繋ぐ魔列車が帰ってきた場所を見て、私の開口一番はそれだった。
てっきり駅のような所に着くのかと思っていたら全然違う。タラップを踏んで外に出た瞬間、お城か神殿の中みたいな、広い建物のなかに居たのだ。
カウンターがずらりと並んだ受付では、先ほどの異形頭のひとびとが何やら手続きを済ませては、回転式の硝子扉を通って更に外へ抜けていく。まるで銀行か病院だわ。ジークもここは関所みたいなものだと言ってたし、いわゆるお役所なのかしら。そんな……何か魔法とかでどうにかしてるのかと思ったけど。案外アナログな手法で行き来してるのね……。
天井はアーチ状になっていて、窓の外には、いつかジークが言っていたような黄色い空が垣間見える。
私はジークに連れられて、カウンターへ続く列に並んだ。
窓口では緑色の肌をした四ツ目の女性が、丁寧に対応してくれた。
「おや。ハーゲンティさんとこの息子さんじゃないか」
「どうも。帰ってきました」
「はーい。おかえりなさーい」
ジークが何やら書類を提出すると、女性がそれに手早く判を押した。と、何かに気付いたのか、改めて書類を見直して、さらに私と見比べた。
「あら……ここにある“客人”って、人間?」
「問題ない筈ですよね」
「確かに招くだけならいいけど。ふうん。しかもアンリミテッド」
びくっ。女性の吟味するような視線に耐えかねて、私はジークの背中に隠れてみる。
どうしてこうも人外の方々は、色眼鏡で私を見て来るのか。怖いよー。
「取って食われないように、しっかり守ってあげるのよ」
そう不敵に笑って、私たちを扉へ向かうよう促した。
「わ、私、こっち居たら食べられるの……?」
「……俺から絶対に離れないように」
「否定してよーっ!!」
深く考えてなかったけどとんでもない所へ来てしまったのでは。そういえばジークも一番最初に会ったときは私のこと食うとか何とか言ってたじゃん!!
“門”を出て、ようやく本当の魔界に降り立った。
窓の外に見えていた黄色い空、異形のひとびと、妙に整備された人工的な道路では、見たこともないゴツい車が行き交っている。黒くてでっかい構造物が立ち並んでいる姿はまさに巨人の群れに囲まれているようだ。
私たちが暮らす人間界――少なくともアトリウム王国よりは格段に文明が進んでいる印象だ。本や雑誌で見る未来的な西部の国々の景色とはまた違い、どこか不気味で、それでいてチープな雰囲気は、ところどころに覗く意匠の過剰さのせいだろうか。蝙蝠の形した街灯とか。怖すぎてギャグかと思った。悪夢とまでは言わないけど――うーん。お祭りの日みたいな、やりすぎ感?まさに別世界に来てしまった。にわかにワクワクしてきた。
そして何だか肌寒い。肺に入って来る風の冷たさが違う。――その割りには。
「なんか身体が軽い気がする……」
体調がいつもより良く感じた。血が正しく巡っていて、呼吸も脈も落ち着いているのが、冴え冴えと認識できる。
“私は今とても正常だ”、あるいは“物凄く調子がいい”と直感できるのだ。普段の体調が七、八十%くらいだとしたら今が百%くらい。
「ああ、それは――お前がアンリミテッドだからだろう」
「え?」
「恐らく、お前はその魔力の高さゆえに、人間界だと常に軽い魔素酔いの状態にある。対して、人間界よりも魔素の濃い魔界では、自分の身体と外側の魔素の高低差を感じずに済んでるんだ。本来の力が出せてるってとこだな」
「はっ……初耳なんですけど!?」
「知らなかったのか」
「私がポンコツなのもそのせい!?」
「まあ……少なくとも、魔界では暴走しにくいだろうな」
開いた口が塞がらない。私の楽園、魔界だった。なるほど、それだけ環境が違うならジークが人間界で不便を起こしたり熱出してぶっ倒れるのも納得だわ。
「てかそれ、私、帰ったときやばくない?」
「看病は任せろ」
マヌシャ熱は魔族や天界人特有のものだってカミロは言ってたけど、私も似たようなものに罹るかもしれないな。覚悟はしておこう……。
「ジークの家は、ここからどうやって行くの?」
「本来ならここから更に列車を乗り継ぐんだが……今日は親父が迎えに来るらしい」
「お、お父さまがいらっしゃるんで!?」
思わず、それまでしがみついていたジークの腕から離れてしまう。
やばい。何も心の準備ができてない。とりあえず前髪……!
「おーいジークウェザー!こっちこっちー!」
焦り始めたのも束の間。噂をすれば影が差す。やけに陽気な男性の声に、私たちは振り返った。
「ジーク~!!」
鳥のように鼻先の尖った仮面を着けた紳士が、腕をぶんぶん振ってこちらに向かってきていた。長い銀髪と髭を靡かせ、濃紺のスーツを纏った痩躯は、どこかの貴族のように見える。
……何あれ怖い。
「……」
「親父だ」
「えっ」
私が警戒心で絶句していると、ジークが苦々しそうに告げた。
「おかえりジークウェザー!」
仮面の紳士は息を切らせて私たちの前までやって来ると、まずはジークの肩をばしばし叩き始めた。
「いや~驚いた、こんなに早く帰ってくるなんて!」
「やめろっ、何でそんなテンション高いんだよ!」
あ。珍しくジークが本気で嫌がってる。
ジークのお父さん……というかご家族のかたって。もっと想像だとみんなでっかくて顔が怖くて、私なんて初対面で「人間の小娘が我が息子に相応しいとでも??」みたいに威圧されるものかと。ジーク以外はみなさん気さくそうでちょっと安心。
「こちらが例のお嬢さん?」
「ああ……」
「僕はヴィリハルト。ジークウェザーの父です。息子から話は聞いてるよ、よろしくね」
仮面越しの微笑みに、私は急造の勇気を振り絞って応える。
「ザ、ザラ・コペルニクスです。あっ、あの、ジーク……ウェザー……くん?さん?とは、仲良くさせていただいていて……あの、三日間お世話になりますっ、よろしくお願いしますっ」
深く頭を下げて、恐る恐る、ヴィリハルトさんの反応を窺う。
ヴィリハルトさんは、表情こそ見えないけど、少なくとも私を拒絶する素振りはなかった。
「ジークウェザーが人間の女の子を連れて来るなんて言うから、全然想像が出来なくて心配だったけど、良かった。こんなに可愛らしくて礼儀正しいお嬢さん、ジークウェザーには勿体ないくらいじゃないかい?」
それどころかそんな、リップサービスまで。めちゃくちゃ気を遣っていただいている。悪い人ではなさそうだ。……って、お互いに思えたってことなのかな。
「む、むしろ逆です!私のほうが、私にはジークさんは勿体ないというか……!ほんとにとっても、感謝してもしたりないくらいご恩があって……!」
「ふむふむ。ようし、その辺の惚気や馴れ初めも、まずはうちに着いてからにしようか」
「ああ……っ!」
自ら墓穴を掘ってしまった。その証拠にヴィリハルトさんの横でジークがニヤニヤしている。いいもん。事実だもん。
私たちはそのままヴィリハルトさんに案内されて、ハーゲンティ家の車の後部座席に並んで乗り込んだ。
これもまた見るからに高級車というか。私の国では滅多にお目にかかれない、華美なマークのついた軍用車……に近いモデルだ。そして相変わらず黒かった。見た目のわりに車内はやや狭いものの、普段のお手入れが行き届いてるのか、シートの乗り心地は、さっきの列車よりも良かった。
「少しかかるけど、お手洗いとか飲み物とか、用事があったら言ってくれればいつでも止まるからね」
「は、はいっ」
「じゃあ、ハーゲンティ邸へ、出発だー!」
掛け声と共にラジオから重厚なジャズが流れ始める。
ジークは腕組みをして、しきりに窓の外を警戒していた。
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