第14話 「カルセナへ」
街道を急いだ。
襲撃の場所から離れるほど、御者の肩から力が抜けていくのがわかった。二台の馬車は並走せず、少し間隔を開けて走っている。前の馬車が何かに引っかかっても、後ろが止まれるようにするためだ。御者の判断だろう。経験がある。
昼を過ぎた頃、街道脇に小さな川があった。御者が馬を止めた。
「水を補給する。三十分だ」
馬に水を飲ませている間、俺たちも水筒を満たした。川の水は透明で、飲める。エリナが干し肉と固いパンを取り出した。行動食だ。歩きながら食べられるものを用意していたらしい。
「はい」
エリナが俺に渡した。
「ありがとう」
カルロは川の傍の石に腰を下ろして、目を閉じていた。食事をする様子がない。
「カルロさんは食べないんですか」
エリナが聞いた。
「必要ない」
「人間ですよね」
「一応はな」
エリナが俺を見た。俺は肩をすくめた。カルロのことは、聞いてわかるタイプの人間ではない。
御者の男、名前はガレスというらしかった、俺の隣に来た。さっきまでの不信感はだいぶ薄れている。
「さっきの連中、追ってくると思うか」
「わからない」
俺は答えた。
「ブラックハウンドが動けない状態だったから、すぐには無理だと思う。ただ、別のルートで先回りする可能性はある」
「三叉路以外にも、狙える場所はあるのか」
「街道を知っている人間なら、わかるはずです。あなたの方が詳しいと思いますが」
ガレスは少し考えた。
「カルセナまでの残り半分で、狙いやすい場所は二つある。森の入り口と、橋の上だ。橋は迂回できないが、森は少し遠回りすれば抜けられる」
「遠回りすると、どれくらい時間が増えますか」
「一時間ほどだ」
「森を避けましょう。橋は渡る前に確認する」
ガレスは頷いた。最初の頃の反発が、完全に消えていた。
森を迂回した分、日が傾くのが早く感じた。
橋の手前で馬車を止め、俺が先に歩いて確認した。橋は石造りで、幅は馬車二台が並べるくらいある。下を流れる川は深く、迂回は不可能だ。
橋の上に人影はなかった。欄干の陰に身を潜められる場所もない。俺は橋を渡り切って対岸も確認した。茂みの中に足跡がないことを確かめてから、戻った。
「問題ありません」
馬車が渡った。
橋を越えると、空が橙に染まり始めた。二つの太陽が重なって、影が一つになる時間帯だ。
「今夜は野営?」
エリナが聞いた。
「カルセナまであと半日。夜通し走るより、明朝に入った方がいい」
ガレスが言った。
「野営に適した場所を知っている」
街道を少し外れた場所に、岩が並んでいる一角があった。風除けになる。ガレスは慣れた様子で馬車を止め、焚き火の準備を始めた。もう一人の御者、若いセンという男が馬の世話をしている。
焚き火に火がついた。
闇が深くなるにつれて、炎の明るさが増した。俺たちは焚き火を囲んで座った。ガレスとセンは少し離れた場所で食事をしている。
カルロが焚き火を見ながら口を開いた。
「今日の戦いで、気づいたことがあるか」
「いくつか」
俺は答えた。
「言ってみろ」
「使役者が逃げた方向です。草原の北側に消えた。ランドルでもカルセナでもない方角だ。拠点がどこかにある」
「他には」
「ブラックハウンドの首輪が、革製ではなかった。金属に近い素材で、加工されていた。あれを作れる技術者がいる」
カルロが小さく頷いた。
「よく見ていた」
「まだあります」
俺は続けた。
「リーダーの男が使役者を見て『やられた』と言って即座に退いた。ブラックハウンドへの依存度が高い。あの魔物がいなければ、彼らはCランクの護衛に勝てなかった可能性がある」
エリナが口を開いた。
「つまり、魔物を使役する技術が、あの集団の核心ってこと?」
「そう思う」
カルロが焚き火に細い枝を加えた。炎が少し大きくなった。老魔法師は炎を見つめたまま、静かに言った。
「一つ、話しておくことがある」
俺とエリナはカルロを見た。
「今日の連中が何者かは、まだ断定できない。だが、魔物を使役して街道を荒らす手口と、この地域での出没場所を考えると、一つの組織が浮かぶ」
「どんな組織ですか」
カルロは少し間を置いた。
「無冠、という」
その言葉が、焚き火の音の中に落ちた。
エリナが眉をひそめた。
「無冠?」
「王も、貴族も、ギルドも認めない。既存の秩序を否定する組織だ」
カルロは続けた。
「表向きは盗賊団と変わらない。だが、規模が違う。大陸の複数の国に拠点を持ち、魔物の研究と使役に長けている」
「なぜそんな組織が、街道の荷馬車を」
「金のためもあるだろう。だが本来の目的は別にある」
カルロは俺を見た。
「彼らは力を求めている。魔物の力だけではなく、人間の中にある特別な力を」
俺はカルロの目を見た。
その視線が、一瞬だけ意味を持った気がした。
「俺のことですか」
カルロはすぐに目を逸らした。焚き火を見る。
「今日の話はここまでだ」
「答えになっていません」
「今夜の答えではない」
カルロは立ち上がった。
「ただ、一つだけ言っておく。ランドルで君のことを聞き回っていた人物がいると、ロックスが言っていたな」
「はい」
「その人物が無冠と関係しているかどうか、まだわからない。だが、可能性はある」
カルロはそれだけ言って、馬車の陰に移動した。そのまま目を閉じた。
エリナが俺の隣で膝を抱えた。
「聞いた?」
「聞いた」
「怖くない?」
俺は焚き火を見た。炎が揺れている。風が少し出てきた。
「怖い」
俺は正直に答えた。
「ただ」
「ただ?」
「逃げる場所がない。記憶も名前も持っていない俺が、何かに怯えて立ち止まっても、何も変わらない」
エリナがしばらく黙っていた。
焚き火の向こうで、ガレスとセンが話している声が低く聞こえる。馬が草を食む音がする。
「私も同じだよ」
エリナが小さく言った。
「同じ?」
「逃げる場所がないって意味で」
それ以上、エリナは言わなかった。俺も聞かなかった。
盗賊団から逃げてきた、とエリナが最初に言っていた。その詳細を、俺はまだ知らない。聞けるときが来たら、エリナが話すだろう。
焚き火が小さくなってきた。
俺は枝を一本加えた。炎が戻った。
備考欄を開いた。
◆◇◆◆◆◆(解読不能)
無冠が特別な力を持つ人間を求めている。カルロが俺を見た瞬間の目。ランドルで俺を調べていた人物。
全部が繋がっている気がした。
だが今は、考えても答えが出ない。
明日、カルセナに着く。
それが今夜、俺にできる唯一の結論だった。
次回・第15話「カルセナの朝」
無事にカルセナへ到着したゼロたち。報酬を受け取り、ランドルへの帰路につく前に、カルセナのギルドで思いがけない人物と出会う。




