第二話
授業なんて、聞いてられっかよ。ていうか、聞こえねぇよ。
夏燐の誘いを俺は承諾した。断るわけねぇよな、ふつう。っていうか川ってマジかよ。いや確かにここはクソ田舎だからそれくらいしか遊べるところがないのは理解できんでもないが……水着ですよ、水着。
そりゃまあ俺だって男の端くれなわけで? ごくごく当たり前に女の子の水着姿には興味があるわけで? それが夏燐や四宮とかの可愛い子なら尚更で?
テンションが、上がる。にやける。だって水着だぜ!? 水着だぜ!? 妄想が俺の中でガンガンバーストしていって脳内を埋め尽くす。夏燐はどんな水着着るんだろうなぁ……。ふへへ。
ちらと夏燐のほうを見る。何故か目が合う。
「……っ!」
慌てて顔をそらされる。どうしたんだろうか。そんな夏燐を見ながら思う。夏燐てスタイルいいよな。胸大きいし痩せてるし。ちなみに四宮さんのスタイルはお世辞にも良いとは言えない。いや決して太っているとかそういうことじゃなくて、ごくごく単純に……胸がない。シャツ越しでもわかるあの胸のなさ。絶望感がうっすらと漂っている。
そういや、徳永は来るんだろうか。あいつも夏燐の護衛らしいし、さすがに来るんだろうな。俺は正直、あいつとも仲良くなりたい。なんでかって? 夏燐の話によると、俺の体質のことはもうあの二人にしてるらしい。しなきゃ車が動かなかった原因とか説明出来ねぇしな。まぁ――そういう事情があって、あの三人は俺の体質を認めてくれた三人でも、あるわけなんだ。これが仲良くなりたいと、思わずにはいられねぇだろ?
学校が終わって夏燐と話し、いったん家に帰ってから、水着を着こんで再集合することになった。じりじりと熱い日が肌を焼く中、待ち合わせの場所まで向かい二人と合流する。歩いていく中で、あることに気が付いた。
「あれ? 徳永は?」
俺が聞くと、夏燐はつまらなさそうな顔で、
「後ろにいるよ。背後が一番危険なんだって」
「本格的だな……」
「ねぇ、私思ったんだけど、シュンっていつもどうやって時間確認してるの? っていうかなんでその腕時計は壊れないの?」
夏燐が質問する。俺は左手につく時計を見せびらかしながら言う。
「ああ。これはゼンマイ式なんだ。高いんだぜ、ゼンマイ式時計」
「な、なるほど。電気を使ってないんだ。っていうかずっと思ってたんだけど、シュンって夜とかどうしてるの? 明りつけられないじゃん」
「寝てる」
「寝てるんだ!?」
「おう。寝てるぜ。だいたい八時までには寝てるな。夏でもそれくらいには真っ暗だし」
「とんでもなく健康的ね……」
隣の四宮が驚きの声を上げる。
「その代り朝はマジで早いな。大体四時から五時には目ぇ覚めてる。健康的なんじゃなくて原始的なんだよ」
「す、すごいね……そんなに早くに起きて何してるの?」
「勉強するかランニングとかで身体動かしてるかのどっちかだよな。他にすることねぇし」
「テレビもパソコンもケータイもないものね……」
四宮が憐みの目を向けてくる。
「まあそれは昔からずっとだから、俺にとっちゃこれが普通だ。夏燐がヤクザの娘ってことが当たり前なのと同じようにな」
俺がさらっといいことを言ってみたが、夏燐の表情は浮かなかった。
「う、うん」
おっとこれは滑っちまったかもしれねぇな。切れかけた会話を四宮が拾う。
「……それにしても信じられないわね。パソコンもテレビもエアコンもない生活なんて」
「扇風機もないぜ」
「……よく生きていられるわね」
「まあ、日陰に入ってたらそこまで暑くねぇしな」
「いや暑いでしょ」
夏燐が横から言葉をはさむ。
「そう言う感覚がすでに麻痺しているのよね……今だってほら、めちゃくちゃ暑いじゃない」
四宮があたりのしげる森とぎらぎらと輝く太陽をにらみながらそう言う。
「こんなの俺にとっちゃ普通だな。木の影があるだけ涼しいとも思うぜ」
「すごいわね……早く川に入りたいわ」
「ここからどれくらいなんだ? 夏燐」
「んー、もうちょっとだと思うよ」
夏燐の家から、大体二十分くらい歩いた。ちょっとした山道に入って行って、なかなか女子にはしんどいコースだと思う。案の定四宮は汗をかきまくってるし。まあ俺は日ごろから運動してるだけあって余裕なんだけど――こんな時でも夏燐はやっぱり、汗をかいていない。陶器のように白い肌はもはや作り物めいた美しさを俺に感じさせる。最初に出会った時から、夏燐はどことなく人間離れした容姿をしていると俺は思っていた。でも近寄りがたいとかそう言うわけじゃなくて――綺麗すぎるって感じで、でもその性格は有り余るほど女の子っぽい。
「ん?」
しまった。見つめすぎていた。
「何でもねぇよ」
慌てて目をそらす。少し気恥ずかしい。
「変なの。あ、着いたよ」
わさわさと茂みを抜けるとそこには、きらきらと陽光を照り返す透明な川が流れていた。対岸は崖になっていて、ごつごつとした岩が前のめりに突出している。
「おおー!」
ちょっとした感動に声をあげてしまう。だって結構綺麗だし。
「泳ぐぞー! あついー!」
夏燐が声をあげてその場でキャミソールを脱ぎ始める。ぎょっとして俺は顔を背けようとする。しかしその努力虚しく夏燐と目がばっちり合っちまう。たちまち真っ赤に染まっていく夏燐の表情、女の子って服脱ぐときクロスして脱ぐよなとかすげぇどうでもいいことが俺の頭の中を駆けていく――
「女の子の着替えをみるんじゃないわよ!」
隣の四宮が俺の頭を思い切り引っぱたいた。
木陰で服を脱ぎ待つこと三分。これだけ言うとなんか変態っぽいな。
「もういいわよ」
四宮の声。……そ、そうか。俺はひそかな期待を胸に寄せながら茂みから抜け出す。
――目に刺さる日差し。その乱暴な明るさに目が慣れるとそこに映るのは白い肌。四宮が腰まで水に浸かりながら佇んでいる。長い髪の毛に帽子をかぶって、花柄のフリルが付いた可愛らしい水着。――おそらく貧乳であることを隠すための、ボリュームアップ。
「ふっ」
「なに笑ってるのよ」
四宮が怪訝な顔をする。
「っていうかほら、夏燐も隠れてないで出てきなさい」
ぐいと細い手首を掴んで四宮が夏燐を前に押し出す。俺の前にまたしても白い肌が現れる――深い青色に包まれた四肢を惜しげもなく晒した夏燐が、そこに立っていた。優美な彫刻のようにくびれた腰のライン、形の良いおへそ。そして何よりも俺の目を引き付けたのは自己主張の激しい二つの双丘――またの名を、チョモランマ。そうか、そうか、ここが、天国か。
否応なく目線を引き付けるその姿を俺は、不躾にも見つめてしまう。耐えられなくなったのか、夏燐は恥じらうようにもじもじと身をよじる。
「そ、そんなじろじろ見ないでよ……」
「す、すまん」
俺は両手を使って、それでもまだ見ていようとする顔をぐいと横に向ける。
「……」
謎の沈黙が、訪れる。ちらちらと横目で互いをうかがう。……何喋ったらいいんだろ。
その沈黙を壊すのは――一人の声。
「イチャイチャしてるんじゃないわよ!」
大きな水のかたまりを、ぶっかけられる。
「っとぁ!?」
驚いてその方を見ると、にやにやと笑う四宮がまたしても水をすくってはかけてくる。
「やったな!?」
たまらず俺も反撃する。派手な水しぶきが上がり、四宮に大きな一撃をお見舞いする。
「冷たいじゃない!」
「ふっふっふ」
またしても水を頭から食らう。目の前が見えなくなる。飛ばしてきたほうを見ると今度は夏燐がにやにやと笑っていて、俺はそちらへ向かっても反撃する。
「くっそ――」
さっきの緊張はどこへ行ったのか、俺たちは水を掛け合って遊んだ。
と言ってもまあ、俺たちは高校生だ。やっぱりそれくらいじゃあ、飽きてくる。それを夏燐は敏感にも感じ取ったのか、
「そこの岩場から飛び降りる!」
と言い出した。そこまで高くないところみたいだから、まぁいいんじゃねぇか。
「ほら! 行くよー!」
水面から二メートルほど上のところで夏燐がぱんぱんと膝を叩いている。そしてそのままぴょんと飛び跳ねる。
「きゃぁーっ!」
ばしゃん! 水しぶきとともに夏燐の身体が落下する。……なんか、楽しそうじゃねぇか。
「俺もやるぜ!」
俺はさっき夏燐が飛び降りた位置より一メートルほど高い地点から飛び降りる。するとさらに高いところから夏燐が飛び降りる――なんでか知らねぇけど競争みたいな形になる。俺より高いところへ夏燐が、夏燐より高いところへ俺が――ついに夏燐は、もっとも高いと思しき水面から五、六メートルはあるだろうところから飛び降りることになる。
「ふっふっふ、私の実力を見せてあげよう!」
どどん。はるか高くに見える夏燐の姿。ちょっと危ないんじゃないかとも思うが、ここの川の水深は思ったより深いから大丈夫そうだ。っていうかほんとにそこから飛び降りるのかよ……。
「ふうー。ふうー」
夏燐が深呼吸をしている。大きな胸が揺れているのを遠目からでも確認できる。
「夏燐、行きますっ!」
たたんと駆け足、思い切りジャンプする。ふわっと夏燐の体が浮いて――そのまま水面に突入する。ばっしゃああんと大きな水しぶきが上がり、しかし夏燐はなかなか浮かんでこない。
「大丈夫か!?」
俺がそちらのほうへ泳いでいくと、水面を何かが流れていくのを発見する。なんだこれ。青い――布? 俺はぎょっとする。
「――ぷっはぁ!」
夏燐の声が聞こえる。視線を向けるとそこには、俺の予想通り上半身に何も身に着けていない夏燐が立っていて――
「み、見ないでよっ!」
水の中に首まで浸かる。俺は顔をそらす。
「す、すまん! 俺が取ってくる!」
「待って!」
夏燐が大声で言う。
「なんでだ!?」
今見ていても早いスピードで水着は流されてしまっている。いやこれ俺行かなきゃ間に合わねぇだろ。
「れ、澪奈に行ってもらう!」
夏燐が叫んだ。澪奈はもう少し離れた位置からこちらに向かっている。
「そんなこと言ってる場合かよ!」
夏燐の静止を振り切って、俺は水の中に飛び込んだ。
ダメ、行かないでシュン。そっちに行ったらダメなの。
だってそっちには――私の手首も、流れてるから。
「澪奈! 急いで! 手首もげちゃった! 回収してきて! シュンより早く!」
「行くしかないわね……っ!」
どぼん。澪奈は水の中に飛び込んだ。私もできることをしなくちゃ。私のパーツの大まかに分けたところには、それぞれ発信機が付いている。そこからの電波を拾って私もパーツの回収ができる――少なくとも、シュンに発見されてしまったらおしまいだ。いそがなくては。