第18話 「三日間」
試験まで三日あった。
やることは決まっていた。毎朝カルロのもとで修行。午後にギルドでF級依頼をこなす。夜に試験の筆記対策をする。それだけだ。
一日目の朝。
鍛冶屋の跡に着くと、カルロがいつもと違うものを持っていた。小さな石だ。親指の爪ほどの大きさで、表面が滑らかに磨かれている。
「今日から少し変える」
カルロは石を俺に渡した。
「これを持って、いつも通り始めなさい」
俺は石を左手に握った。目を閉じて、胸の奥の温もりを探した。
すぐに見つかった。今では迷わない。
「見つけたら、その石に意識を向けながら、温もりを保ち続けなさい」
石に意識を向けた。冷たい。滑らか。小さい。
胸の温もりと、手の中の石を、同時に意識した。
最初は難しかった。意識が片方に偏る。温もりを感じると石から意識が離れる。石に集中すると温もりが薄れる。
二つを同時に保つことが、こんなに難しいとは思っていなかった。
「焦るな」
カルロの声がした。
「同時に意識することが目的ではない。一つを保ちながら、もう一つを感じることに慣れる作業だ」
俺は力を抜いた。
温もりを中心に置いて、そこから意識を広げるように、石の感触を受け取った。
少しだけ、楽になった。完全ではないが、二つが共存している感覚がある。
「それでいい」
十五分ほど続けた。
終わったとき、じんわりと疲れた感覚があった。体ではなく、頭の奥が疲れている。
「魔力を意識し続けることは、脳を使う作業だ」
カルロは言った。
「最初は疲れる。慣れれば意識しなくてもできるようになる」
「いつ頃から慣れますか」
「人による」
カルロは石を指さした。
「それは持っていなさい。一日中、時々意識を向けるように」
午後、ギルドで依頼をこなした。
薬草採取の依頼を一つ片付けて、戻る途中でロックスに声をかけられた。
「昇格試験を受けるそうだな」
「はい」
「誰から聞いたんですか」
「ギルドは狭い。話が広まるのは早い」
ロックスは腕を組んだ。
「アルクが申請したと聞いた」
「そうです」
「あいつに気に入られたか」
ロックスは少し考えた。
「悪いことじゃない。ただ、アルクに関わると、面倒なことに巻き込まれることがある」
「どういう意味ですか」
「あいつは強い。それは本物だ。ただ、強い人間には、面倒なものが引き寄せられる」
ロックスは続けた。
「無冠の件を追っていると聞いた。お前も関わるつもりか」
「わかりません」
俺は正直に答えた。
「ただ、向こうが俺に関わってくる可能性がある」
ロックスは少し黙った。
「まだ、お前のことを調べていた人間の続報はない。だが、消えたわけじゃない。気をつけろ」
「ありがとうございます」
ロックスは何か言いかけて、やめた。それから、少し声を落とした。
「試験、通れよ」
そう言って、大きな背中が人込みの中に消えた。
二日目の朝。
石を持って修行をした。昨日より、二つを同時に意識できる時間が長くなった。疲れ方も少し軽い。
修行の終わりに、カルロが言った。
「昨日より安定している」
「慣れてきた気がします」
「石を持っていない時間も、意識を向けることはできるか」
俺は試した。石を持っていない右手に意識を向けながら、胸の温もりを感じる。
「できます」
「それでいい」
カルロは頷いた。
「明日の修行は、試験の前に行う。朝一番に来なさい」
「試験は午前中ですが」
「わかっている。短くて構わない。来なさい」
その日の午後、筆記試験の対策をした。
エリナが手伝ってくれた。彼女はこの世界の知識を持っている。魔物の弱点、依頼の手順、緊急時の規則。俺が質問して、エリナが答える形で進めた。
「グリーンスライムの弱点は」
「火と塩。水には強い」
「スライムウルフの爪の毒の対処は」
「傷口をすぐに洗って、緑の軟膏を塗る」
「依頼を途中で。中断する場合の手続きは」
「ギルドに速やかに報告。理由を書面で提出。ペナルティが発生する場合がある」
俺は知識として持っているものと、この世界で実際に経験したものが、少しずつ一致してきているのを感じた。知識だけあっても意味がない。経験と結びついて初めて使えるものになる。
「だいたい、大丈夫そうね」
エリナが言った。
「おかげで、整理できた」
「役に立てた?」
エリナが少し、嬉しそうな顔をした。
「ああ」
三日目の朝。
試験当日だ。
いつもより早く目が覚めた。緊張しているのかもしれない。感情を表に出さない俺でも、体は正直だった。
鍛冶屋の跡に向かった。
カルロがいた。今日は木箱に座らず、炉の前に立っていた。
「来たか」
「約束でしたから」
「石を持ってきたか」
左手の石を見せた。カルロが頷いた。
「今日は短い。目を閉じろ」
閉じた。
「いつも通り始めなさい。ただし今日は、温もりに触れたあとで、石に向かって押し出すイメージを持て」
俺は眉をひそめた。目を閉じたまま聞いた。
「押し出す、というのは」
「温もりを、外に向けるイメージだ。体の内側から、石に向けて流すような感覚を持て」
やってみた。
温もりに触れた。それを石に向けて、押し出すイメージを持った。
最初は何も起きなかった。
だが、三十秒ほど続けたとき。
石が、わずかに熱くなった。
気のせいかもしれない。ほんの少し、体温より高い程度の熱さだ。だが確かに変化があった。
「感じたか」
カルロが言った。
「石が熱くなった気がします」
「気がするではない。なった」
カルロの声に、珍しく力がこもっていた。
「目を開けろ」
開けた。
石を見た。
変化はわからない。見た目は同じだ。
だが俺は、ステータス画面を開いていた。
見た瞬間、止まった。
ゼロ Lv.1
HP:12/12
MP:3/3
筋力:3 敏捷:4 魔力:1 耐久:2 知力:6
スキル:なし
備考欄:◆◇◇◆◆◆
三文字目が、白くなっていた。
◆◇◇◆◆◆。
二文字続けて白い。
エリナが横から覗き込もうとして、見えないことを思い出した。
「何か変わった?」
「三文字目が変わった」
「ほんとに?」
エリナが声を上げた。
「カルロさん、今のが関係してるんですか」
カルロは答えなかった。ただ、炉の方を向いて、静かに言った。
「試験に行きなさい」
「教えてくれないんですか」
俺は聞いた。
「全部白くなってから話す。それまでは教えない」
カルロは振り返らなかった。
「ただ、一つだけ言える」
老魔法師が振り返った。その目が、いつもと少し違った。何かを確信したような、静かな目だ。
「方向は正しい。続けなさい」
ギルドに着いた。
試験官が待っていた。四十代くらいの、落ち着いた雰囲気の女性だ。Bランクのカードをつけている。
「ゼロさんとエリナさんですね。準備はいいですか」
「はい」
「では、筆記試験から始めます」
俺は左手の石を握った。
試験が始まった。
次回・第19話「試験の結果」
筆記、実技、面接。三つのパートを終えたゼロとエリナに、試験官が告げた結果は、予想とは少し違うものだった。




