第十話 やっぱりここまで一章。
東雲 俊一、とても変わった人みたいね。
四宮 澪奈は彼に関するプロファイルを眺めながら、そう思った。
小学校時代から機械を壊し続けて、ついには家族からこんな辺境の地に追いやられてしまった。そこだけ聞くととても哀れに思えてくるけれど、おそらく彼はバスを二台壊し、車も同じくらい破壊している。どれも立証できずに請求こそされていないが、本人の心労は果てしないものだろう。だからあまり機械のないこの町までやってきた。……正直言って、かわいそうなひとだと思う。
「……澪奈?」
ガチャリ、とドアが開く音がして姿を見せたのは、黄色にクマさんが描かれたパジャマを着た夏燐だった。澪奈は東雲のプロファイルをさらりと裏返すとにこりと笑う。
「こんな時間までどうして起きているの……ってあなたは睡眠が必要ないのね」
夏燐は少しむっとした表情をしてから、いそいそと澪奈の部屋に入る。
「暇になったら寝るよ……目覚ましかけて」
つまり、暇になるとシャットダウンして、起床時間に起動する設定を組むらしい。でも、この子はそういう表現を嫌う。半年ほど一緒にいてわかったことだった。
「そう。どうしたの、いきなり。それもこんな時間に」
「なんか……変な言い方だけど、眠れなくって」
「東雲くんのこと?」
澪奈がさらりとそう言うと、夏燐は目を丸くする。
「……澪奈はなんでもわかっちゃうんだ。相変わらず」
「当たり前じゃない。あなたとは、文字通り生きている年数が違うんだから」
澪奈がおどけて言う。
「……そうだね。やっぱり、澪奈は頼りになる」
「……」
沈黙が訪れる。いったい何を聞くべきかと考える。
こういう時に、すぐに核心に迫ってはならないというのは、心理学を学ばずとも多くの人間が体感的に実感することだろう。相談ごとは、本人が話し出すまで聞いてはいけない。だから話の中央から少しだけ右にそれたくらいの話を、夏燐に提供する。
「東雲くんと仲良くするのは構わないけれど、それには条件があるわ」
「知ってるよ。シュンは自分が機械だとわかって触ったものを壊しちゃう」
「……シュン?」
澪奈は驚いた。すると夏燐はちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめて、頬をかく。そして澪奈に聞こえるか聞こえないかというくらいの小声で、しかし嬉しそうに、ぼそり。
「……友達に、なったんだ」
……可愛い。澪奈は不覚にもそう思っていた。何この子、可愛い。
「そう、それは良かったわね。……それで、条件とはいったいなんだったかしら?」
「東雲くんに、私がアンドロイドってことを気づかれないこと」
「そうよ。絶対にバレちゃダメよ。……たぶん、大丈夫だと思うけれど」
澪奈が夏燐の話を聞いて、彼との交友を許可したのはたった一つ、確固たる簡単な理由があった。それは――夏燐が、どこからどう見ても、人間にしか見えないということ。半年も一緒にいるけれど、機械的な部分が目につくことはかなり少ない。未来の人工知能技術がここまで完璧に人格を構成していることに、感嘆の念を禁じえなかった。それはもうほとんど一人の人間であり、事実、澪奈も一人の人間として夏燐を扱っていた。静は少し、違うようだけれど。
「それでね……澪奈……相談、なんだけど」
澪奈は目の前のアンドロイド――いや、一人の少女に意識を向ける。母親が子供の話を聞くように、極力温かみのある笑みを浮かべながら。
「ええ」
澪奈が促すと、夏燐はうつむきながらもじもじと話し始める。
「東雲くんのこと考えると……なんていうか、おなかのあたりがきゅうっとして、頭がぼうっ、とするんだ……なんなんだろう、この感じ」
「……?」
澪奈は目を見開いていた。今言った一言が、信じられなかった。
――まさか人工知能が、恋をすると言うの? いや、そんなまさか――
「……それだけじゃよくわからないから、詳しく聞かせてもらえるかしら。ほら、こっちへおいで」
手招きして、夏燐を自分のベッドに寝ころがせる。いつ見てもその髪の毛はサラサラで、体のプロポーションは整っている。文字通り人形のように夏燐は美しい。
「目を閉じて」
私が言うと夏燐は目を閉じる。……ここ数日でわかったことだけれど、人工知能で動いているはずの夏燐に、フロイトの自由連想法が適用可能だということ。というより心理学における人間に対するアプローチの方法が、アンドロイドである夏燐にもまったく同様の効果を得られるということ。……これはほとんど、異常といってもいい事態だ。夏燐はアンドロイドであるというのに、ほかの人間となんら変わらぬ精神を持っている、ということになる。――少なくとも、心理学の観点から見れば。
「息を吸って」
私は夏燐に告げる。夏燐は息を吸う。肺はなくとも、息を吸う。
「息を吐いて」
夏燐は先ほどためた空気を吐き出す。それを何度か、繰り返す。身体の中から緊張を解きほぐして、リラックスさせていく。これも本来は、催眠療法で使われる手法だ。
「……身体が温かい?」
夏燐は目を閉じたまま答える。
「うん……なんか、ぽかぽかする」
……正常な人間と、まったく同じ反応。
「じゃあ、今から私が言うことをぼうっとイメージしてみて」
澪奈は夏燐にそう告げる。夏燐は頷く。文章を読み上げるナレーターのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……東雲くんが、あなたの横を歩いている。強い日差しが照っていて、あなたと東雲くんは汗をかいている。あなたと東雲くんは楽しくおしゃべりしていて、二人は笑いあっている。暑いね、とお互いに言い合う。ほかに誰も人はいなくて、あなたと東雲くんの二人っきり」
夏燐の反応を見る。頬が、ほんの少しだけ緩んでいる。
「突然雨が降ってくる。二人はびしょ濡れになりながら屋根があるところへと走る。空では分厚い雲がゴロゴロと言って、それは時々ピカッと光る。ピカッと光った影から、黒々としたかたまりが降りてくる。最初は遠く小さく見えたそれは、やがて大きくなってあなたと東雲くんの前に現れる」
これは、精神年齢の低い子供などに行う心理テストのようなものだ。夏燐の表情は浮かない。どうやらうまく行っているみたいだ。
「黒い塊は大きな口を開けてしゃべり始める。おどろおどろしい声で、低く、地面を揺らすような声で『こいつを連れていく』そう言って、東雲くんをその大きな口の中に食べようとする」
「……めて」夏燐が小さな声でつぶやく。
「あなたはどうする?」
澪奈が問いかける。夏燐はほんの数秒黙っていたが、やがて口を開く。
「……わたしが、いく」
私は目を見開いた。……まさか、これほどのモノとは。
「あなたが黒い塊に近づき、今にも食べられようとしたその時――太陽が輝いて、その黒い塊はあなたたちの前から姿を消す。あなたは嬉しくて東雲くんと笑いあう。するとそんなあなたを東雲くんは――抱きしめる」
「はっ!?」
夏燐が目を見開く。
「こら、目を開いちゃダメじゃない」
「だって……いきなり澪奈が変なこと言うから」
変なこと、ねぇ。
「……正直、どう思った? ここまでしてみて」
すると、夏燐は唇をとがらせて、いじけたように言う。
「……わかんないよ。やっぱり……わかんないや」
「東雲くんに抱きしめられたとき、どう思った?」
またしても夏燐は目を見開く。そして澪奈から恥ずかしそうに目をそらす。
「……ちょっとびっくりした。……それだけ。それだけだからね」
「……ふうん」
澪奈は妖しげに笑う。
「なに、なんなの、教えてくれても、いいじゃん」
「まだダメよ」
澪奈は言う。
「まだ、って?」
夏燐はきょとんとしている。
「あなたがそれの正体に気が付くまで、教えてあげない」
「なにそれ。私がそれを知ったら、教えてくれるっていうこと?」
「そうよ」
「そんなのズルいじゃん。澪奈のずるー」
「ふふふ、なんとでも言いなさい」
「……もう。進展ないじゃん」
澪奈は言う。
「うーん……つまりね。あなたは顔も身体も心も十六歳なんだけど、その心に精神年齢というか、経験が着いて行っていない状態なのよ。生まれてまだ二年目だからかしら、ね。だから、いろんなことを経験する必要がある。そして今あなたの心の中に生まれたその気持ちは、あなたの成長を手助けする一つの新たなきっかけなの。きっとその気持ちがよくわからなくて振り回されると思うけれど、本当に辛くなったらまた、相談受けてあげるから。その時は来なさい?」
「……」
夏燐はきょとんとしていたがやがて――にこりと微笑む。
「――うん。澪奈、ありがと」
「ええ。それじゃ、おやすみなさい」
澪奈はそう言って夏燐を自室まで送り届けた。そしてなんとなく、家にある備え付けのベランダに出てみる。夏特有の生暖かい空気が頬を触れていく。
――それにしても、どうしてよりによって、彼なのかしらね。
人工知能が恋をすることを仮に認めたとしても、よりによって、どうしてあの東雲 俊一という男なのだろうか。澪奈はそう思わずにはいられなかった。
――機械に触れられない男と、アンドロイド。どうしてそんな二人が、こうも惹かれあうのだろうか。
澪奈は最初、夏燐のことを研究対象としか見ていなかった。でもそれももう――半年前の話。夏燐の人格は人工知能というには、愛嬌がありすぎた。彼女をただの機械だと思って接するのは、はっきり言って不可能だった。結果、私はあのアンドロイド――少女に心情的にかなり肩入れしてしまっている。素直で、優しくて、子供みたいに初々しい。そんな夏燐を愛さないでいるという方が無理というものだった。
――アンドロイドは恋の片鱗を知った。でも、夏燐は自分のことを彼に打ち明けられない。
夏燐の応援をしてあげたいという気持ちと、東雲から引き離すべきではないかという気持ちが澪奈の中で綱を引きあっている。その両方に理性と感情が宿っていて、澪奈はどちらを選び取るべきか判然としない。どちらにも正当性があり、どちらにも可能性がある。澪奈は葛藤を散らすように首を左右に振って、澄み渡る夜空に浮かぶ満点の星々を眺める。そして、あることに気が付いた。
――まるで、織姫と彦星みたい。触れたくても、触れることが、出来ないなんて。




