第九話 第一章完結。
それからのことは恐ろしく早く進んでいった。徳永は男三人を縛り上げるとどこかへと連行した。黒塗りの高そうな車で、これはいったいどうなってんだと思わずにはいられねぇよな。
そのあと病院に行って分かったことだが、幸いなことに俺の怪我は大したことなかった。全身に打撲があって、指の骨に少しヒビが入っただけという奇跡にも等しいダメージだった。マジで神様感謝いたします。
大した怪我もしてねぇし、何より俺の体質がただの邪魔なだけの体質じゃないってことも、よくわかった。今日という日は俺にとって、めちゃくちゃいい日かもしれない。それに――あんなことも、あったしな。今思い返すだけでもにやけが止まらない。きっとはたから見たら俺はかなり気持ち悪い人だろう。それでも、思い出さずにはいられない。
~三十分ほど前~
「おい一之瀬、本当に警察に届け出なくていいのか?」
いろいろなゴタゴタが片付いて一息。俺は一之瀬にそう尋ねた。一之瀬は首を横に振る。
「うん、大丈夫。……こういうの、慣れっこだから」
「慣れてるのかよ」
唖然である。
「…………うん。慣れてる」
その間がなんだか意味深に感じられて、俺は言葉を返すのをためらう。一之瀬の艶やかな黒髪がさらりと揺れて、黒く澄んだ瞳が俺とぴったりと合う。夜のとばりはもう落ちていて、一之瀬を照らすのはぼんやりとした街灯だけ。それだけでも、一之瀬の頬がほのかに赤らんでいるがわかる。俺の鼓動が、少しだけ加速する。
「……私、東雲くんに秘密にしてたこと、あるんだ」
桜色の唇が柔らかに揺れている。それは見惚れてしまいそうなほどに綺麗な動きだ。
「なんだ?」
一之瀬が息を吸う音が聞こえる。「私、実は――」俺はいったいどんな告白を受けるのかと息をのんだ。
「私、実は……ヤクザの、娘なんだ」
俺は驚愕に目を見開いた。
「ヤクザの……娘?」
「どうにもこの近くに来たグループがいたみたいで……私をさらおうとしたのも、そいつらの仕業」
衝撃の事実に俺は、言葉が出せない。ヤクザって……マジかよ。
「まずは、お礼を言っておくね。ピンチを救ってくれてありがとう、東雲くん」
にっこりと、一之瀬は微笑んだ。その表情があまりに可愛らしすぎて、俺は顔を背けてしまう。「……気にすんなって」ぶっきらぼうな照れ隠ししか出てこねぇよ。
「それでね、東雲くん。お、お願いがあるんだけど……」
もじもじと、一之瀬が身をよじった。恥ずかしそうにうつむいたり、指先で髪の毛をくるくるといじったりして、なんだか落ち着きがない。っていうか可愛い。数秒ほどそんな風にやきもきとしていて、やがて意を決したように俺を上目づかいで見つめる。「東雲くん、わ、私と――」
俺の心臓は狂ったように鳴り響いていた。もはや心臓割れんじゃねってレベル。おいおいまさか、まさかまさかまさか――。
「こんな私と、友達になってくれませんか?」
……。
…………。
………………いや、知ってた。
「もちろんいいぞ」
当然承諾する。すると一之瀬の表情が、花が咲いたみたいに華やぐ。
「じゃあ、目、閉じてくれるかな」
「……目? なんでだ?」
一之瀬は唇に人差し指を立てていたずらっぽく笑う。
「秘密のおまじないしてあげる。だから、目を閉じて?」
ドキリ、と心臓が高鳴る。いちいち可愛いんだよったく……。
「わかったよ」
俺は目を閉じた。いったい何が行われるというのか。目の前が真っ暗で何も見えない。
「右手出して」
言われて俺は右手を差し出す。その時ぴとっと触れる一之瀬の手のひら。やわらかくて、ほんの少しだけひやっとしている。その手が、少しだけ温かいものを俺の手に触れさせて――
「見た!? 見た!? 澪奈、静、ねぇ見た!?」
目を開けると飛び跳ねる一之瀬がいた。その手に握られているのは煌々と光る豆電球。いったい何をしたって言うんだ?
「………………………………成程」
徳永は仏頂面でつぶやく。
「ホントね。あなたの予想、当たってるじゃない」
四宮が微笑みながらそう言う。あなたの予想?
――私の予想では、東雲くんの体質は、触れた機械すべてを壊す体質じゃない。
正確には、『東雲くんが機械だと認識して触れたものを壊してしまう』体質だ。
ガスコンロと私の共通点。それは、『東雲くん』が『私とガスコンロ』を『電化製品』だと思っていないってこと。つまり、東雲くんの中で、私とガスコンロは機械じゃないから、私とガスコンロは東雲くんに触れても壊れないんだ。
さらに、東雲くんは自身の体質は小学校くらいからだと言っていた。これはたぶん、小学生になって初めて機械とそうじゃないものの区別がつくようになったと思えば、説明がつくよね。
だから、私は実験をした。
東雲くんの目を閉じて、何を触られたのかわからない状態で――電気のついた豆電球を触れさせる。それで電気がついたままなら、私の予想は正しい。壊れちゃったら、間違ってることになる。でも――こうして電気は、ついたままだ。
澪奈は、私の予想が正しいなら、東雲くんと友達になることを許可してくれると言った。だからとっても――嬉しかった。東雲くんは私を助けてくれた、恩人だから。
「ほら、静、構わないでしょう」
澪奈が静にそう告げる。静は表情を変えない。やっぱり内心ではやめさせたいのかな。
「……………………」
でもそれを言葉に出すことはなかった。もし言葉に出しても、私は反抗するけどね! 私は正面にいる東雲くんに向き直る。目をキラキラ輝かせながら話しかける。
「それじゃ東雲くん。友達になったから、もっと呼びやすい呼び方にしよう。いつまでも東雲くん、一之瀬、じゃちょっと素っ気ないよ」
東雲くんは目を開く。
「どんなのがいいんだ?」
「ん~。とりあえず、私のことは夏燐って呼んで。みんなそうしてるし。……ねぇ、東雲くんの名前ってなんていうの?」
「俊一だ」
私は考える。いきなり俊一、って呼ぶのもなんか変な気がする。うん? でも何が変なんだろ。なんていうか恋人っぽいっていうか……そう思った時に心臓がドキリ、と高鳴る。私は目を丸くして、ぶんぶんと首を振る。友達、友達、ともだちー! 友達っぽい、呼び方。
「それじゃあ、シュン!」
「シュン、か……いいぜ。よろしくな、一之……夏燐」
「うん、よろしくね、シュン!」
私とシュンは顔を見合わせて笑った。不思議と彼の笑顔がとっても魅力的に見えて、私はぱちっと瞬きをしてしまう。そんな私の挙動に気づいてシュンは怪訝な顔をして、私は赤面する。
「け、怪我はだいじょうぶ?」
ごまかすみたいに、私はシュンに質問する。
「ああ、指の骨にヒビが入ってるだけらしいから、数週間もすれば治るってさ」
「よかった」
私の言葉に、シュンはじっと私のことを見つめる。
「そんなことより、一之……夏燐は怪我ないのか? あんなに縛られたら、どこかうっ血してたりしそうなもんだけどな」
私の目が泳ぐ。鋭い。うっ血するしない以前に、そもそも血が流れてないんです。
「た、たぶん縛られてた時間が短かったから、そういうのないんだよ……」
「本当か? 風呂入った時にでもちゃんと調べとけよ」
「う、うん……」
それでシュンとの間に沈黙が訪れてしまう。……なんでだろ、緊張して、うまく話せない。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るわ。もう遅いしな」
「お、送るよ!」
私がそう言うと、シュンは笑って言う。
「気持ちはありがてぇけど、それって男が女に言うセリフだろ? 夏燐が俺を送った後どうやって家に帰るんだ、って話だよな。俺は一人で帰るよ。早く家帰って身体でも休めとけ」
さらっとそんな風に言われて、私は目を丸くする。少しだけ、顔が熱くなる。
「じゃあな、夏燐、四宮、徳永」
そう言ってシュンは手を振った。私も手を振り返す。
「ばいばい!」
彼のシルエットがだんだん遠ざかって、やがて小さくなって見えなくなる。私はその後姿をじっと見つめていた。なんでか、胸のあたりが少しだけジンジンする。胸の内側がドキドキして、温かいかたまりがじわっと広がっていく。
でも、このドキドキ、ほんのちょっとだけ、心地いい。私はそう思った。でも、この気持ちが何を表しているのか――生まれてからたった二年の私には、わからないんだけど。