↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/2

後編

焚き火の向こうで、彼女がシチューをおかわりしている。


「クロードの手料理、美味しすぎるわ……!」


頬を膨らませて笑う彼女は、何も知らない。


自分を国から追い出したあの婚約破棄劇。

そのシナリオを書いたのが、目の前で食事をよそっている男だということを。


十年かけて、やっと手に入れた大切な人。

大丈夫。

あの国に未練なんて一欠片も残らないように

――うまくやるからね、エル。


♦︎♦︎♦︎


俺は、生まれた瞬間から呪われていた。


名門ヴァルトシュタイン伯爵家の次男。

それだけなら、何不自由ない人生だったのだろう。


だが俺の両目は、血を垂らしたような真紅をしていた。


この国で赤い瞳は、災いを呼ぶ『血塗れの赤目』と呼ばれる。

母は俺を産み落とすなり悲鳴を上げ、二度と抱こうとしなかった。


それでも、伯爵家の子を表立って捨てるわけにはいかない。

醜聞になるからだ。

俺は仕方なく育てられた。


屋敷の外れの離れに住まわされ、食事は家族と別。

使用人は俺と目を合わせず、「悪魔の申し子」と吐き捨てた。


腫れ物のように避けられ、蔑まれる日々。

殴られるわけでも、飢えさせられるわけでもない。

ただ、誰も俺を人間として見なかった。


せめて、忌避の目で見られずに済むように。

俺は離れの書庫にあった古い魔導書を読み漁り、瞳の色を偽る幻術を独学で覚えた。

誰に教わったわけでもない。

けれど、少しでも術が乱れれば赤い目が晒されるという環境が、俺の魔術制御を異常なまでに精密にした。

髪の毛一本ぶんの狂いもない術式。

それが、俺の唯一の武器になった。


人間なんて、くだらない。

十歳になる頃には、俺は本気でそう思っていた。


♦︎♦︎♦︎


十年前のあの夜のことは、今でもはっきり覚えている。


王宮で、貴族の子女を対象にした魔力測定の儀が開かれた。

伯爵家の子である以上、俺も出ないわけにはいかない。

幻術で瞳を黒く偽り、父の後ろについて王宮へ上がった。


測定の結果、俺の魔力量は同年代でも群を抜いていた。


もっとも、その夜いちばんの騒ぎは俺ではなかった。


別の測定台で、どこかの令嬢が触れた測定器が粉々に砕けたらしい。

大人たちは「機器の不具合だ」と慌てて片づけていたが、そのときの俺には、どうでもいいことだった。


周囲がどよめく中、父の顔だけが青ざめていくのがわかった。


帰りの馬車へ向かう途中、父が従者に囁くのが聞こえた。


「……赤目の忌み子に、あれほどの魔力だと? 生かしておけば、いずれ家に災いをもたらす。屋敷に戻り次第、病死として処分しろ」


これまでは、醜聞を恐れて生かされていただけだった。

だが、災いの芽となれば話は違う。


俺は馬車に乗る直前、従者の手を振り払って、夜の庭園へ逃げ込んだ。


息が切れ、膝が震える。

追手の足音に焦るほど、幻術の制御が乱れていく。

噴水の縁にうずくまったとき、水面に映った俺の目は、とうに赤く戻っていた。


「――だあれ?」


ふいに、幼い声がした。


顔を上げると、薄紫のドレスを着た小さな女の子が、首をかしげてこちらを覗き込んでいた。

銀色の髪に、月の光がきらきらと反射し輝いている。


まずい、と思った。

この目を見られた。

悲鳴を上げられる。

人が集まってくる。


だが女の子は逃げなかった。

それどころか、とてとてと近づいてきて、俺の顔を至近距離で覗き込んだのだ。


「わぁ……! 綺麗な瞳の色! 宝石みたい!」


俺は、息をするのを忘れた。


「ねえ、どうしてこんなところにいるの? 迷子? わたし、エルツェリア。あなたは?」


答えられなかった。

喉が、うまく動かなかった。


この目を綺麗だと言った人間は、生まれてから一人もいなかったから。


「エルツェリア様! どちらにいらっしゃいますか!」


遠くから侍女の声がして、女の子はぱっと振り返った。


「いけない、怒られちゃう。またね、ルビーのお兄さん!」


小さな手を振って、彼女は駆けていった。


凍りついていた世界に、強烈な印象を残した。



その後、俺は庭園で追手より先に、ある老人に見つかった。


宮廷魔導師団長。


測定の場で俺の魔力に目をつけていたらしい。


「その目、その制御力。伯爵家に戻れば殺されるのだろう。ならば儂の下へ来い。表には出られんが、生きる場所くらいはくれてやる」


こうして俺は、魔法師団へ引き取られることになった、『平民の孤児』として。


伯爵家は簡単に俺を手放した。

世間的には病死となり、実際は師団長に売られた。

家名も本当の名も捨て、俺はただの『クロード』になった。


表向きは来るもの拒まずな、軽薄な若手魔導士。

裏では、汚れ仕事を請負う始末屋となり悪事にも手を染めた。

今思い返しても、かなり荒んだ生活だったと思う。


魔法の腕は確かだったので、諜報部隊の副隊長をさせられたが、俺の本当の瞳の色を知るのは、魔法師団長ただ一人だ。


もっとも、副隊長といっても仕事のほとんどは影の中。

式典や夜会に顔を出すこともなく、王宮で俺の顔と肩書きを結びつけられる者は、数えるほどしかいない。


あの夜の女の子が、ローゼンバーグ公爵家の令嬢で、のちに王太子の婚約者になったと知ったのは、それから少し後のことだった。


♦︎♦︎♦︎


三年前。

国境の向こうの迷宮で、妙な冒険者が暴れ回っているという噂が立った。


Sランクの魔物を一撃で吹き飛ばし、日付が変わる前にはふっと姿を消す。

どこのギルドにも籍がなく、素性は一切不明。

国家戦略級の魔力を持つ、正体不明の人間。


師団長から下った命令は、ひとつだった。


「正体を突き止め、国にとって危険かどうかを見極めよ」


副隊長の肩書きは伏せ、ただの冒険者として、俺は迷宮へ向かった。


そして、深緑の樹海で彼女を見つけた。


「いっけぇぇぇ! 電撃砲!!」


轟音とともに、エンシェント・ワイバーンが地に墜ちる。

爆風の中で、銀色の髪をなびかせた少女が、子供のように両手を突き上げて笑っていた。


一目でわかった。

あの夜の女の子だ。


王太子の婚約者。

ローゼンバーグ公爵家の令嬢、エルツェリア。


王宮では、感情を殺した完璧な淑女として知られている彼女が――ここでは、こんなにも自由に笑うのか。


見惚れていた、その一瞬が命取りだった。


彼女の魔術の余波が、俺の立つ岩場まで届いた。

咄嗟に防御障壁を張ったが、衝撃で幻術が剥がれる。


「あっ、ごめんなさい! 人がいたなんて――」


駆け寄ってきた彼女と、目が合った。


赤い目を、まともに見られた。

十年ぶりの、あの距離で。


「……わぁ」


彼女は目をまん丸に見開いた。


「なんて綺麗な瞳! ルビーみたいな色! それに今の障壁、どうやったの!? あの衝撃を、あんな薄さで完全に逸らすなんて……術式の組み方が細かすぎるわ! あなた、天才じゃない!?」


俺のことは、覚えていなかった。


当然だ。

八歳の子供が、一晩出くわしただけの少年を覚えているはずもない。


なのに彼女は、十年前とまったく同じ顔で、同じことを言った。


誰もが目を背けるこの瞳と、生き延びるためだけに磨いてきたこの魔術を――彼女だけが、まっすぐに見て、「綺麗だ」と言う。


その瞬間、胸の奥に存在しなかった熱が灯った。


ああ、駄目だ。

どうしようもなく、この人が欲しい。


♦︎♦︎♦︎


「……そうか、あの子か」


報告を聞いた師団長は、深いため息をついた。


「ローゼンバーグ嬢の本当の魔力は、儂と陛下しか知らぬ国家機密だ。あの体質では、ときどき思い切り発散せねば身がもたん。……息抜きくらい、させてやれ」


「放っておけと?」


「いや。危ない目に遭わんよう、陰から見張ってくれるか。お前の腕なら造作もなかろう」


願ってもない命令だった。


俺は神妙な顔で頭を下げながら、込み上げる笑みを必死に噛み殺していた。


…だって、これはもう運命だろう?


彼女は、桁外れの魔力を隠して生きている。

俺は、この赤い目を隠して生きている。


陛下と、師団長以外にこの事実を知っているのは――俺だけ。

本当の俺を知っているのも、師団長と――彼女だけだ。


ほら、ぴったりだ。


世界中でたった二人、同じ形の秘密を抱えている。

だったら、彼女の隣にいるべきなのは、あの凡庸な王太子じゃない。


俺だ。


彼女を理解できるのも、彼女の孤独に寄り添えるのも、この世界で俺ひとりだけなんだから。


♦︎♦︎♦︎


それからの俺は、我ながら異常だったと思う。


裏稼業の情報網を使って、彼女が潜る迷宮を突き止めた。

偶然を装って同じ迷宮に入り、何度か窮地を助け、パーティーを組む仲にまで漕ぎ着けた。


「クロードって、本当に器用ね!」


そう言って笑う彼女の隣で、俺は笑みを浮かべていた。

彼女と話している時間だけ、俺は人間でいられた。


彼女が、ほかの冒険者に笑いかけるたび。

俺はそいつの顔と名前を覚えた。

二度と同じ迷宮で彼女と行き会わないよう手を回すのは、造作もないことだった。


そして、少しずつ距離を詰めた。


もちろん、彼女が公爵令嬢であることには気づかないふりをして。

ここでの俺は、ただの後腐れない冒険者仲間だ。


ある日、魔物の爪で彼女の腕に浅い傷がついた。

治癒魔術をかけながら、俺は何気ない調子で言った。


「エルってさ、魔法使ってる時ほんと楽しそうに笑うよね。そんな顔してると、悪い男に捕まっちゃうよ? たとえば、俺とか」


「な、何言ってるのよ。からかわないで」


彼女はぷいと顔を背け、すぐに次の魔物の話を始めた。

けれど、銀色の髪の隙間から覗く耳が、ほんのり赤く染まっている。


ピュアだな。


普段は完全無欠の淑女を装っているから、こんな姿を知ってるのは俺だけだろう。


また別の日、迷宮からの帰り、彼女がふと訊いてきた。


「ねえクロード。あなたって、誰にでもそういうこと言うの?」

「そういうことって?」

「だから……綺麗だとか、もったいないとか」

「君にしか言わないよ」


「……嘘ばっかり」


そう言って転移の光に消える直前、彼女は少しだけ唇を尖らせていた。

怒っているのか、照れているのか、自分でもわかっていない顔で。


それで十分だった。

今はまだ、それでいい。


彼女が転移の光に消えたあとも、空気に残った魔力の名残がすっかり消えるまで、俺はその場から一歩も動けなかった。




俺には、許せないものが二つあった。


一つは、彼女を縛る環境。


冒険者のエルは、日付が変わる前に必ず転移で帰っていく。

待っているのは、息の詰まる王妃教育と、彼女の価値を何ひとつ理解しない婚約者だ。


王太子ジュリアン。


凡庸で、見栄っ張りで、婚約者の魔力が王都の結界を支えていることすら知らない男。

あんな男の隣で、彼女の翼が少しずつ折られていくのを、黙って見ていろというのか。


もう一つは

――あの精霊だ。


使い魔を通して彼女の部屋を見守っていると、決まってあの精霊が現れる。


少年の姿で、彼女の周辺にまとわりつき、甘えた声で膝の上に乗るのだ。


「エル〜、魔力ちょうだぁい」

「はいはい、どうぞ。一気に飲んじゃ駄目よ」

「だって、おいしいんだもん〜」


案の定、欲張って飲みすぎたルカが、ぱんぱんのお腹を抱えて「うぅ……もぉ、むりぃ……」と転がる。

彼女は呆れたように笑いながら、その頭を撫でる。


その光景を垣間見て、俺の奥歯がぎりりと鳴った。


精霊ごときが、彼女の膝の上に。

俺が焦がれた彼女の膝の上に、当たり前のように座っているなんて。


――けれど、その忌々しい精霊が、やがて俺の計画の要になるのだから、皮肉なものだ。


♦︎♦︎♦︎


彼女をかの環境から救い出す方法は、ひとつしかなかった。


彼女自身に罪を着せて、この国から追い出すことだ。


正面から婚約を解消させることはできない。

公爵家と王家の契約は、俺ひとりの力では覆せない。


だが、王太子自身が「この女は要らない」と叫べば話は別だ。


必要なのは、王太子をその気にさせる駒。

それは、すぐに見つかった。


伯爵令嬢リリア。


人並み以上の魔力と、人並み以上の野心。


王太子に色目を使い、婚約者の座を虎視眈々と狙っていることは、裏稼業である情報ギルドを通じて早くから掴んでいた。


最高の駒だ。


俺は情報屋の伝手を何重にも挟み、リリアの耳に噂を流した。

出どころは「高貴なとあるお方」。

あの女は勝手に箔をつけて信じ込んだ。


「エルツェリア様は夜な夜な、部屋に年端もいかない少年を連れ込んでおり、部屋からは悲鳴が聞こえるらしい」

「結界用の魔石は、彼女が私利私欲で浪費しているらしい」


嘘はひとつもついていない。

部屋に少年の姿の精霊がいるのも、悲鳴が上がるのも、魔石が大量に使われているのも、すべて事実だ。


意味をすり替えただけで。


♦︎♦︎♦︎


問題は、証拠だった。


ここで役に立ったのが、あの忌々しい精霊だ。


使い魔越しに何十夜と彼女の部屋を見てきた俺は、知っていた。

彼女が迷宮へ抜け出せるのは、せいぜい週に一、二度。

行けない夜は、溢れた魔力をルカに吸わせている。


欲張りな精霊は決まって飲みすぎて、「うぅ……もぉ、むりぃ……」と苦しげに唸りながら転がるのだ。


扉の外で聞けば、子供が責め苦に遭っているとしか思えない声で。


噂を流すと同時に、俺は情報屋を通してリリアに囁かせた。


「毎晩、お部屋の前で耳を澄ませてごらんなさい」と。


伯爵令嬢の手の者が、公爵家の奥まで入り込めるはずがない。

裏口の鍵を開けさせる使用人は、金で一人買っておいた。


リリアの侍女は毎晩のように部屋の前に張りつき、録音の魔石を構えた。

だが、唸り声だけでは決め手に欠ける。

あの女は、もっと決定的な声を待っていた。

そして、その夜が来た。



ルカが彼女の夜食のお菓子を横取りしようとして、くすぐりの刑に処された夜だ。


『――うわぁぁん! もう、むり、もうやめてぇぇぇ……!』


録音の魔石が光るのを、俺は離れた屋根の上から見届けた。


案の定リリアは「許してぇ! くすぐったいってばぁ!」を、都合よく切り捨てた。


(よくやった、愚か者)


俺は小さく笑った。


♦︎♦︎♦︎


あとは、仕上げだ。


王太子の側近に、それとなく吹き込んだ。


「公爵令嬢を処刑すれば、公爵家と全面対立になります。ですが国外追放なら、殿下の寛大さを民に示せましょう」


殺されては困る。

彼女には、生きて自由になってもらわなければならないのだから。


そして、結界のこと。

彼女が去れば、遅かれ早かれ結界は崩れる。

それは百も承知だった。


リリアが魔石の利用を避けるよう噂を流したのは俺なのだから、あの女がいずれ接続を引き抜くことも、計算のうちだ。


結界が砕ければ、エルはきっと王都へ戻ろうとする。

街の人々を見捨てられる人ではない。


だから俺は、彼女の部屋に溜まっていた魔石を、密かに回収し、師団長のもとへ届けさせる手配をしておいた。


あの老人なら、それで当面の瘴気はしのげる。


彼女は結界のことを、きっと最後まで気に病む。

けれど、追放される身で手を打つことはできない。

だから、俺が先に片づけておく。


彼女の心配事は、ひとつ残らず。

彼女が戻る理由を、ひとつ残らず潰しておく。

すべては、彼女が二度とこの国に帰らなくて済むように。


卒業パーティーの夜、俺は自分の机に辞表を一枚置いて、王宮を出た。


今ごろ、あの老人はこめかみを押さえていることだろう。


♦︎♦︎♦︎


誤算はひとつだけ。


リリアが結界から魔石の接続を引き抜くのは、もう少し先だと思っていた。

師団長が制止し、数か月は魔石を使い続けるだろうと。

まさか式典の当日、衆人環視の中で引き抜いて、自分ごと干からびるとは。


「……思ったより、早かったな」


遺跡の入り口で、思わず呟いてしまった。


もっとも、あの女の末路に、同情する気は一欠片もない。

単なる使い捨ての駒にすぎないのだから。


王太子ジュリアンのほうは、外遊から急ぎ戻った国王の逆鱗に触れ、結界崩壊の責任を問われて、廃嫡のうえ北の塔へ幽閉と決まったらしい。

彼女を「悪逆非道」と罵ったあの口で、今ごろ塔の上から何を叫んでいることやら。

王冠ひとつ守れない男に、彼女の隣は最初から過ぎた席だったのだ。


♦︎♦︎♦︎


追放から数日が過ぎた、ある日の夜。


「エル〜、魔力ちょうだぁい」


焚き火の前で魔導書を広げる彼女の膝の上に、少年姿のルカが当然のように潜り込んだ。


「もう、食いしん坊ね」

「足りないんだ、もっとちょうだい〜」


使い魔越しに何十回と見てきた光景だ。


精霊であり、しかも少年の姿とはいえ…許すことなどできない。


俺は鍋をかき混ぜる手を止め、にっこりと笑った。


「はいはい、精霊くんはこっち」


ルカの襟首をひょいとつまみ上げ、俺の隣に下ろす。


「契約精霊なら、触れなくても主から魔力は受け取れるよね? わざわざ膝に乗る必要、ある?」


「……まあ、そうね?離れていても渡せるわね」


魔導書から目を離さないまま、彼女があっさり頷く。


「えぇ〜!? エルまで〜!くっついてたほうが、おいしいのにー!」

「ふっ。飢えるわけでもない」

ルカはぶすっと頬を膨らませ、俺を睨み上げた。


「……クロード、エルのこと独り占めしたいだけでしょ」

「さあ、どうだろうね」

「ふふっ。二人とも、すっかり仲良しね」


彼女は魔導書から顔を上げて、楽しそうに笑った。


仲良くなど、ない。


けれど、精霊がエルの膝の上に乗ることはもう二度とない。


♦︎♦︎♦︎


古代遺跡の回廊を、彼女が駆けていく。


銀色の髪が、魔導灯の光を弾いて揺れる。


ときどき振り返っては「早く早く!」と手招きする姿は、十年前の庭園で手を振った、あの小さな女の子そのままだ。


「ねえクロード、この遺跡、罠の術式が全部生きてるわ! 何百年前のものかしら!」

「はいはい。やたらと起動させないでね」

「わかってるわよ!」


絶対にわかっていない顔で、彼女は壁に頬を寄せた。

俺は、その後ろ姿を見つめる。


彼女は、手際のいい相棒を拾えたと無邪気に喜んでいる。

噂を流した「とあるお方」が、毎晩シチューを作ってくれる男だなどとは、夢にも思っていない。


それでいい。

知られては困るのだ。


副隊長の地位も、裏稼業の立場も、全て捨た。

追放の夜、焚き火の前で彼女が「よろしくね」と笑ったとき、思わず口からこぼれた。


――やっと、手に入れた。


十年かかった。


君を縛る王冠も、家族も、国も、ぜんぶ奪ってやった。


君はどこまでも自由に、世界中を駆け回ればいい。

――俺の腕という、一番広くて、一番逃げられない鳥籠の中で。



♦︎♦︎♦︎


「ねえクロード! この石板、すごい魔導文字があるわ!」


回廊の奥から、弾んだ声が響いた。

行ってみると、彼女は石板の前にしゃがみ込み、刻まれた文字を夢中で指でなぞっていた。


「見て、これ。たぶん失われた飛行術式よ!」

「どれどれ」


俺は彼女の肩越しに身を屈めた。頬が触れそうな距離。彼女の肩が、ぴくりと跳ねる。


「ち、近いわよ」

「近くないと見えないんだもん」

「……もう」


彼女は文句を言いながらも、離れようとはしなかった。

しばらく黙って文字を読んでいたかと思うと、ふいに、横目で俺の顔を見上げる。


「ねえ、クロード。あなたの本当の目って、赤いでしょう?」

「……覚えてたんだ」

「当たり前じゃない。初めて会ったとき、見ちゃったもの」


――初めて会ったとき。


一瞬、心臓が跳ねた。


十年前の、あの庭園のことかと。

いや、彼女が言っているのは三年前、迷宮で幻術が剥がれた、あの日のことだ。


……そうだよな。

覚えているはずがない。


小さく息を吐いて、俺はいつもの笑みを取り繕った。

彼女は壁に視線を戻して、小さな声で続けた。


「私、あの色、好きよ。宝石みたいで。……隠さなくていいのに」


息が、止まった。

過去にも、彼女は同じことを言った。


そして今また、同じことを。

俺は指先で、そっと幻術をほどいた。


「君の前でだけ、なら」


赤い瞳で見つめ返すと、彼女は一瞬ぽかんとして――それから、みるみる頬を染めた。


「べ、別に深い意味はないわよ! ただ、綺麗だなって思っただけで!」


慌てて立ち上がった拍子に、足元の瓦礫につまずく。

倒れかけた腰を、俺は片腕で抱きとめた。


「……転ばないでね、俺の可愛いお嬢様」

「か、可愛いって……!」


腕の中で、彼女が耳まで真っ赤になって固まっている。


鈍感なお嬢様が、自分の気持ちに名前をつけるまで、あと少し。

焦らなくていい。

時間なら、いくらでもある。


どうせもう、逃がすつもりはないのだから。



最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

少しでも「いいな」と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。