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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
1.魔族にズッキュン
20/265

私の為に争わないで!・3

 




 それから先も、地獄だった。

 溶けたバターと、薄力粉と卵、砂糖や香辛料の匂い。

 ボウルと泡立て器がぶつかる音が、小気味良い。

 柔らかくしっとりとしたタルト生地に、よく混ざったクリームチーズがふんわりと盛られていく。

 フライパンの上では、スライスしたリンゴとアーモンドが、シナモンやグラニュー糖を纏って踊っている。

 視覚、聴覚、嗅覚すべてに爆発的に訴えかける調理風景が、厭が応にも口の中で完成を想像させる。

 ジークは本気だった。

 それまで悔しそうに項垂れていたパーヴェルも、気が付くと、私や他のギャラリーと同様に、ヨダレを垂らしながらジークの手元を凝視していた。

 誰かがおいしそう、と呟いた。

 誰かが絶対おいしい、と呟いた。

 ゴク。飲み込んでも飲み込んでも、唾液が頬の内側から溢れて止まらない。

 ギュウ。それでもお腹は鳴る。もうこれで何度目だろう。少なくとも、羞恥を忘れるほどだった。

 ――拷問だ。

 ここにいる誰もが、餌の前で待てを食らった獣だった。

「もうダメだ!あたし先にカフェ行く!ムリ!」

「待ってビビアン、僕も!!」

 ああ、よりにもよって私の親友たちが最初の脱落者に。ビビアンとフェイスくんは、辛抱堪らず、食堂へ駆けていってしまった。

「惰弱な……目先のスイーツに目が眩んだか」

「俺、あれ食べたいから我慢するよ……」

 ネロ先輩とキョウ先輩までもが、理性を失った会話をしていた。破壊力が違う。こんなの暴力だ。

 食と糖質に飢えた学生の目の前でアップルチーズタルトなんて。

「――完成だ」

 ジークの低い声が、静かな池に小石を放り投げた。

 途端に調理室にわっと歓声が湧き上がった。私たちは手と手を取り合い、オーブンの前へ自然と集まっていった。その中には、目を輝かせたパーヴェルも混じっていた。

 ジークが粗熱の取れたタルトに包丁を入れていく。さく、と軽やかな音と共に、包丁が止まる。

 焼きたてのタルトはジークが用意したであろう妙に高級そうなお皿に移動し、リボンのようにミントを添えられて、上機嫌にその甘い薫りを振り撒いていた。

「ほら、まずはザラのぶん。お前らのも今から切るから、待ってろ」

「た、食べていい?」

「元々お前に食わせる勝負だぞ」

「じゃあ遠慮なく!!」

「ん」

 私はジークからフォークを受け取って、やっと念願叶って、飴色に焼けたリンゴに三叉を突き立てた。

「あ……あ……」

 リンゴの隙間から顔を覗かせていたアーモンドがぱきぱきと割れて、更にその下で眠るチーズケーキ部分を難なく越え、最下層でフォークが受け止められた――と思ったときにはもう、タルトは一口大の宝石へと変貌していた。


「おい………………しい………………」


 幸せはきっとここにあった。

 私は不思議の国にいた。チーズケーキのウサギを追って迷い込んだ世界で、リンゴの頭をした帽子屋とお茶をし、タルト生地の女王と裁判で戦った。

 まず微かに残ったリンゴのしゃきしゃき感とクリームチーズケーキ、そしてそれらを最後に締める密度の高いタルト生地が歯ごたえに緩急を与えていた。

 アーモンドの香りと塩気が甘さを引き立て、チーズの酸味と調和する。これだけだと家庭料理のようになるところを、シナモンとリンゴがアクセントとなって、タルトケーキという物語を描いている。

 つまりこれは――

「上から下への、三重奏――!」

 ネロ先輩が頬をパンパンにしながら呻いた。

 そうか。甘味、塩気、酸味による味の三つ巴。そしてシャキパリ、ふんわり、サクサクという食感の三すくみ。

 これが――ジークの、アップルチーズタルトケーキ――……!!

「……負けた……」

 既にお皿を空にしたパーヴェルが、膝から崩れ落ちた。

「ライムもバニラエッセンスもラム酒の使い方も……絶妙すぎる……」

「ああ。悪いが本気を出させてもらった」

「こんなの……俺が……道具と食材を揃えたって……勝てねえじゃねえか……」

 パーヴェルの耳と尻尾が力なく萎れていく。

「この勝負、どっちの勝ちだ?ザラ」

「あ、え?ジークの反則負け」

「フハハハハ!言っただろう、やはり俺の勝利は約束されていたのだ!!」

 話聞けよ。

 パーヴェルも地面を叩くんじゃないよ。そもそも同じフィールドじゃないんだよ君たち。

「クソッ……俺だって、ザラへの想いは負けない!一年の頃からずっと好きだったんだ!つい最近湧いて出たようなお前とは違う!!」

「残念だが今回はそんなモンじゃない、単純にスイーツの味の善し悪しでの決着だ!」

 急に正論……!?

 まあ美味しさで言ったらジークのは本当にすごいけど、比較対象が無いんですよ……。

 でもそれに関してはパーヴェルが潔く負けを認めてるから……い、いいのかな……?

 仲間たちの屍の近くで肩を震わせるパーヴェルの前に、ジークが仁王立ちする。

「お前に足りなかったもの――それが何かわかるか?」

「ッ、一体何だって言うんだよ……!!」

 おいしいなぁこれ。今度また作ってくれるかなぁ。レシピ教わってお母さんにも食べさせてあげよう。

「この俺を相手取るのに、細かいルールを設けようとしなかったその脳味噌だ!!フーッハッハッハッハッ!!アーッハッハッハッハッハッハッ!!!!!」

「くっそおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 ――正直、パーヴェルに同情を禁じえなかった。


 こうしてジークとパーヴェルによる、私を巡る戦いに決着がついたのだった。一応。

 後日、パーヴェルがジャンヌと付き合い始めて、安堵と同時にちょっとイラッとしたのは私だけの秘密だ。






.

.

.






「はあっ……」

 急にドキドキしてきた。

 明日はいよいよ約束の――ジークとの一日デートだ。

 私は自分の部屋で、クローゼットの中身を全部ひっくり返してベッドの上に並べて、かれこれ一時間ほど睨めっこをしている。

 ちゃんとこの間、ロザリーに選んでもらったんだけど。私だけだと、なんかやっぱり無難なモノに逃げたくなってしまうと相談したら、「適当な服を着ていくなんて相手に失礼」と説教された。

「いや……うん、これはあの……おいしいケーキ作ってくれたことへのお礼みたいなものだから……」

 私は誰に向かって言い訳をしているのでしょうか。

 だだ、大丈夫大丈夫。べ、別にデート自体は初めてでも何でもない。ただ今までのは――適当な服を着て、相手の行きたいところへ行って、私はニコリともせずに自分で買ったジュースを飲んでいた。

 でも明日は、楽しそうだ。絶対に楽しい。

 待ち合わせ場所に行くとジークが立っていて、来たな、とか言ってあのギザ歯を見せて笑う。さすがに花束は無いかな。やりそうだけど。それでまた自信タップリに、腕を差し出して、エスコートしてくれるんだ。私はそれにため息を吐いて、仕方なく腕を組むのを想像する。

「ンフフッ」

 ちょっとお下品な笑いが零れてしまった。心なしか頬っぺが痛いなと思って鏡を見たら、どうやら私はさっきからずっとニヤニヤしっぱなしだったらしい。

「こっちのチェックのワンピース……は、うーん……。ちょっと子供っぽいな……。これは……色と柄がキツすぎるよね……。丸襟……逃げだな。うわ、なにこのアンサンブル、いつ買ったの……?やっぱニットかな。スカートは……これ広すぎ。論外。マキシもないよなぁ~。これもいいけどカラータイツと組み合わせた時に男目線的にはどうなんだろう……」

 もういっそのこと、本人連れてきて選んで欲しいくらいだよ。

「えっ」

 ――とかやってる間に、時計の針はすっかり日付を跨いでいた。

 今、私、何を。

「ダメダメダメだーっ!!ここで喜んだら、パーヴェルがダシにされたみたいじゃないのーっ!!当て馬じゃないのーっ!!お礼お礼!!ケーキのお礼!!」

 そう言い聞かせて、もう服のことは未来の自分に託し、大人しくベッドの中へ潜り込んだ。


 ジークが助けてくれたから。

 お礼もしないうちにまた助けられて、一緒にいる時間が増えるほど、また小さい恩返しが重なっていくのだ。私が返しても返しても、足りない。だってそれは無償だって知っている。

 だから、だからなんだから。

 シーツを握り締めた。

 神様、私にも、理由をください。好かれているから好きなんじゃなく、私が好きになりたいんだ。

 もしも彼が、このあいだの私みたいな立場に置かれた時、私が確信を持ってライバルに立ち向かえる覚悟を、私に授けてください。

 まあ、あの魔族を見たあとだと、神様とか精霊も頼れるモノなのか怪しいわね。

 あと半日もせずに会うことになるヤツの顔を思い浮かべていると、間もなく体がふわふわ浮いていくような眠気がやって来た。

 明日も晴れるといいな。






.

.

.

.

・オーブンなんかはジークの自作で時間短縮で焼き上げられるモノみたいです。ネロにも協力してもらって赤外線とかでどうにかした。


・設定上だと掲載日の翌日がジークの誕生日だったり。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] "後日、~「はあっ……」"までの空白に何もない(・・・とか)が少し気になりました。切り替えの何かがあると読みやすいかな?という感じです。 [一言] "幸せはきっとここにあった" に飯テ…
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