その2
「やれやれ……。お前には契約内容とか、俺の寿命とか色々と聞きたいことはあるけど、今日は疲れた。とにかく明日だ。俺は飯食ってから寝るから、お前は……。そうだな、とりあえず俺の布団で寝とけ。さっきコンビニで買った歯ブラシがあるから、歯ぁ磨いてから寝ろよ。それから、とりあえずその辺のギターとか機材は触んなよ」
とりあえず周りの住人に見られずに部屋に辿り着いた俺は、湯を沸かしながらメルに告げる。俺の布団が無くなるが、この季節ならカーペットの上でも風邪をひくこともないだろう。一瞬、ドラ○もんのごとく押入れに寝かせてはどうかとも思ったが、さすがに俺の良心が咎めた。
もちろん、たとえ一緒の布団に寝ようが、俺がこのような年端も行かぬ幼女を意識することは無い。雨蘭ともよく一緒の布団で寝ているし、こいつとだって一緒に寝たって何もおかしいことはない。だが、雨蘭はあくまで血の繋がった姪っ子だ。さすがに見知らぬ幼女と同じ布団で寝るのには、俺の倫理観がストップをかける。
しかし、せっかく布団を敷いてやっても、メルは不思議そうな顔をしている。
「なあ、おうちはどこなのじゃ?」
「は?どういうことだ?」
俺はメルの言葉を理解しきれずにいた。もしかして、悪魔の住む場所はもっと突拍子も無い場所なのだろうか。
「だってここ、メルのおうちで飼ってる、ケルちゃんのおへやよりもせまいよ。ベッドもないし、それにきたないし、なんかくさいし……」
「ぐっ……!わっ、悪かったな!人間の貧乏人はこういう所に住むんだよ!」
その時、隣の部屋から聞こえたガタリという音に、俺は慌てて口を閉じる。いかんいかん、つい興奮してしまったが、自分からコトを広めることもあるまい。俺は小声でメルに尋ねる。
「まあ、そのケロちゃん……」
「ちがう!ケルちゃん!」
「わかったわかった。そのケルちゃん?犬か猫か知らねえけど、そいつの部屋よりは狭いかもしれないが、一応俺の家なんだよ。それに散らかってるのは、男の一人暮らしである以上仕方ないんだ。まあ、臭いのは……、って、マジで!?俺の部屋ってそんなに臭いのか?」
正直ショックだった。お世辞にも綺麗な部屋とは言いがたいが、生ゴミは早めに捨てて、マメにバイト先でシャワーも浴び、清潔には気を使っていたはずだ。だってほら、突然女の子とか連れ込む可能性だってあるわけじゃん。
もっとも、今は幼女を連れ込んで、犯罪臭という臭いが漂う結果となっているが……。
「うん。でも、なれればへいきかも。なんかお魚さんみたいなにおいだし」
「魚ぁ?」
「うん。メル、にんげんの世界のずかんでみたもん。魔界にもそっくりないきものがいたからおぼえてるの。白くって、あたまがさんかくで、足がたくさんあって、ええと……。そうだ、イカさんだ!イカのにおいにそっくり……」
「ストォォッォップ!」
俺はメルの発言を慌てて止める。さすがに幼女の口からその言葉はマズい。しかし……、マジか?俺の部屋はそんなにイ○臭いのか?まさか、昨日オ○ニーに使ったティッシュを、横着してゴミ箱に放り込んだままなのがマズかったのか!?
だが、今更どうすることもできない。俺はさり気なく窓を開け、部屋の空気を入れ替える。
「とっ、とにかく、早く歯ぁ磨いて寝ろよ」
しかし、俺はその時に気付く。メルの格好は、いかにもよそ行きの、ドレスのような服だ。
「そういやお前、パジャマはどうするんだ?魔界の空間を繋げて取り出すのか?」
「そんなことしないよ。メル、これしか服もってきてないし」
「はぁ?それしか服が無いって……。もしかしたらお前ん家、貧乏なのか?いや、でもその服は高そうだし……。いくらなんでも、そんな服で寝たらマズイだろ。それに、他の服持ってないって、寝る時はどうしてんだよ?」
「寝るときは、はだかんぼだよ?」
言うが早いか、メルはドレスを脱ぎ捨てる。あまりの素早さに唖然としていた俺が我に返ったのは、すでにパンツが半分以上下ろされて、小さなお尻が丸見えになった頃だった。
「ちょっ……、待て、待つんだ!ヤバい、それ以上はヤバい!」
慌ててメルのパンツを掴むと、元の位置にずり上げる。その際に腰とかお尻に思いっきり触ってしまったが、緊急的措置として許されるだろう。いや、何度も言うように俺にそっちの趣味はないし、そもそも幼女の裸など雨蘭で見慣れている。なんだったら、風呂上りに全身を拭いてやっているのだ。幼女の裸ごときで動揺する俺では断じて無い!断じて無い、はずなのだが……。
俺は、腰のあたりでパンツを掴んだまま固まっていた。けっして、目の前にあるプリキュンのキャラクターがプリントされた、女児向け下着に魅了されていたわけではない。
俺が目を奪われていたもの、それは雪のように白く輝く、艶やかな肌だった。そして、パンツの上には腰にわずかにかかるくらいの長さの、美しい黄金色の髪が揺れている。メルの姿は決して大人とは言えないが、かといって子供と一蹴するには少しばかり不釣合いな、不思議なアンバランスさを持ったものだった。
ただ、今現在の俺の姿を見た者がいたら、それは間違いなく幼女のパンツを掴んで、ずり下げようとしている変態の姿に見えたであろう。
「何をしておるのじゃ?新しい遊びか?」
不意に聞こえた大人びた口調に、目の前にいるのが妖艶な美女であるかのような錯覚を覚え、一瞬ドキリとする。だが、我に返った俺は慌ててメルの腰から手を離す。
「そ、そーじゃねーよ!と、とにかく、ガキとはいえ、女が人前で裸になるんじゃねえ!」
「ガッ、ガキとは何じゃ!わ、我は1007歳……」
「はいはい、わかったから、これ着ろよ」
俺は洗濯後に畳まずに放ってあった服の山から、部屋着に使っていたTシャツを取り出し放り投げる。
「う~!メル、こどもじゃないのに……」
言いながらメルはもぞもぞと動いていたが、一向にシャツを着る気配はない。それどころかシャツを上下左右に動かしては、奇妙な動きをしている。
「おい、まさかお前……」
「もう!ちゃんときせて!」
「いや、シャツも着れないって、完全にガキじゃねーか!全く……。ほれ、手ぇあげろ。違う!バンザイするみたいに両手を挙げんだよ。そうそう。ほれ、そこに手を通して……。全く、5歳児と一緒じゃねえか」
正面に回った拍子に、真っ平らな胸に浮かぶ淡い桜色が見えてしまう。だが、そんな小さなポッチごときで俺は動揺はしない。いや、動揺はしないはずだ!しつこいようだけど雨蘭で見慣れてるし、メルだって見られても気にしてないし!
バンザイをしたメルにようやくシャツを着せ終わったが、次の不安が浮かぶ。
「まさか、一人じゃ歯も磨けないってんじゃないだろうな?」
「ばっ、ばかにしないで!歯ぁくらいはひとりでみがけるもん!」
「ホントかよ……」
さすがにそこまでは杞憂だったようだ。拙いながらもなんとか歯磨きを終えたメルだったが、さすがに子供なのだろう。少しばかり電池が切れかけていた。
「ほれ、しっかりしろ。布団まではちゃんと歩けよ」
「わっ、我は大人らから……、夜更かしもへいきなのら……」
「お前なぁ……。って、もう2時かよ。まあ、仕方ないか」
フラフラとしながら呂律の回らないメルを、仕方なしに担ぎ上げると、布団へとぶち込む。
横になった途端に限界が来たのだろう。3秒も立たないうちに、スースーと寝息を立て始めた。
「まったく、の○太かよ……。雨蘭でさえ、こんなに寝付きは良くねえぞ。ちくしょう。なんで俺が自分の寿命を握ってるヤツに、こんなことしてやらなきゃなんねえんだよ」
思わず愚痴が出るが、スヤスヤと寝息を立てるメルを見ているうちに不思議と気分が落ち着いてきた。まるで大きめのチュニックのようになった、ブカブカのTシャツ姿も意外と似合っているし、寝顔は歳相応の可愛らしいものだ。
子供の寝顔など正直雨蘭で見慣れているし、身内の欲目で雨蘭の寝顔こそ世界一可愛いと思っていた。だが血の繋がりがない分、メルの寝顔は少し違って見える。
「なんだよ、まったく……。ホントにこいつが、俺の命と引き換えに束の間の成功をもたらしてくれる悪魔だってのかよ」
寝ている姿は、まるで天使のように愛らしい。俺は少しばかり、メルのホッペを突っついてみる。プニプニとした感触のそれは、柔らかくありつつも、押した瞬間にまるで風船のように跳ね返ってくる。
「はは……。雨蘭もお前も、寝てるガキってのは何でこんなに可愛いんだろうな。角も尻尾もないくせに、ホントに悪魔かよ。全くお前は、実は天使なんじゃねえのか?だったらどんなに良かったことか。なあ、俺に幸運を授けてくれよ……」
左手の薬指に光るリングを見ながら、俺はメルのホッペを突つき続ける。ふと思い立って少しばかり唇をめくれば、やはり天使ではない証拠なのだろう。鋭く尖った、まるで牙のような八重歯が見える。
「むうぅぅぅ……」
少しばかり不快だったのだろうか。少しばかり唸ると、メルは寝返りをうち俺に背を向ける。
「ハハハ。こうなっちまった以上、腐れ縁だ。俺の命が尽きるまで面倒見てやるから、安心して眠りな」
その時の俺は、よほどどうかしていたのだろう。己に迫る死を自然と受け入れていた。それと同時に、この小さな幼女に家族愛ともわからぬ感情が芽生える。後から思えば、それは深夜特有の妙なテンションだったのかもしれないが……。
そのせいか、ふと自分以外の人達のために願うのも悪くないかという思いが浮かぶ。
「そうだな。雨蘭がまた、パパとママと一緒に暮らせるようにしてくれってのも、悪くない願いかもな」
気付けば、ピークが過ぎて気にならなくなっていたのだろう。先ほどまでの空腹感は無くなっていた。
かと言って、少しばかり高ぶった精神状態で眠気は全く感じない。俺は冷蔵庫から発泡酒を取り出すと、一気に飲み干した。店長に貰ったビールの味には遠く及ばないが、空きっ腹に染み渡ったそれは、疲れた体に酔いを巡らせ、適度な眠気を誘う。
俺はギターを手に取り、かすかに鳴らす。もちろん、こんな時間にアパートでまともにギターなど鳴らせはしない。俺はそっと『Killing Floor』を口ずさむ。
意図した結婚生活とは違う、女の尻に敷かれる歌だが、今の俺にはピッタリなのかもしれないと思いながら。
「ま、起きたら現実に直面してアタフタすんだろうけどな。今夜はこれでいいさ。じゃあな、おやすみ」
俺はメルの横に毛布を敷くと、金色の髪をそっと撫でながらまぶたを閉じる。精神は高ぶっていても、体は相当に疲労していたのだろう。ほど良くアルコールの回った体は、目を閉じるとあっという間に眠りの世界へと落ちていった……。