第二章 第一話
日曜はさんで学校へ。身体の節々から感じる痛みに眉を顰めながら、俺は校門を潜った。身体のいたるところに擦り傷があるから、誰かになんか突っ込まれるかも知んねーなと思ったが、誰にも突っ込まれなった。そもそもそこまで仲いいやつがいなかった。教室の中に入ると四宮と喋っていた一之瀬――夏燐と目があって、俺は声をかける。
「おはよう――夏燐」
言ってから思う。すげぇ言いづらい。ていうか恥ずかしい。夏燐は四宮としゃべっていたが、俺のほうを伏し目がちに振り返ると、
「……お、おはよう。シュン」
と言った。なんだかいつもより元気ねぇな。
「どうしたんだ? 元気ないな」
俺がそう言うと、夏燐はぱち、と瞬きする。俺と目を合わせずに、ちらちらと四宮のほうへ視線を行ったり来たりしている。
「そ、そんなことないよ? ……ふつう、だよ」
すると、そんな夏燐の様子を見ていた四宮がにやりと笑う。
「嬉しいんだもんね?」
夏燐は目を真ん丸にする。
「な、なに変なこと言ってるの! 澪奈」
「別に~」
……? 何のこと言ってんだろ。
「……なぁ」
「うん?」
「やっぱ恥ずかしいから、一之瀬って呼んでもいいか?」
やっぱり下の名前で呼ぶのには抵抗があった。いや恋人っぽいとかそういうことじゃなくて、なんかこう親しげっていうかいや結局それって恋人っぽいってことじゃん。
言われた夏燐は少しだけうつむいている。そんな様子を四宮は、にやにやしながら見つめている。
「ダメ。……だって友達だもん」
「うーん、そうか。じゃあ仕方ないな」
「名前で呼び合いたいもんね?」
四宮がまた夏燐にちょっかいをかけている。夏燐は顔を赤らめながら反撃する。
「う、うるさい! 澪奈はちょっと黙ってて!」
「はーい」
おどけたように四宮は答えた。夏燐はむっとした表情でぼそりとつぶやく。
「……もう。澪奈ったら余計なことばっかり」
「いいじゃない。ほら私のおかげで夏燐も緊張ほぐれて自然体」
「うるさい! 緊張とかしてないし!」
俺は苦笑する。
「……仲いいんだな。ところで今日は徳永はいないのか?」
「静は……たぶん上の人とかとの連絡で大変なんだと思う。今日はお休み」
「そうなのか」
ヤクザって大変だな。
「ところで東雲くん。あなたに言っておかなくてはならないことがあるわ」
隣に立っていた四宮が俺に話しかける。
「ん?」
「この間の喫茶店での無礼を謝りたくって。あの日は申し訳なかったわ。どうしても夏燐がこういう立場にあるから、付き合う友人も警戒しなくてはならなくってね……」
「警戒……ってマジかよ」
「ええ。学生にスパイを忍ばせることも、ない可能性ではないのよ。でもあなたは大丈夫そう。なぜならこの間夏燐を助けてくれたから。だから疑ってしまって、ごめんなさい」
俺は驚きながらも、納得する。そうか。この間のアレはそういう事情があったのか。
「気にしてねぇよ。まあそういう事情があるなら仕方ないとも思うぜ」
「……ありがとう」
四宮がぺこりと礼をする。うん、この子も結構いい子みたいだ。
「それにしても大変だよな。ヤクザの子供なんて。他にもボディガードみたいなのがいるのか?」
「ええ。私と静は側近の側近よ。夏燐を大きな円で囲むように警備が配置されているわ。もちろん一般人に紛れて、ね。この間の男たちはその隙間をかいくぐって私たちの家まで到達したごくごく珍しいケースなの。だから東雲くんの活躍にも感謝、なんだけど。ねぇ夏燐?」
話を振られた夏燐が俺を見ながら言う。
「うん……あの時は、ホントに嬉しかった。澪奈と静は全然来ないし。遠くにいた静は仕方ないにしても、澪奈はなんてすぐ近くにいたのに来なかったし」
「三人を相手にするために前に出たって、すぐに殺されてしまうに決まっているでしょう……」
俺はその一言が気になって、質問する。
「四宮は戦い方っていうか……武術の心得があるのか?」
すると四宮は若干食い違った答えを返す。
「まぁ、高校生のボディガードって時点で変わってるわよ。経歴とか、いろいろね。立場としては傭兵って言うのが近いのかしらね。静は昔ロシアで殺し屋をやってたみたいだけど。私はそこまで変わってないわね」
「おいおい殺し屋って……マジかよ」
「だから、敵に回さないことね」
四宮が妖しく笑った。
そこで俺は、何気ない疑問を夏燐に問いかける。
「そういや、夏燐の両親は何してるんだ? あんな風に娘が危険な目にあったのに、一度も見かけなかったじゃねぇか」
俺がそう言ってから、数秒――澪奈と夏燐はピタリと表情を凍らせた。心なしか、冷汗が浮かんでいるような気もする。何故か知らんが焦っているようにも見える。ちらちらと目配せして、四宮とアイコンタクトを取り合ってる。アレ、もしかして俺これ地雷ふんじゃった感じ?
夏燐は目をくるくるさせながら言う。
「……私の両親は、いないんだ」
「……」
おうふ……これは、超特大地雷を踏み抜いちまったようだぜ……。四宮が悲しそうなフェイスで、
「東雲くん、そこには触れないであげて……」
と言ってくる。くうう、すまねぇ。
「すまん。変なこと聞いちまって」
「き、気にしないで!」
夏燐がフォローしてくれる。そうだよな……ヤクザなんだからそういうことがあって当たり前だよな……。気の利かなさを反省。
あっぶな、あっぶなかった……。な、何とか誤魔化せたみたいだけど、大丈夫だよね? ちなみに私、嘘は言ってません。両親はいません。なぜならまだ生まれてないから。
「それにしても夏燐の家がヤクザだったなんて、驚いたなぁ……」
「よく言われます」
私はおどける。演技に磨きがかかります。
「だって夏燐が全くそういう感じしねぇもんなぁ。こう、そういう関係の人が持ってるオーラ?みたいなの全然感じねぇし」
ぎくり。私はあわてる。
「……さ、最近のヤクザはみんなそうみたいだよ。やっぱりそういう筋の人ってすぐわかっちゃうと、け、警戒されちゃうでしょ? そういうこと」
「なるほど。だから夏燐も普通なのか」
「うん。でも学校にボディガードがいたりして、ちょっと浮いちゃってはいるんだけど」
私がそう言うと、シュンはうんうんと頷いて、神妙な顔になる。それは同情が入り混じった憐憫の表情だった。
「……大変だな、夏燐も」
ぐっ。私の胸の奥に罪悪感のかたまりがぶわっと湧き起こる。嘘なんです。嘘だから、可哀想って思わなくてもいいんだよ……? もちろんそんな言葉は届かない。
隣の澪奈も悲しげな、いかにもわかっていますという風の表情をして、
「そうよ……東雲くん。私も夏燐に初めて出会ったとき思ったわ……なんて可哀想な少女なんだろう、って」
こら、澪奈どうでもいいところで便乗しないでよ。ぜったいボケてるでしょ敢えて笑わそうとしてるでしょ……。でもそんなことは言えない。私もお芝居に参加しなくちゃ。
「そ、そんなことないよ! もう慣れっこだし。だって、昔からこうなんだよ?」
「そうか。そうだな。勝手に同情して悪かった」
「う、うん。わかってくれたなら、いいよ」
ちょうどそのくらいで先生が教室に入ってきて、わいわいしていた教室のみんなが席に着き始める。当然シュンもその例外じゃなくて、三人での会話をやめて席に着こうとする。隣の澪奈がにやにや笑いながらつんつん脇腹を突っつく。もう、わかってるって。
「ね、ねぇ……シュン」
ちょうど視線を先生のほうにやっていたシュンは私のほうを見つめる。なんでか少しだけ鼓動が大きくなったような気がする。おかしい。心臓なんか、ないのにな。
「ん?」
私は息を吸う。肺はなくとも、勇気を吸い込む。
「今日さ……暇、かな?」
シュンは目を丸くする。
「ああ、暇、だけど」
その答えがなんでかわからないけど嬉しくて、胸の奥がじんわりとあったまる。まただ。正体のよくわからない、高揚感。焦っちゃダメ。焦っちゃ……ダメ。私はすっとシュンの表情を真正面から見て、緊張を吐き出すみたいに声を出した。
「きょ、今日学校昼までだから、澪奈と一緒に川に行こうって思ってて……シュンも、来ない?」




